軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話

クラリスは、扇を軽く閉じた。

「……少し、失礼いたしますわ」

そう囁いてから、

ためらいなく一歩前へ出る。

向かった先は、

広間の端で杯を手にしたまま動かない、

旧貴族の一人――

王都でも発言力を持つ、穏健派の伯爵だった。

「ご機嫌よう、伯爵」

名を呼ばれると、伯爵はわずかに目を見張る。

「これは、エルヴァン公爵令嬢」

クラリスは、軽く一礼する。

「今宵は、お目にかかれて光栄ですわ。

ちょうど――

ご紹介したい方がおりまして」

視線をずらす。

そこにいたのは、

新興貴族の中でも、

実務と資金を握る人物だった。

「こちらは、ブラウン伯。

近頃、北方の交易で成果を上げていらっしゃいますの」

双方が、わずかに表情を変える。

「そして――」

クラリスは、半歩だけ下がり、

自然な仕草で前を示した。

「第二王子殿下。

今宵の席次をお決めになったお方ですわ」

場に、ほんの一瞬の間が落ちる。

だが次の瞬間、

伯爵が杯を置き、口を開いた。

「……殿下。

一言、ご挨拶を差し上げても?」

ルシアンは、わずかに背筋を正した。

――渡された。

そう理解するより早く、

身体が先に反応していた。

「……恐れ入ります。

今宵はお越しいただき、ありがとうございます」

(……助け舟、ではないな)

ルシアンは横目でちらりとクラリスを見る。

(前に出る場所を渡された。

あとは――自分で立て、ということか)

会話は、そのまま自然に続いていく。

新興と旧来。

互いの探り合いを含んだ言葉が交わされ、

場には、かすかな動きが生まれ始めていた。

少し離れた位置で、

クラリスはそのやりとりを眺めている。

(うふふ、緊張気味の殿下かわいいですわ♡)

――ただし。

それは、あくまで自分の目の保養のためである。

「お話できてよかったです」

「今宵は、いい夜会になりそうですね」

そう言って、会話は終わった。

ルシアンは杯を置き、深く息を吸う。

(……なんとか、形にはなったか)

視線を巡らせると、

先ほどまで動かなかった広間に、

いくつかの小さな輪が生まれている。

旧来と新興。

距離はまだあるが、

完全に背を向け合ってはいない。

その中に――

クラリスの姿もあった。

自然に輪に入り、

扇を手に会話を回し、

周囲を笑わせている。

(……今、戻るべきか?)

声をかけるか。

それとも、このまま別の輪へ向かうか。

判断に迷った、その時。

「ルシアン殿下」

背後から、控えめな声がかかった。

振り返ると、

淡い色のドレスを纏った令嬢が、

穏やかに一礼している。

「……クラーラ?」

「今宵は、とても落ち着いた夜会ですね」

「……ああ。

そう言ってもらえると、助かる」

「殿下が前に立たれてから、

皆さま、少し安心なさったように見えました」

その言葉に、

ルシアンは一瞬だけ目を瞬いた。

「……そう、だろうか」

クラーラは静かに微笑む。

(……変わらないな)

ルシアンは、無意識に視線を巡らせた。

少し離れた輪の中で、クラリスはまだ会話を回している。

「今宵の席次ですが……

上のご意向が、

ずいぶんとはっきりしているように感じましてな」

「ほほ……

夜会というのは、

そうした空気が映りやすい場ですもの」

笑い声が上がり、扇が軽く揺れた。

(……まだ、話は続いてるみたいだな)

ルシアンはクラーラに向き直し、苦笑して言った。

「……立派に、見えたか?」

クラーラは、少しだけ間を置いた。

「はい。

正直に申し上げれば――」

それから、静かに頷く。

「“戻ってこられた”のだと、思いました」

その瞬間、

ルシアンの指が、杯の縁で止まる。

「……そうか」

そして、ぽつりと落とした。

「……いや、実は――」

言葉を探すように、

視線を床へ落とす。

「戻った、というより……

隠れ損ねただけだ」

「……殿下?」

「本当はな」

低く続ける。

「公爵家の陰に入って、

面倒なことから一歩引いていられれば、

それで良かった」

クラーラの瞳が、わずかに揺れた。

「前に出たいとか、

何かを成したいとか……

正直、今も、あまりない」

言ってから、

自嘲気味に口元を歪める。

「……逃げたい、と思っている」

クラーラは、言葉を置いた。

夜会のざわめきが、

二人から少し距離を取る。

それから、静かに口を開く。

「……でも」

そっと、続ける。

「それでも、

殿下は前に出られました」

「出たくて、じゃない」

即答だった。

「出ないと、

もっと厄介になると思っただけだ」

それから、ほんの一瞬だけ、

視線を上げる。

その先には――

扇を手に、誰かと談笑するクラリスがいた。

「……あの人は、

前に立つのが当たり前の人だ」

「はい」

「だから――

横にいれば、

逃げ道が塞がる」

クラーラは、思わずその言葉を飲み込んだ。

(守ってくれる場所ではなく、

立たされる場所なのね)

「……それでも」

クラーラは、静かに微笑んだ。

「殿下は、

逃げなかった」

「……逃げ切れなかっただけだ」

クラーラは、一歩距離を詰める。

「それは――

昔の殿下には、

できなかったことですわ」

ルシアンは、何も言い返せなかった。

しばらくして、

ようやく小さく言う。

「……そうかもしれないな」

クラーラは、何か言いかけて――

ふと、言葉を止めた。

広間の一角から、

ざわめきが広がってくる。

二人の意識が、

同時にそちらへ向いた。

「……」

言葉は、そのまま置き去りにされた。