作品タイトル不明
第4話
《ラ・ロゼルージュ》
王都中央、石畳に面した瀟洒な二階建ての店。
表向きは一流の仕立て屋。
だが、その選定と企画を担うのは――クラリスである。
一階は仕立て工房と応接。
二階は、選ばれた客のみを通す私的サロン。
今宵、そのサロンは柔らかな灯りに満ちていた。
壁沿いには、仕立て上がった見本と、刺繍途中の試作が並ぶトルソーが静かに立つ。
奥の長卓には、織り見本と染め見本が整然と置かれている。
布は光を受け、静かに艶を宿していた。
――ラ・ロゼルージュ、新作披露の夜会である。
令嬢たちは他店の最新流行か家の正装で武装し、
家長たちは壁際で静かに視線を巡らせ、
商会関係者は目立たぬ位置から反応を窺っている。
弦の三重奏が、低く流れる中、
クラリスが現れた。
深紅に金糸を忍ばせたドレスが、
燭台の光を受けてゆらりと揺れる。
広間の中央、円卓の灯りが最も落ちる場所に、
迷いなく立った。
令嬢たちの息が、わずかに止まる。
「まあ……」
「素敵……」
クラリスは、扇をゆるやかに開いた。
「本日は《ラ・ロゼルージュ》新作披露の席にお運びいただき、ありがとうございます。
お似合いの一着は、必ずございますわ。どうぞごゆるりとお選びくださいませ」
拍手が起こり、クラリスに注目が集まる。
羨望、計算、憧れ――すべてを含んだまなざし。
その視線を受け、クラリスは自然と微笑んだ。
(悪くないわね)
わずかに顎を引き、
扇を胸元へ添えて、静かに一礼する。
今宵は――
クラリスの独壇場であった。
◆
令嬢たちが散り、
ドレスや布の前には自然と人だかりが生まれていた。
「まあ、この光沢見て」
「本当……指が滑るわ」
「こちらの色、陽の下で見たらもっと綺麗でしょうね」
「ええ。夜会用には少し惜しいくらい」
布に触れるたび、かすかな絹の音が重なる。
「この刺繍……細かいわ」
「王都の織元ですって。さすがですわね」
控えていたマリアが、静かに目を細める。
「皆様、夢中でございますわね」
その声音に、わずかな誇らしさが混じる。
クラリスは中央の席に腰を下ろし、
ゆっくりと扇を閉じた。
「ええ。悪くない反応だわ」
その背後に、気配を消すように支配人が近づいた。
「……今回は、少々大胆ではございませんか」
「何が?」
「顔ぶれが、でございます。
旧来の家と、新興の家と……。
もし荒れましたら、当店の名に傷がつきます」
クラリスは、支配人の視線の先を追った。
「素敵なお色ですわね。……お似合いになる方が限られそうですけれど」
「ええ。でも流行は移ろいますもの。
長くお召しになるなら、こちらの方が賢明では?」
笑みは崩れないが、声の底がわずかに冷える――小さな火花が散っていた。
クラリスは、くすりと笑った。
「面白いじゃない」
扇の先で、群れをなぞる。
「勝手に争わせておけばいいのよ」
支配人は、一瞬だけ言葉を失う。
「ラ・ロゼルージュの名は、
誰かの機嫌で傷つくほど、軽くはないでしょう?」
支配人は深く頭を下げた。
「……仰せの通りに」
クラリスは再び視線を前へ戻す。
(さて……)
旧来の伯爵令嬢が、新興の娘を値踏みしている。
その隣では、商会の令嬢があえて高価な絹を選び直した。
火種は、いくつもある。
誰に声をかければ、
場が一段上がるか。
あるいは――一度、揺らすか。
そのとき――
「……クラリス様」
背後から、控えめな声がかかった。
クラリスはゆっくり振り返る。
「あら、シェリア様?」
淡い色のドレスを纏った令嬢が、
一歩近づいた。
「先日の夜会は……その……
お気遣い、ありがとうございました」
クラリスは扇子をゆるやかに揺らした。
「あら、わたくしは
お気遣いというほどのことはしておりませんわよ」
シェリアは、かすかに首を振る。
「疑いが晴れたことよりも……
あの場を止めてくださったことに、感謝しております」
一瞬、言葉を探す。
「わたくし一人では、何も変えられませんでしたから」
クラリスは目を瞬かせ、少しだけ視線を柔らかくした。
「重く受け取る必要はありませんわ。
それよりも。
今宵を楽しんでくださる方が、わたくしは嬉しいの」
シェリアは目を見開き、そして微笑んだ。
「はい……」
そのとき、クラリスの視線がふと落ちた。
「あら、素敵な布ですわね」
シェリアは一瞬驚き、それから答えた。
「ありがとうございます。
実家の商会で扱っている反物から仕立てました」
指先で、そっと袖を撫でる。
「古典柄ではございますけれど……
織りも染めも、昔から変わらぬやり方で」
クラリスの瞳が、わずかに細まる。
「……ふうん」
「クラリス様」
支配人が、音を立てずに近づく。
「少々、お耳に入れたいことが」
クラリスは、シェリアへ視線を戻す。
「では、ごきげんよう。
今宵は、よい夜を」
「はい」
シェリアは深く一礼する。
クラリスが背を向けると、
深紅の裾が灯りをかすめた。
そのやり取りを――
少し離れた位置から、
静かに見ている影があった。