作品タイトル不明
第17話
夜会当日。
ルシアンは、支度の最中だった。
正装の上着を整え、袖口の皺を伸ばす。
侍従が忙しなく動き回り、
香と金具の音が静かに交錯している。
扉が、軽くノックされた。
「殿下?」
聞き慣れた声に、ルシアンは顔を上げる。
「……クラリス?」
扉が開き、クラリスが顔を覗かせた。
「もう少しかと思いましたけれど。
準備、順調そうですわね」
「ああ。そろそろ――」
言いかけたところで、
クラリスがじっとこちらを見る。
「……なにか?」
「うふふっ」
意味ありげに笑ってから、
指先で示す。
「そのお色味、とってもお似合いですわ♡
わたくしの見立てた通りですの」
「……そうか」
ルシアンは視線を逸らした。
胸の奥に、言葉にできない違和感が残る。
「それで?」
今度はクラリスが、
自分の番だと言わんばかりに一歩下がる。
「わたくしは、いかがです?」
くるりと身を翻す。
裾がふわりと広がり、
深い真紅のドレスが光を受けて揺れた。
「……よく、似合っている」
クラリスは満足そうに頷いた。
「ありがとうございます♡」
そう言って、
当然のように、ルシアンの腕に手を添える。
「では、参りましょうか」
「……うん」
二人は、並んで歩き出した。
回廊を進むにつれ、
音楽が近づいてくる。
光と人の気配が、少しずつ濃くなる。
夜会は、すでに始まっていた。
◆
広間のざわめきが、すっと静まった。
音楽が止み、人々の視線が前方へ集まる。
王太子は、ゆっくりと一歩前に出た。
「本日は、よくお集まりくださいました。
この夜会が、皆様にとって実りある交流の場となることを願っております」
国を支える貴族たちへの感謝。
今宵が、親睦と交流のための場であること。
「……無難なあいさつですわね」
クラリスが、小さく囁いた。
「? ああ……」
ルシアンは曖昧に応じる。
拍手が起きる。
だが、その音は短く、熱を伴わない。
(……なんだ?)
ルシアンは、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。
胸の奥に、言葉にならない引っかかりが残る。
夜会は、そうして始まった。
人々は席を立ち、談笑の輪を作っていく。
新興貴族は、自然と前へ。
旧貴族は、一歩引いた位置で様子をうかがう。
ルシアンの提出した席次はこうだった。
新興を最前列に。
旧貴族をその後ろへ。
非王妃派は、後段に混在。
同じ王妃派の中に、上下をつけた配置。
王妃派である以上、表立って反発はできない。
夜会という場では、不満は抑えられる。
噴き出すことはない――はずだった。
「……おかしい」
その時、隣で小さく笑う声がした。
「……ちゃんと、形にはなっていますわね」
クラリスだった。
扇を軽く揺らしながら、広間を見渡している。
その表情には、余裕がある。
「宰相たちが、イレイナ様を手伝ったのでしょう。
段取り自体は、崩れていませんわ」
扇を閉じ、肩をすくめる。
「ただ――
“今日は何を前に出す夜会なのか”が、
誰にも示されていませんわね」
視線だけで、広間を示す。
「本来なら、
王太子殿下が最初に立って、
“今宵は新興と旧来を繋ぐ場だ”とか、
“功績を称える夜だ”とか……
方向を与えるべきでしたのに」
ルシアンは答えず、改めて広間を見渡した。
新興貴族は、前列に集まりながらも、
旧貴族の方をちらちらと窺っている。
旧貴族は、誰かが声をかけるのを待つように、
杯を手にしたまま動かない。
誰に話しかけ、誰と組んでいいのか。
――誰も、判断材料を与えられていない。
「今回なら――」
クラリスは、扇の先で前方を示した。
「王太子殿下が、
旧貴族の代表格を最初に呼び、
イレイナ様が新興の有力者を伴って紹介する。
それだけで、流れは決まりますわ」
「……だからか」
ルシアンは、視線を広間の奥へ移した。
王太子は、すでに数名の貴族に囲まれていた。
「それは結構な話だ」
「今後も、王家として支えていきたい」
どれも無難で、角の立たない言葉ばかりだ。
その様子を見て、クラリスがわずかに眉をひそめた。
「王太子殿下ったら……
本当に、無難なことしかお話しになりませんわね」
小さく息を吐き、肩をすくめる。
「以前でしたら、
わたくしが横から話を掘り下げておりましたけれど」
その少し離れた場所に、イレイナの姿があった。
新興貴族の一団に囲まれ、
一人ひとりに向き合うようにして、懸命に言葉を選んでいる。
「ええ……本日は、お越しいただきありがとうございます」
「夜会は、まだ始まったばかりですから……」
応対は丁寧だった。
しかし、夜会としての機能は果たしていない。
誰かを引き合わせることもなく、
ただ、一人ひとりに丁寧に応じているだけだった。
「……なるほど」
ルシアンの呟きに、クラリスが小さく頷く。
「ええ。
慣れていらっしゃらないのですもの、仕方ありませんわ」
扇を軽く閉じる。
「それに――
紹介も、誘導も、
誰が誰で、何を期待されているのかが分からなければ、
できませんもの」
ルシアンは、静かに息を吐いた。
――だから、場が動かないのだ。