作品タイトル不明
世界 ⑦
「・・・私も質問」
「何だ?」
手を挙げたら、お師様はちゃんと向き合ってくれる。
「・・・地理の授業?」
「地図だけ覚えても意味など無いぞ」
「・・・じゃあ、歴史?」
「一つひとつを個別に教えたがる学者も多いがな。地理上の位置関係と各国の風土や特色、その成り立ちと生産力まで関連付けて知らねば、知識など活きん」
「・・・確かに」
なるほど、地政学か。
まだ森に居た頃にルナリアが「地政学」と口にしていた気がするけど、どこまでが地球準拠の情報で、どこからが異世界常識なのかの線引きが私には分かっていないので、テレサたちが居る手前、迂闊に口には出せない。
「質問は、それだけか?」
「・・・はい」
歴史的価値のある重要な地図まで引っ張り出してきて、どう授業をするのかと思えば、地理でも歴史でも経済学でも無く、地政学だったよ。
お師様が教える傍らで、お婆様が気付いた箇所の補足説明を入れてくださるらしい。
お師様授業は、すごく分かりやすい。
各国と“魔の森”の位置関係から始まって、各国の気候・風土・歴史・主要人種・地域文化・特産品・貿易相手・政治情勢・有力者の個人情報・人間関係まで、あらゆる情報を網羅的に解説し、今後予想される各国の動向まで見解を添えてくれる。
王都で高度な教育を受け続けていたはずのテレサも感銘を受けているようだ。
これは聞く価値が有る「生きた」授業だ。
驚いたことに、この授業方針は、ウォーレス家系代々が改善に改善を重ねて、数百年かけて独自に行き着いた教育方法らしい。
地球の教育現場では高等教育が一般化した影響か、教える側の知識の細分化が進んでいて、複数分野の知識を統合して俯瞰的に教えられる教育者が居ない。
少なくとも、ただの一人も私は見たことが無い。
自分の専門分野ですら、教本片手じゃなければ講義を出来ない教育者しか居なかったのだから、お師様の方が教育者として遙かに優れている。
地理・経済・歴史、と科目を分けて学ぶ日本式の教育よりも、地図で見ながら俯瞰的に教われば隣国との関係性や歴史的背景や経済構造が非常に理解し易いのに、それが出来ないのは、日本の教育者の質が悪いのか、ドクトリンが悪いのか、・・・両方かな。
あの受験対策しか考えていない日本式の詰め込み教育が、外交音痴の官僚や経済音痴の政治家を大量量産する原因になっているのだろうね。
一つひとつの知識を別々に学んで、個々の生徒が自分の中で個別の知識を結び付けて統合するなんて二度手間だし、関連性が理解できないから、せっかくの知識も実社会で活かせなかったり応用できなかったりするんじゃないかな。
私自身も高校を出て社会に出てから学校で教わった知識と実社会の実情に大きな乖離が感じられて、自分の中で摺り合わせるのに何年も掛かった記憶がある。
教える教師の側も、教わる生徒の側も、無駄な遠回りをさせられているようで、本当に勿体ないよね。
そもそも、地政学って学問自体が、地球でも100年ちょっとぐらい前に生まれた考え方だよ。
100年ちょっと前と言えば、日本では欧米列強国の植民地にされないために富国強兵を目指した明治時代の終盤から大正期で、欧米は帝国主義による植民地争奪戦が終盤戦に差し掛かった頃。
重化学工業の発達で輸送力がパラダイムシフトを起こし戦争や戦略の概念が変革した頃に、政治学と地理学を俯瞰的な見地から総合的に考察するために生まれた学問だったはず。
かく言う私も、何かの原材料が高騰したときに取引先の社長さんが日本政府の無策を嘆いていて、社長さんが言っていた言葉をネットで調べて地政学の概要を初めて知ったんだけど、あれこそ学校で時間を掛けて教えるべき学問じゃ無いだろうか。
共産主義に偏った「平和主義」を標榜する学者さんたちが「帝国主義の象徴だ!」とか批判するためのこじつけで日本では焚書に遭った学問だけど、欧米では今でも普通に評価されていて、それって国際感覚音痴の学者さんたちこそが国際感覚音痴の日本人を量産している元凶なんじゃないかと感想を持ったものだ。
地理的条件は「生き物」で時代によって変化するし、そこに住む人間が居て、国家は人間が営むものである以上、地理には経済も歴史も、宗教だって関連している。
しかも、人間は感情を持っているから、個別の知識だけでは国家間や民族間の関係性を学べない。
地球でも欧米は地政学で学ぶ方法に変えている国が増えていたはずだから、お師様たちの教育理論は地球世界でも通用する先進的な考え方だよね。
自分自身が教わる中で、手探りでその学習方法に行き着くのだから、ウォーレス家系の先達たちも本当に凄い。
地図上に書かれた注釈をお婆様が指す。
「御覧なさいな。これはレティア様が直筆されたものよ」
「ほほう!」
「初代様の字!?」
「・・・おお、すごい」
堂々と? デカデカと? 力強い筆跡で紙面のあちこちにインクで手書きされた流麗な文字は、印刷かと思うほどに文字の大きさが整っていて、豪胆かつ繊細で芸術性と知性に満ちた方だったのだろうと伺わせる筆致だった。
文字から人となりを想像しただけだけれど、お師様とそっくりなイメージしか無いね。
テレサも熱心にレティア卿の筆跡を見ていると思ったら、レティア卿は王家でも好意的に語られる王家出身のお姫様の一人だったらしい。
文武に優れた王位継承順位の低い庶子だったそうで、「王宮」を飛び出して各地の戦場を駆け巡り、統一国家崩壊後の混乱期が続く中、王国南部一帯を力尽くで安定させた上で、王都への帰還命令を鼻で笑い飛ばして“魔の森”の最前線に居座った方なのだと。
それでいて、「王家」との関係は一貫して良好だったとか。
なんか、デジャビュな方だね。
誰とは言わないけど。