軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第5話

シェリアは、壁際に並ぶ反物を一つひとつ丁寧に見て回っていた。

指先でそっと撫で、織り目を確かめる。

灯りの角度を変え、色の沈み具合を見る。

「……この染め、深いのね」

独り言のように呟いた、そのときだった。

「まあ。随分と落ち着いたお色をお選びですのね」

華やかな笑い声とともに、派手な柄のドレスが横に並ぶ。

振り向けば、取り巻きを従えたソフィアが立っていた。

艶のある絹に大胆な模様。目を引く装いである。

「こんばんは、ソフィア様」

シェリアは穏やかに一礼した。

取り巻きの一人が、袖を眺めながら言う。

「今年はもっと明るい色が主流ですのに」

「灯りの下では、少し重く見えはしませんこと?」

シェリアは自分の袖を軽く摘んだ。

「古典柄ですから……。そのかわり、流行には左右されませんわ。

灯りの下では、深い色のほうが締まって見えますの」

だが取り巻きは、くすりと笑う。

「まあ、理屈は素敵ですこと」

「夜会は……理屈より印象が先に立ちますでしょう?」

ソフィアが一歩前へ出た。

「ええ。印象ですわ。

結局……目に留まるかどうか、ではございません?」

周囲の令嬢たちが小さく頷く。

シェリアは一瞬、言葉を探した。

間違ったことは言っていない。

けれど、場の流れはもう傾いている。

「……そうですわね」

わずかに視線を落とす。

「あら?ですが――」

取り巻きの一人が、わざとらしく首を傾げた。

「先日の夜会では……少しお元気がないように見えましたの」

小さな笑いが広がる。

「ええ……灯りのせいかしら?」

「それとも……お色のせい?」

シェリアの指先が、わずかに布を強く摘んだ。

「……あの件は、すでに――」

「もちろん存じておりますわ」

ソフィアが微笑む。

「疑いは晴れたと伺っておりますわ。

ですけれど、一度ついた印象はなかなか消えませんもの」

周囲が、静かに頷く。

「夜会は理屈ではなく、印象――でしたわね?」

取り巻きの声が重なる。

「ですから、目立つお色をお選びになればよろしいのに」

シェリアは口を開きかけ、閉じた。

一方その頃。

「……意外でしたな」

旧来のローデン伯爵が、低く言う。

「貴家が、我が家の宮廷装飾契約に関心を示すとは」

新興のヴァルツ子爵は微笑む。

「来春の王宮祝宴。

銀器、燭台、装花、楽団――すべて別契約では効率が悪うございます」

「我が家は装飾監修の権を持つ。

だが、資金の立て替えは重い」

「そこを我が商会が担います。

海外からの染料とガラス器も、我が流通で一括調達可能です」

「王宮への紹介状は、我が家が持つ」

ヴァルツ子爵の目が細まる。

「名義は伯爵家で結構です。

ただし、提案書は連名。

署名は同列に」

伯爵は沈黙する。

「監修は貴家。

調達と会計は我が商会。

いずれも一方の承認なくしては進めぬ」

「宮廷報告は“共同提案”。

利益は五分」

しばしの間。

伯爵はゆっくり頷く。

「……形式と実務、どちらも対等。

よろしい」

「それで十分でございます」

「……悪くない」

伯爵が呟いた、そのとき。

クラリスがゆるやかに輪へ近づく。

「まあ。随分と具体的なお話になっておりますのね」

ローデン伯爵がわずかに口元を緩めた。

「ええ。公爵令嬢の場が整えてくださったおかげで」

クラリスは扇を閉じる。

「場は整えましたが、決めるのは皆様でございますわ」

クラリスが軽く首を傾げる。

「祝宴の一括調達は確かに効率的。

ですが――」

二人の視線が揃う。

「宮廷の催事でございます。

殿下のお耳に入れずに進めるわけにはまいりませんわ」

伯爵がゆっくり頷く。

「無論」

子爵も応じる。

「提案として、整えてお持ちいたします」

クラリスは微笑む。

「ええ。提案として。

殿下は、公益に適うものをお選びになりますもの」

二人は目を合わせる。

ローデン伯爵が、ゆっくりと手袋を整えた。

「では、提案書を整えましょう」

ヴァルツ子爵も静かに頷く。

「連名で」

侍者が差し出した葡萄酒の杯。

二人はわずかにそれを掲げ、縁を触れさせる。

クラリスはわずかに顎を引き、口角を上げた。

支配人がそっと耳打ちする。

「……壁際で、少々」

クラリスの視線が静かに流れる。

ちょうどそのとき。

「古典柄は、少々古くさくございません?」

小さな笑い。

「……は?」

クラリスの扇がぴたりと止まる。

(わたくしの美的感覚に異を唱えるの?)

クラリスは歩み出る。

「まあ。

その反物、先ほどわたくしが美しいと申し上げましたのに」

令嬢たちの動きが止まる。

ソフィアが笑みを保つ。

「公爵令嬢のお好みは、少々お堅いのではなくて?」

クラリスは、扇を閉じる。

「ええ。長く残るものが好きですの」

シェリアに向き合う。

「シェリア嬢、あなたの家の商会から、反物を注文してもよろしくて?」

シェリアは目を見開いた。

「……わたくしどもの、ですか?」

「ええ」

クラリスは穏やかに続ける。

「来季の新作に、古典柄を一部組み込みたいと思っておりますの。

大量ではございませんけれど、確かな織りを求めておりますわ」

取り巻きの顔色が変わる。

ソフィアが口を開く。

「ですが、それでは――」

「流行は作るものですわ」

クラリスは静かに遮った。

「消費するだけでは、商いは育ちませんもの」

扇を閉じる音が、ひとつ。

「それに――」

わずかに視線を巡らせる。

「古い、と笑われるものほど、長く残りますの。

軽いものは、灯りが落ちれば消えますわ」

空気が凍る。

クラリスは振り返る。

「支配人、後日、正式な見積もりを」

「かしこまりました」

「それでは――この後もお楽しみくださいませ」

ドレスを翻し、クラリスは去る。

ソフィアも取り巻きも、言葉を失ったまま。

シェリアは、ただ深く頭を下げる。

その背に、静かな震えがあった。

廊下へ出たところで、支配人がそっと声を落とす。

「……あの家は王妃派でございます」

「ええ。ですから?」

「お取り引きが、政治に響くかと」

「関係ありませんわ」

クラリスの足が止まる。

「良い物を選ぶのに、派閥など必要ございません」

クラリスが振り向く。

「わたくしは、良いものを良いと申し上げただけです。それが揺らぐことはございませんわ」

支配人は深く頭を下げる。

「承知いたしました」

クラリスは前を向く。

彼女は、政治で動くのではない。

ただ――

己の美を否定されたときだけ、容赦がない。