作品タイトル不明
古き血統 ③
何かが王妃様の喉をせり上がってくるように見えて―――
「―――、ゲボッ! ケホッ、ケホッ、ケホッ」
洗面器に吐き出されたのは、透明な、それでいて、薄く、暗い赤色が付いた液体だった。
血では無い。
古くなったお肉や解凍したお肉から漏れる細胞液が、こんな感じの液体では無かったか?
いや、もっと色が悪い気がする。
まだ体内に残量している毒素が有ったのかも。
苦しそうに咳き込んでいた王妃様の呼吸が治まってきた。
お付きのメイドさんたちが王妃様の口元へ水で満たされたグラスを差し出し、王妃様が国の中を雪ぐ。
「・・・ここからは、私が・・・!」
王妃様の体内魔力の中の、“嫌な感じ”が濃かった鳩尾の少し下の辺りへと、意識を集中する。
嫌な感じが無くなっていることに、テレサの解毒が成功していることを確信する。
患部と思われる臓器付近の全体を魔力の両手で包み込むように、“手”の魔力を集める。
イメージするのは逆再生映像。
茶色く俯いて枯れた植物が、茶色を薄くして黄色くなり、黄色に青が混じって緑色を取り戻す。
萎れた葉が、枯れた花弁が、水分を取り戻して、俯いた茎が真っ直ぐに伸びていく。
イケる?
いや、イケる。
魔力が消費されているのが体感で分かる。
消費されている場所に偏りが有るように感じる。
そこか?
その辺りか?
私の当初の予想を裏切って、いくつもの臓器で魔力が消費されているようにも思う。
だったら、私のすべきことは決まっている。
王妃様の体内魔力の内側に、全力で私の魔力を振り絞る。
消費されている複数の場所を狙って魔力を押し込んでいく。
元気になれ!
失った血を、肉を取り戻せ!
「・・・戻って・・・!」
強く念じた瞬間、急激に魔力の消費量が増えた。
私の体内に蟠っている熱がどんどん温度を下げていく。
負けない。
負けられない。
私は、黙々と頑張ってきたテレサを知っている。
不安で、苦しくて、それでも自分の気持ちを胸の奥に押し籠めて、愚直に努力を続けてきたテレサの姿を見続けてきた。
息苦しいけど、こんなことでは負けてやらない。
絶対に、テレサの希望を潰させやしない。
ガリガリと体温を削られていくような感覚が、どのぐらい続いただろうか。
魔力の消費がフッと止んで負荷が軽くなった。
水中から水面へと顔を出したように、肺の中に残った空気を吐いて、大きく息を吸い込む。
「・・・はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
「よく頑張った。後は任せろ」
上から頭をぐりぐりと撫でられて、お母様の声が頭上から降ってくる。
こめかみから伝った汗が顎先を滴って、シャツの胸元にポタポタと幾つものシミをつくる。
私の隣りには膝立ちになったテレサが、心配そうに表情を曇らせてベッドの上を見上げていて、私の頭越しに身を乗り出して腕を伸ばしたお母様が、王妃様の背中に手のひらを翳している。
「ありがとう。フレイア。すごく楽になったわ」
「上手く行ったようだな。治癒術式に手応えが無い」
「そうなのね。フィオレちゃんも、ありがとう」
ほぅ、と、大きく息を吐いた王妃様が、柔らかく笑う。
治療を始める前よりも、明らかに顔色が良い。
少なくとも、「治療前よりも悪化した」なんてことは起こっていないと確信できる。
本当に臓器の損傷が治っているのかは、確認のしようが無い。
でも、レティアまでの移動に耐えられるところまで回復したのなら、次に繋がる。
獲物の血で、死にかけていた私の体が回復したのだから、王妃様の体だって回復するはず。
「・・・いいえ。お気になさらず」
お母様のお墨付きで、力が抜けてしまった私は、床の絨毯の上にぺたんと腰を下ろしてしまった。
私の傍へ来て座り込んだルナリアが首っ玉に抱き付いてくる。
ルナリアの髪を撫でながら、ベッドの周りを見回す。
息を呑んで見守っていた王様と騎士団長閣下とハロルド様が大きく息を吐く。
固い表情で見守っていたバルトロイ様と叔母様夫妻も安堵の息を吐いた。
腕組みをしたローブのオジサンは、心、ここに在らず、といった感じで考え込んでいる。
オジサンとは少し違うデザインのローブを着たお姉さんは、王宮付きの治癒術師さんだったかな。
何か質問したいのに声を掛けられない感じで、バルトロイ様の後ろでそわそわしている。
メイドさんたちはテキパキと後片付けを進めていて、みんな、その表情は明るい。
見届け人たちと一緒に居たハロルド様が肩の力を抜いて、王様と騎士団長閣下の傍へと移動する。
おずおずとベッドの上へ身を乗り出したテレサが王妃様の顔色を伺う。
「お母様。お加減は、いかがですか?」
「とても良いわ。ありがとう、テレサ」
両手を差し伸べた王妃様の胸にテレサが飛び込んでいった。
「よかった・・・! 本当に良かったです!」
「心配を掛けたわね。きっと、もう大丈夫よ」
胸に顔を埋めて肩を震わせているテレサの髪を、王妃様は優しく撫でる。
ハロルド様にポンと背中を叩かれた騎士団長閣下が我に返った。
大きく息を吸い込んで、深く、深く息を吐く。
大きな背中を丸めて脱力する様は、無骨な騎士団長閣下がどれほど気を揉んでいたのかを感じさせる。
再び目線を上げた騎士団長閣下が、とても優しい顔で笑った。
「よくぞ、踏ん張りきった。アマリリア」
「お兄様にも、ご心配をお掛けしました」
王妃様も涙を堪えるように笑い返した。
ベッドの傍で、手を腰に置いたお母様も肩の力を抜く。
「だが、治癒が成功していても体が弱っている現状は変わらん。しっかり食えよ」
「そうね。でも、・・・本当に不思議。もう駄目かと思っていたけれど、あれだけ重くて怠かった体が嘘みたいに軽いもの」
お上品に頬へ手を添えていた王妃様のお腹が、キュルルル~、と鳴った。
年頃の女の子のように、ぽっと頬を染めて恥ずかしそうにする。
「あら、嫌だ。お腹がすいてしまったわ。オーグスト様、朝食をご一緒しても、よろしいでしょうか?」
「おお・・・、おお、うむ。そうしよう」
嬉しそうに目を細める王様が、大きく頷いた。
王様が前へ出て、ベッドの上へ片膝を載せたことで、ベッドの端っこが沈み込む。
伸ばされた王様の両手が、そっと王妃様の右手を取った。
大事そうに包み込んだ手を持ち上げて額を当てる。
「長い間、よくぞ耐えてくれた」
「何を仰いますか。オーグスト様こそ、お一人で大変だったでしょう?」
「儂は―――、いや」
お顔を上げて首を振りかけた王様が、優しい目で王妃様を見る。
「アマリリア。これからも、儂を支えてくれるか?」
「勿論ですとも」
ふんわりと微笑む王妃様の目には、確たる意志と力強い生命力の光があった。
室内の空気が緩む。
重苦しかった空気は、もう、どこにも無かった。
久しぶりに摂った家族揃っての朝食の席で、王妃様がグラタンを3皿もお代わりしたとミリア叔母様から聞いたのは、数時間後に行われた謁見が終わった後のことだった。