作品タイトル不明
蒼焔 ㉖
「かの国は、要人の暗殺事件を発端に国内が荒れたのでしたか」
「国内貴族の切り崩しが発覚したのがオルレーシア妃の暗殺事件で、発覚を切っ掛けに、雪崩を打つように国内貴族が反旗を翻したそうよ」
気付いた時には、もう遅かった?
「その被害者の子供が、リテルダニア王国に浸透した密売ルートに乗せられた、と」
「フレイアの英断ね。グズグズしていれば、我らが王国も切り崩されていたかも知れない」
ミリアは冷や汗が背中を伝うのを自覚する。
認識していた以上に事態は切迫していたのか。
西部国境地域の粛清で姉様と兄様の動きに性急さを感じたことも有ったが、あそこまで強硬に動いたのは姉様の勘だろうか。
オルレーシア妃と共にフレーリア、―――フィオレが殺されていたら?
フィオレがムーアで死んでいたら?
フィオレが“魔の森”で死んでいたら?
ルナリアの暗殺未遂事件が起こっていなければ?
フィオレとルナリアが出会っていなければ?
フィオレとルナリアの救出が間に合っていなければ?
「もしも」がミリアの頭の中を駆け巡る。
フィオレによるマークスたちの遺骨発見がウォーレス家に伝わったことで、事態は一気に動いたが、どれかの噛み合わせが少しでもズレて居れば、もっと深くへ神教会の浸透を許していた恐れが有る。
「なんて厄介な・・・」
「神教会に融和的で浸透されつつ有ったロンドベールは、この機に、出来れば潰しておくべきね。橋頭堡にされる愚か者は王国に必要ないわ」
出来れば、―――か。
今はまだ、強硬手段を執るつもりまでは無いのか。
姉様たちが苛烈な粛清を行ったことで、幾らかの溜飲を下げてくれたのかも知れない。
そして、このお方にして、一旦、入り込まれた神教会を追い出すことは、容易なことではないらしい。
”死後の救済”を掲げる神教会の教義は、主に“森”から遠い西方諸国で受け入れられ、大戦以降の、ここ500年の間にも、じわじわと版図を広げて王国の目前まで迫りつつ有る。
その間接的な遣り口で滅ぼされた国は10を超える。
神教会とは、王国に史料が残る1000年前より以前から存在してはいるものの、おおよそ1000年前の大陸統一国家分裂の原因の一つとも言われ、500年前には軽々しくも信じる主神を変えるという、一貫性が無く、怪しさしか無い宗教組織だ。
元来、この大陸では、人間もまた精霊の子として、精霊を敬い、死した魂は精霊の下へ還るとされていた。
そうして、死者の魂は生まれ変わって家族の傍へと帰ってくるものだと信じられてきたのだ。
未知なるもの―――、“死”への恐れは人間を人間たらしめる、根源的なものでは在るだろう。
だが、それを、チキュウ世界から輸入された、どこから湧いて出たかも分からない異世界の神を奉じるなど、正気を疑う。
政治的・領土的野心を隠せていない新教会の得意とする浸透手段は、救済を求める平民層から浸食するというものだ。
染み入る毒のように全体へと浸透して、ときに統治者までも帰依させ、ときに平民層に叛乱を起こさせ、最終的に国家を覆す。
信徒の保護を名目に実力で介入してくるのが、勇王国という神教会の手先だ。
そんなものを王国へ招き入れるなど、有ってはならない。
「このことを、陛下には?」
「オーグストには、今朝、知らせを出したわ。そろそろサリトガも謹慎を解くでしょう」
内心の動揺を押し隠すのに、ミリアは多大な努力を要した。
今朝?
この情報を知った上での、拝謁だった?
“銘”の下賜は宣伝だけでなく、フィオレの囲い込みの意味も有ったのか。
―――いや、陛下なら、もう一手、何か打ってくる可能性が高い。
余りにも露骨にフィオレを縛りに掛かっては、姉様が反発する可能性が有るから、この情報を前もって出してきた?
フィオレが明日の謁見へ出ることを命じられていたのは、このことか。
陛下は謁見の場で何らかの行動を起こされる、おつもりなのだろう。
だとすれば、姉様と、早急に情報を共有しておく必要が有る。
宰相閣下は、元々、身の潔白と王家への忠誠を示すために、自ら王城内での謹慎を申し出ただけで、行動を制限されるような疑いを受ける立場には無かったのだ。
治癒魔法術師の計画で陛下からの要請も有るなら、自身の謹慎を解かれると思って良い。
宰相閣下が動くとは、”融和派”に対して? フィオレに対して? 一体、何に対して?
聞きたいけれど、訊けない。
これ以上、対価を求められても、差し出せるものなど無いのだ。
この方を相手に負債を積み上げるなど、恐怖でしか無い。
「この絵は、戴いても?」
「扱いはフレイアに決めさせなさいな。あの子も母親になったのだから、母親に任せるわ」
「ありがとうございます。―――、あの・・・。オルレーシア妃について、何か情報をお持ちでしょうか?」
躊躇いを乗り越えて口に出した問いに、試すような目が返ってくる。
「良いのかしら? 記憶を刺激して、もしも、失っている記憶が戻るようなことが有れば、却って、悲しませることにならない?」
「そうかも知れません。それでも、あの子に対して真摯で在りたい。少なくとも、姉様はそう言うでしょう」
甘いことを言っている自覚は有る。
けれど、この場に居ない姉様に代わって意志を籠めた目差しを返す。
この場で押し負ける負けには行かない。
この方の行動原理は“王国にとって有益か否か”だ。
この方の元には、最も早く、全ての情報が集まる。
この方の機嫌を損ねるのは得策ではない。
それでも、あの子から問われたときに、答えてあげられる状況を作っておきたい。
姉様も同じことを言うはずだ。
情報を隠すのではなく、きっと、共に乗り越える道を選ぶだろう。
「随分と気に入っているのね」
「可愛い子ですから」
ニコリと笑みを向ける。
これは、ミリアの偽らざる本心だ。
薄く笑みを浮かべ、お茶で喉を湿らせてから、僅かに柔らかくなった目が返ってきた。
「オルレーシア妃については噂を耳にした程度だけれど、統治に影響を与えるほどの、なかなかの才女だ、としか、聞いていなかったわね。体が強くなかったのか、表に出て来ることが無くて情報の少ない方だったそうだけれど、亡くなったときは貴女と同じぐらい。まだ20歳台前半だったはずよ。かの地で共同戦線を張ったことのあるドネルクなら、他にも何か知っているかも知れないわ」
「小国連合諸国への軍事支援遠征で、ですか。ドネルク様だけで無く、ハロルド様と姉様も、何か知っているかもしれませんね。お聞きしてみることにいたします」
「禁輸品流通ルートの排除で大した痕跡は残っていないとは思うけれど、しっかりと抱き込んでおきなさい。有益な子、なのでしょう?」
乗り切った・・・。
ミリアは胸を撫で下ろす。
この方は、今の時点でフィオレに対する何らかの判断を下すつもりは無いようだ。
「私たち家族にとって、すでに大切な子です。姉様にとっては、特に」
「なら、守り切って見せなさい。王国のためにも」
嫁いで以来、半世紀に亘って政治の裏側から王国を守り続けてきた、真の女帝、カレリーヌ・リヒテルダート。
他国の王家の血を色濃く受け継いだ傍系にして、リテルダニア王国以外に心の寄る辺を無くした、その底光りする目を、正面から受け止めたミリアは、深く頭を下げた。
「守りますとも。王国の盾、ウォーレス血族の誇りに賭けて」