作品タイトル不明
光魔法というもの ⑧ ※アスクレー面
数人の女中を引き連れて領主館の廊下を兄・アレースと共に歩いているアスクレーは、内心、溜息を吐いていた。
“領主館”と言っても、ここはファーレンガルド家の領主館では無く、母・ミリアの実家で有るウォーレス領本領の領主館だ。
いや。「実家」というのは正確では無く、「母の実家の総本家」と言うのが正しいのか。
総本家のウォーレス家と傍系筆頭のピーシス家は、1枚の金貨の裏と表のように一体のものらしく、明確な区分が有るようで無いように見えて、何とも関係が分かりにくい。
ピーシス家にはウォーレス家から統治を委任されている領地が有るのに、祖父母も叔母上も、その娘も、この領主館で暮らしていて、領主一家と同等に扱われている。
この領主館を訪ったのは、アスクレーも初めてではないらしいのだが、3年前のことらしく、当時まだ3歳で幼かったアスクレーは、この領主館自体を、よく覚えていない。
床から壁まで粗い質感の石造りで出来た、牢獄と嘘を言われても気付かないだろうほどに飾り気の無い寒々とした廊下には、記憶力が良いアスクレーは何となく見覚えが有る気もするのだが、きっと、ウォーレス家系の長であるハインズ様と奥方のセリーナ様の印象が強烈すぎて「領主館は覚えていない」のだろう。
事実、祖父・マルキオと祖母・シェリアだけでなく、ハインズ様とセリーナ様のことも、アスクレーは鮮明に覚えていた。
3年前、当時、どんな会話をしたか、も、覚えている。
もの凄く高くまで放り上げられて恐怖に少しだけ漏らしたのだから、ハインズ様のことは忘れようが無かった。
兄も同じ経験をしたことが有るらしく、アスクレーを前へ押し出して自分はハインズ様から距離を取っていたことは、今でも忘れていない。
そして、セリーナ様だ。
あの方の、品定めするような目がとても怖かったことだけは、ハインズ様のことよりも忘れようが無い。
久方ぶりにお会いしたセリーナ様も、顔は笑っていても、心の中を見通すような目がとても怖かった。
たまに王都のファーレンガルド邸に来る叔母・フレイアと同じく、ウォーレス家系は印象の強烈な方々ばかりで忘れようが無い。
ウォーレス家・現当主のハロルド様は温厚で理知的な方なので、話していてホッとするぐらいだ。
詳しい状況は理解できていないが、アスクレーが暮らすリテルダニア王国は大変な戦争中らしく、王宮に勤める父・アレイオスと社交界の有力者である母上が忙しくしていると思っていたら、フレイア叔母上とハロルド様がアスクレーの家へ滞在し、ほんの数日で慌ただしく出陣していった。
王都で暮らしていると普段と何も変わりのない生活にしか思えないのだが、何やら屋敷の中が騒がしいと思えば、今度は両親が慌ただしく帰って来て、読んでいた本を手にしたまま、いきなり馬車に詰め込まれて、10日ほど揺られて着いてみれば、王都から遙かに離れたウォーレス領の森だった。
“ウォーレス領の森”と言うか、ウォーレス家が領地に組み入れるという“魔の森”だった。
ロクな説明も無しにアレースとアスクレーを押し流すのは母上の常だが、目的地が“魔の森”だったと気付いた時には馬車の中で震え上がったものだ。
“魔の森”が、どれほど恐ろしく危険な場所なのかは、ファーレンガルド家本領のお婆様から嫌と言うほど聞かされている。
お婆様はもちろん、亡くなったお爺様も、当主を継いだ父上も、代官として本領の経営を預けられている叔父上も、“魔の森”には散々に手を焼いていて、お爺様の分やご先祖様の分まで含め、様々な苦労話を聞かされてきた。
ファーレンガルド家と同様に“魔の森”と隣接するウォーレス家で育った母上や叔母上からも、“魔の森”に纏わる苦労話は色々と聞いていた。
そんな“魔の森”に何の用事で来たのかと 戦(おのの) いていたら、その“魔の森”には、アリストテレジア王女殿下と又従兄妹のルナリアが居て、従兄妹になったばかりと聞くフィオレという少女が居た。
兄は平気らしいのだが、実のところ、アスクレーは王女殿下もルナリアも相手をするのが得意では無い。
王女殿下は笑顔の裏で何を考えているのか分からない怖さが有って、セリーナ様と似たところが有る。
ルナリアはハインズ様に似て押しが強く、苦手なのだ。
侯爵令息と侯爵令嬢で立場は同じなのに、なぜかルナリアは年下なのにアスクレーに命令口調で何かと強制し、それが当たり前かのように、誰もルナリアを咎めることが無い。
アスクレーの当たり前といえば、次男とは言え、貴族階級上位の侯爵家の息子ともなれば丁重に扱われて然るべきで、侯爵家よりも上位と言えば王家か公爵家しか家格は無いのだから、雑に扱われることなど無いのが普通なのだ。
自分の常識が間違っているのかと首を捻りたくなるのだが、ウォーレス家に於いては、アスクレーだけでなく兄も雑に扱われていて、何なら、嫡子となったルナリアでさえ雑な扱いを受けている。
ウォーレス家は本当に、よく分からない。
救いと言えば、非常に古い家系のウォーレス家には、王都では滅多に見せて貰えないような歴史的価値がある史料や歴史的建造物が、その辺にゴロゴロと転がっていて、見て回っても飽きないことか。
今、アスクレーたちが歩いている領主館とて、500年前に遠いご先祖様が建てた砦の実物で、王国の戦史に出てくるほど有名な、”現役”の史跡なのだ。
これほど歴史の有る建築物は、広い王国内でも、他には王城ぐらいしか無い。
永きに渡って国境を守り続けた騎士たちの息遣いさえ聞こえてきそうな深い趣があって、粗い質感の石壁や石床の摩耗にすら歴史が感じられる。
ただの廊下を歩いているだけで、王国史に記された500年前の世界に居るような錯覚を覚えてしまう。
そんなウォーレス領へ「避難してきた」はずなのに、父上は意気揚々と甲冑を身に纏って前線へ出掛けて行き、母上は生き生きと駆け回っていた。
兄は父上の姿に刺激されたのか暇さえ有れば訓練場へと入り浸り、隙あらばアスクレーも訓練場へ連れて行こうとする。
訓練場では常に誰かが鍛錬に励んでいて、あれこれと兄とアスクレーに助言をくれて手合わせしてくれる。
兄にとってもアスクレーにとっても、王国最強と評され続けるウォーレス領の騎士や兵士から教えを請える機会は貴重なので否やは無い。
否やは無いのだが、寝ても起きても鍛錬、鍛錬、鍛錬で、稀少な史料や珍しい文献を読む時間すら奪われるのには閉口せざるを得ない。
アスクレーにとって、ウォーレス家の図書保管室は至福の空間で、許されるなら、ずっと籠もって居たいぐらいだ。
籠もって居たいのに、兄はアスクレーを連れ出しに、度々、やって来る。
ここで、例のフィオレという少女だ。
フィオレは叔母上が“白焔”という大規模術式の後継者として養女に迎えた少女なので、当然、アスクレーたちと血縁は無い。
血縁は無いが、家系上は従兄妹になったので、フィオレはアスクレーたちを「兄様」と呼ぶ。
フィオレ自身は下心なく「年上の親族」だから「兄様」と呼んでいる様子で、まるで下心が無いのが感じ取れてしまうだけに、兄はフィオレを気に入っていて、「兄様」と呼ばれる度に眉尻を下げてデレデレになっている。
アスクレーもフィオレを嫌っているわけでは無いが、アスクレーにはフィオレという少女が、よく分からない。
よく分からないから、自分でも意識しているわけではなく距離を取ってしまっていて、今でも、殆ど言葉を交わさないままで居る。