作品タイトル不明
310 黒髪デビュー
三百十
「あれ、ミラちゃん! 三十分くらいぶりー」
そう言って駆け寄ってきたのは、先程別れたばかりのテレサだった。そう、ミラが思い付いた変装をするのに最適な場所というのは、マジカルナイツの特設会場裏にある撮影スペースだったのだ。
「すまぬが、ちょいと着替える場所を貸してもらえぬか」
そう初めに告げてから、ミラは変装が必要になったと現状について説明した。するとテレサは、何それ面白そうと二つ返事で承諾し、一人分のスペースを確保してくれた。
なお、精霊女王がどのような変装をするのか興味津々なようで、「必要なら手伝うからね」と、そのスペースには当たり前のようにテレサも同室していた。
「まずは、これからじゃな」
なにはともあれ、落ち着いて変装が出来るようになった。ミラは早速、髪染め剤を取り出して鏡に向かう。ペットボトル程度の大きさの容器で色は黒。初めて使うものではあるが、ソロモンいわく髪につければいいだけという話だ。
「あ、それってもしかして『ジーナスリーン』の黒!? 凄い、流石ミラちゃんだね!」
さて染めていこうとしたところで、後ろにいたテレサが興奮気味に声を上げた。どうやら彼女は、ミラが手にする髪染め剤の事を知っているようだ。というより、相当に詳しい様子だった。
「ほぅ、そんな名があったのか」
ミラがそう口にしたところ、テレサは、仮装好き──つまりコスプレイヤーな者達ならば誰もが憧れるブランドだと語った。発色にカラーバリエーション、匂いや使い心地など、全てにおいて完璧な髪染め剤なのだという。
欠点は、ただただ高額である事。なんとミラが手にしているもので、十万リフはするそうだ。
「そんなにしたとは……」
値段を知った途端、生来の貧乏性が顔を覗かせ、僅かにその手を鈍らせる。しかし、だからといって髪の色を変えなければ、変装の効果も半減というものだ。そう決意して、いざ染めようかと再び鏡に向かい合ったところで、ミラは気付いた。
思えば、今まで髪を染めるなどしてこなかったので、やり方をよく知らない、と。ソロモンからは、髪につければいいだけと説明されたが、そもそもどうつけるのか。ハンドクリームのようにすればいいのか。
髪染め剤の蓋を外したところで、悩み固まるミラ。すると、そんな時だ。
「ミラちゃん、それ、私にやらせて!」
控えていたテレサが手伝いを申し出てきたのである。どうやら、使い方に悩むミラの気持ちを察して……とは少々違うようだ。素早く傍に寄ってきたテレサは、あの高級髪染め剤の使用感を是非とも知りたいと、そう熱く語った。更にはプロぶるように輝いた目でアピールする。
コスプレイヤーなテレサは、それだけ場数を踏んでおり、髪を染めるのも既に数十回に及ぶそうだ。加えて『ジーナスリーン』については、いつか来る、来てほしいその日のために、ばっちり使い方の予習をしていたらしい。テレサは完璧に仕上げてみせると豪語した。
「うむ、そこまで言うのならば、頼むとしようか」
テレサの熱意に絆された風を装いながら、承諾するミラ。それでいて、何より思った事は『助かった』であった。何もかも初めてな自分がやるより、テレサに任せた方が綺麗に出来るのは間違いない。よって即答だ。
「ありがとう、ミラちゃん!」
小躍りするほど喜んだテレサは、「道具、取ってくるね!」と言って、早速とばかりにどこかへ飛んでいった。そして少しした後、それはもうドタドタと騒がしく戻ってきた。しかも、ただ髪を染めるだけのはずが、大きなカバンを二つも持参してだ。
「これまた、随分と色々あるのじゃな……」
「ミラちゃんの髪を『ジーナスリーン』で染めるなんて、一世一代の大仕事だからね!」
テレサは、カバンから次々と道具を出しては並べながら、そう意気込みを口にする。どうやら思っていた以上に本格的な作業となりそうだ。
「いざ!」
ミラから恭しく『ジーナスリーン』を受け取ったテレサは、気合十分と、作業を開始した。
「うわぁ、すっごく良い匂いがするよ!」「思ってたより、ずっとトロトロなんだ」「あ、なにこれすっごく伸びる!」「馴染むまでの早さが半端ない!」「こんなに綺麗な発色、見た事ないよ!」「ああ……これが『ジーナスリーン』なんだね……」
各道具を巧みに操り、ミラの髪を染め上げていったテレサ。その腕前は本人の言葉通りにプロ級であり、色むらなど一切なく、仕上がりは完璧の一言に尽きるものだった。
「おおー、結構変わるものじゃな」
テレサが見事に仕上げた黒髪を鏡で確認したミラは、今までの自分でありながら自分でないように見えるその雰囲気に感嘆の声を上げた。
プラチナのように煌いていたミラの髪が、今は黒曜石の如く艶めいている。これならば、きっと直ぐに見破れる者はいないだろう。髪の色一つでも、そう確信出来るほどに印象は変わっていた。
「自分では、こうはいかんかったじゃろう。お主には感謝せねばな」
満足気に立ち上がったミラは、そうテレサに礼を述べる。対してテレサもまた「こちらこそだよ」と、満ち足りた様子で礼を返した。そして貴重な体験が出来たと言って、今度皆に自慢するんだと笑った。
「さて、残るは服じゃな」
今一度、鏡で自身を確認したミラは、これで服を着替えれば、気付かれる事なくメイリン捜しに集中出来るだろうと確信する。そして、用意しておいた変装用の衣装を取り出した。
その衣装は、ミラが自分で用意したものだ。
変装のために着る、その服。リリィ達が何やら暗躍していたが、彼女達に任せると変装用でありながら素晴らしい一点ものを作ってしまうのは確実だった。
変装に必要なのは、一般人に紛れ込むような、普通さ、である。よってミラは、自らありきたりな服屋に赴き、至って普通な服を選び購入してきたのだ。
「これできっと、誰もわしとわからぬじゃろう」
その場でぱっと服を脱いだミラは、手早く変装用の服に着替える。だが、それだけではまだ終わらない。更にファッション眼鏡を取り出したのだ。そして、眼鏡を掛けた姿を鏡で確認し、完璧だとほくそ笑む。
「どうじゃ、わしじゃと気付けるか?」
自信満々に振り返ったミラは、そうテレサに判定を求めた。
するとだ。その瞬間、テレサはどこか現実を見ないようにしているような、明言を避けたそうな顔を浮かべた。だが、それも束の間。彼女は取り繕うように……頬を引きつらせながらも微笑み、「うん、絶対に気付けないと思うよ」と答える。
「そうじゃろう、そうじゃろう!」
テレサが言うのだから間違いない。これで、堂々と表を歩けそうだ。そう自信を持ったミラは、「世話になったな」と言って歩き出す。
テレサは、その後姿を見ながら大いに狼狽えていた。その原因はミラの服にある。早い話が、それは驚くほどにダサかったのだ。精霊女王だとバレるバレない以前に、あれでは可哀想な女の子になってしまうと、テレサは予感していた。
「待って、ミラちゃん!」
だからこそ、テレサは呼び止めた。そして呼び止めてから、何か最善の手はないかと全力で考える。センス云々でミラの事を傷つけず、それでいてまともな服に着替えてもらう方法はないかと。
「む? なんじゃ?」
どことなく鬼気迫るような声に振り向いたミラ。テレサは、にこやかな笑顔を顔に貼り付けたまま、やんわりとした口調で次の言葉を告げた。
「実はね。今、新しいシリーズを開発中で、そのテーマが『日常』っていうもので、今のミラちゃんが目指すものにぴったりなの。それでね、えっと、まあ折角だからとってくるね! 待っててねミラちゃん。絶対に待っててね!」
テレサは理由を並べた後、ここで待っていてほしいと繰り返してから部屋を飛び出していった。
「ふむ……。どういった代物なのじゃろうな」
魔法少女風衣装の火付け役であるマジカルナイツが開発中の新作。日常をテーマにした衣装とは、どのようなものなのか。少しだけ気になったミラは、テレサに言われた通り、素直にその場で待つ事にした。
「ミラちゃん、お待たせ!」
テレサは少しして、またもやドタドタと騒がしく戻ってきた。そんな彼女が抱えているのは、一つの衣装ケース。戻ってくるなり、早速そのケースを開いて、中に入っていた服を取り出してみせた。
「じゃじゃーん。これでーす」
その服は、至ってシンプルなデザインに見えた。リボンがアクセントのブラウスに、黒のスカートという組み合わせであり、会場でやっていたファッションショーとは大きく違った印象があった。
「ほぅ……なんというか、確かに日常的な感じじゃのぅ」
魔法少女風の服とは対照的に主張はなく、それでいて可愛らしくも一般に溶け込めるだろう柔軟さを兼ね備えた服。マジカルナイツでありながらの意外性を受けて、ミラは感心したように、それを見つめる。
だが、マジカルナイツの事である。こういった衣装にも、何かあるのだろうと勘ぐるミラは、そこのところはどうなのかとテレサに問うた。
「えっと……それはまだ部外秘で詳しくは話せないんだけど──」
そう前置きしたテレサは、持ってきたこの服について少しだけ語った。これは、日常をテーマにした新作のデザイン選考会に提出したものの、落選してしまったものであると。
「ただのデザイン段階で戻ってきたものだから、普通の服だよ。それでね、ミラちゃん。このまま袖を通さないのは、ちょっと寂しいかなって思って……」
落選したものの、頑張って作ったものだからと微笑むテレサ。今の服のまま、ミラを外に出すわけにはいかないという理由が第一だが、彼女にとって、日の目を見ずに終わる寂しさというのもあるようだ。
折角だから、ミラに着てほしい。そう控え目に主張しながらも、テレサの目には僅かな期待が浮かんでいた。
「うむ、わかった。そういう事ならば、着させてもらおうではないか」
そんな彼女の想いを受けとめたミラは、特に抵抗もなくその申し出を承諾した。衣装のデザインもだが、王城の侍女達に比べ、あまりにも控え目なテレサに好印象を抱いたからである。
「ありがとう、ミラちゃん!」
純粋な感じで喜ぶテレサに、ミラは「構わぬ構わぬ」と微笑み返しつつ、早速着替えを始めた。
テレサの手際はよく、寸法の調整などは十分もせずに終わった。そうしてミラはセンス皆無な状態から、ようやく一般的ながら可愛らしい服装への進化を遂げたのだ。
なお、テレサが部外秘とした事。それは、この『日常』シリーズの完成形についてだ。
日常状態から魔法少女風に変化するという、つまりは『変身』という魔法少女らしい驚きのギミックが組み込まれるというものであった。