作品タイトル不明
殿下、その総括済は免責ではありません
さらに二十八日後。
王太子府(おうたいしふ) 内部改善研修(ないぶかいぜんけんしゅう) の、総括確認日。
日程室の 受付簿(うけつけぼ) には、 例外処理有無(れいがいしょりうむ) の隣に、新しい仮欄が置かれていた。
総括・ 免責区分(そうかつ・めんせきくぶん) 。
ノエルは、その欄を見て、少しだけ首を傾げた。
「総括と免責は、違うのですか」
「違います」
私は予定表を開く。
「総括は、何があったかを整理することです。免責は、責任を問わないと決めることです」
「総括したら、終わるのでは」
「終わるものもあります。でも、責任まで消えるとは限りません」
ベネット 卿(きょう) が 決裁印(けっさいいん) の箱を開ける。
「総括済は、便利な幕だ。幕の裏に何を残すかを見ろ」
午前八時四十分。
王妃陛下秘書官室(おうひへいかひしょかんしつ) から、 封書(ふうしょ) が届いた。
ノエルが受付簿を開く。
「 差出部署(さしだしぶしょ) 、王妃陛下秘書官室。件名、王太子府内部改善研修総括確認について。受付印あり。 回議番号(かいぎばんごう) あり。 封緘(ふうかん) あり」
ベネット卿が封緘を確認し、開封する。
文面は、いつもより一行だけ長かった。
本日、王太子府より内部改善研修に関する 総括報告書(そうかつほうこくしょ) が提出される見込み。
日程室は、日程および手順上の確認に限り対応すること。
確認事項。
一、総括対象期間が明記されていること。
二、根拠分類、確認責任者、例外処理欄の継続記録が反映されていること。
三、総括済、対応済、改善済等の表現が、免責または追加照会不要と混同されていないこと。
四、残存課題、継続確認日、所管部署、戻し先が明記されていること。
五、関係職員個人への謝意、反省、説明、所見要求を総括報告書に接続しないこと。
最後の一行で、私は指を止めた。
接続しないこと。
もう、その一文は最初から入っている。
「今日の主眼は」
ベネット卿が聞く。
「総括と免責の分離です」
「王太子府は何を出してくる」
「おそらく、総括済。追加照会不要。あるいは、関係職員への謝意を添える形です」
「だろうな」
ベネット卿は淡々と頷いた。
「終わらせたい側は、最後に綺麗な言葉を添えたがる」
午前九時五分。
王太子府から、総括報告書案が届いた。
ノエルが封書を受け取る。
「差出部署、王太子府。件名、内部改善研修に関する総括報告書案。受付印あり。回議番号あり。封緘あり。宛名は 王宮儀典日程室統括官(おうきゅうぎてんにっていしつとうかつかん) 」
ベネット卿が開封する。
紙は厚かった。
これまでの運用記録、確認記録、例外処理欄の写しが添えられている。
見た目は、整っていた。
私は本文を読む。
王太子府内部改善研修総括報告書案。
対象期間、研修実施日より本日まで。
対象手順。
一、口頭依頼の受付停止。
二、費用負担元未確認の変更依頼停止。
三、称賛、 謝意(しゃい) 、 反省表明(はんせいひょうめい) の個人名接続禁止。
四、実在職員の経験の教材化禁止。
五、例外、 特例(とくれい) 、 臨時扱(りんじあつか) いの記録義務化。
ここまでは問題ない。
私は次の段へ視線を移した。
総括。
以上の改善手順は、王太子府内において運用定着を確認済。
本報告をもって、一連の改善対応を総括済とし、旧来運用に関する追加照会、責任確認、関係職員への確認依頼は不要とする。
なお、日程室主任調整官代理リディア・クラウゼン嬢には、王太子府一同より深甚なる謝意を記録する。
羽根ペンを持つ指が止まった。
総括済。
追加照会不要。
責任確認不要。
謝意。
全部、同じ紙の上に載っていた。
「分類しなさい」
ベネット卿が言う。
「王太子府内部改善研修に関する総括報告書案です」
「問題は」
「総括と免責が混同されています」
「続けて」
「改善手順の総括は可能です。しかし、それをもって旧来運用に関する追加照会、責任確認を不要とすることはできません。免責効果を発生させる権限は、王太子府の総括報告書にはありません」
「謝意は」
「関係職員個人名への接続です。不可です」
ノエルが、総括・免責区分の仮欄を開く。
総括対象。
残存課題。
継続確認日。
免責効果有無。
追加照会可否。
個人名接続可否。
戻し先。
所管部署。
まだ線は薄い。
けれど、今日の紙にはそれが要る。
「返案を起案しなさい」
「はい」
私は羽根ペンを取った。
王太子府宛て。
内部改善研修に関する総括報告書案について。
総括対象期間、対象手順、各確認記録の添付については記載あり。
ただし、総括文案において、総括と免責の混同が認められる。
総括は、対象期間中に実施された改善手順、確認記録、例外処理、残存課題を整理する文書である。
免責、責任確認の終了、追加照会不要の決定は、総括報告書によって当然に発生するものではない。
よって、以下の文言は削除または修正を要する。
一、「旧来運用に関する追加照会、責任確認は不要とする」
二、「関係職員への確認依頼は不要とする」
三、「リディア・クラウゼン嬢への謝意を記録する」
修正文案。
本報告は、王太子府内部改善研修後の運用記録を総括するものであり、旧来運用に関する免責、責任確認の終了、追加照会の遮断を意味しない。
必要な照会は、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室の所管に従い、各規定に基づき行う。
関係職員個人への謝意、反省、説明、所見要求は、本総括報告書に接続しない。
残存課題。
処理中案件一件。
例外申請に関する継続確認一件。
次回確認日、二十八日後。
戻し先、王妃陛下秘書官室指定窓口。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
書き終える。
ベネット卿は、文面を上から下まで読んだ。
「よい」
「はい」
「免責効果有無を明記したな」
「はい。総括済だけでは、何が消えるのか、何が残るのかが分かりません」
「謝意の削除は」
「個人名接続です。ここで載せれば、最後にまた人へ戻ります」
ベネット卿の目が少しだけ冷える。
「残せ」
統括官決裁印(とうかつかんけっさいいん) が押された。
午前九時三十八分。
ノエルが封緘する。
王太子府へ正本。
王妃陛下秘書官室、 法務官室(ほうむかんしつ) 、 会計監査室(かいけいかんさしつ) へ写し。
搬送者、ノエル。
「走るな」
「はい。急ぎますが、走りません」
ノエルは早足で出ていった。
午前十時九分。
ノエルが戻ってきた。
「王太子府、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室、すべて受領印あり。王太子府から口頭伝言はありません」
「よろしい」
ベネット卿が頷く。
ノエルは少しだけ言いにくそうに続けた。
「ただ、王太子府の書記官が、総括なのにまだ残るのですか、と言いかけました」
「どう返した」
「残るものは、残存課題欄へ、と」
「余計な説明は」
「していません」
「よろしい」
私は控えを見る。
残るものは、残存課題欄へ。
それでいい。
午前十時四十分。
会計監査室から通知が届いた。
内部改善研修総括報告書案について、日程室返案の方針を妥当とする。
費用負担、臨時支出、後日精算に関する旧来運用の責任確認は、総括報告書によって終了しない。
処理中案件および照会中案件については、所管部署、金額、判断者、次回確認日を記載すること。
「総括済」をもって会計上の免責効果を生じさせる記載は、監査上不可。
私は、その最後の一文に触れた。
乾いた黒いインクが、総括という幕の裏側を机の上へ引き戻していた。
午前十一時十分。
法務官室からも通知が届いた。
内部改善研修総括報告書案における免責表現について。
日程室返案の分類を採用可。
今後の総括文書において、以下の区分を設けることを提案する。
総括対象。
総括対象外。
残存課題。
継続確認日。
免責効果有無。
責任確認継続有無。
追加照会可否。
個人名接続可否。
戻し先。
所管部署。
ノエルが、その十項目をすぐに控える。
「総括対象、総括対象外……」
彼が呟きながら、下書きの紙へ二本の太い線を引いた。
削られた羽根ペンの先が、微かな音を立てて机の上に黒い線を残していく。
私は、そのインクの渇きを静かに見つめた。
午前十一時四十分。
王妃陛下秘書官室から、中間承認が届いた。
内部改善研修総括報告書案について、日程室返案、会計監査室通知、法務官室通知を踏まえ、王太子府へ総括・免責区分の追記を求める。
本日午後一時半までに修正版を提出すること。
日程室は、修正版の手順確認のみ行うこと。
また、関係職員個人への謝意、反省、説明、所見要求を総括報告書に接続しないことを再確認する。
午後一時半。
今日も、期限は赤線になった。
正午。
私は 文官携行食(ぶんかんけいこうしょく) を食べた。
無塩(むえん) の 硬餅(かたもち) 。
乾燥果実。
水。
ノエルは机上の公文書を避け、自分の席で硬餅を 齧(かじ) っていた。
「総括は、しまうことですか」
「似ています」
私は少し考えた。
「ただし、棚を間違えると、あとで取り出せなくなります」
「免責の棚に入れてしまうと」
「責任が見えなくなります」
ノエルは硬餅を見つめる。
「だから、棚の名前が要るのですね」
「はい」
食後、水場で指先と口元を洗い、 麻布(あさぬの) で拭き、机を 刷毛(はけ) で払う。
午後一時二十分。
王太子府から、修正版が届いた。
期限の十分前。
持ってきたのは、王妃陛下秘書官室の持参書記官だった。
直接持ち回り。
午後一時半の定期便へ承認控えを間に合わせるためだ。
ノエルが受付簿を開く。
「差出部署、王太子府。経由、王妃陛下秘書官室。件名、内部改善研修総括報告書修正版。回議番号あり。 回議板(かいぎばん) あり。先行部署、法務官室および会計監査室確認印あり」
封緘ではない。
回議板の上には、すでにいくつもの印が並んでいた。
ベネット卿が読む。
私も横で確認する。
王太子府内部改善研修総括報告書修正版。
総括対象。
内部改善研修実施日から本日までの運用記録。
口頭依頼受付停止。
費用負担元未確認変更依頼停止。
個人名接続禁止。
実在職員経験の教材化禁止。
例外処理記録義務化。
総括対象外。
旧来運用に関する責任確認の終了。
会計上の免責。
法務上の免責。
関係職員個人への謝意、説明、所見要求。
残存課題。
会計連絡係における処理中案件一件。
例外申請後の継続確認一件。
継続確認日、二十八日後。
免責効果有無。
なし。
責任確認継続有無。
あり。
追加照会可否。
所管部署規定に基づく照会は可。
個人名接続可否。
不可。
戻し先。
王妃陛下秘書官室指定窓口。
所管部署。
法務官室、会計監査室、王妃陛下秘書官室。
私は、免責効果有無の欄を見た。
なし。
短い。
けれど、今朝の長い文案よりも、よほど強い。
「問題は」
ベネット卿が尋ねる。
「ありません。総括対象と総括対象外が分離されています。免責効果なし、責任確認継続あり、個人名接続不可の記載あり。手順上、異議なしです」
ベネット卿は確認票へ印を押した。
日程室異議なし。
持参書記官は一礼し、回議板を抱えて廊下へ戻っていった。
午後一時半。
王妃陛下秘書官室の午後定期便により、総括報告書修正版の承認控えが届いた。
王太子府内部改善研修総括報告書、受領。
総括対象、総括対象外、残存課題、継続確認日、免責効果有無、責任確認継続有無、追加照会可否、個人名接続可否、戻し先、所管部署を適用。
「総括済」をもって免責、責任確認終了、追加照会遮断、個人謝意接続を行うことは不可。
次回確認日、二十八日後。
継続確認。
私は予定表へ記入した。
総括確認。
免責効果なし。
責任確認継続あり。
個人名接続不可。
次回確認日、二十八日後。
午後二時。
王太子府から、短い受領確認が届いた。
総括報告書修正版の承認控えを受領。
次回確認日まで、残存課題、処理中案件、例外申請後の継続確認を記録する。
日程室への追加照会なし。
リディア・クラウゼンへの謝意記録、所見要求なし。
私は最後の行を見た。
謝意記録なし。
所見要求なし。
その二つは、もう感情ではなく、欄だった。
午後二時四十分。
法務官室から、総括文書様式改訂案が届いた。
追加欄。
総括対象。
総括対象外。
残存課題。
継続確認日。
免責効果有無。
責任確認継続有無。
追加照会可否。
個人名接続可否。
戻し先。
所管部署。
ノエルが、手元の下書きへ静かにペンを走らせた。
「例外処理欄の後ろに、総括・免責区分を置きます」
「さらに広くなりますね」
「はい」
「何のために」
ノエルは少し考えた。
「しまった紙で、人を消さないためです」
ベネット卿が横から言った。
「悪くない」
ノエルが真顔で姿勢を正した。
午後三時。
王妃陛下秘書官室から、引用区分欄仮運用継続通知が届いた。
以下の項目を追加する。
総括・免責区分。
総括対象。
総括対象外。
残存課題。
継続確認日。
免責効果有無。
責任確認継続有無。
追加照会可否。
個人名接続可否。
戻し先。
所管部署。
「総括済」「対応済」「改善済」等の表現を用いる場合、免責効果、責任確認継続、残存課題、個人名接続可否の記載を必須とする。
私は、その最後の一文を視線でなぞった。
最高中枢のインクによって刷られた文字が、王太子府の出した報告書案の末尾を、冷徹に固定していた。
午後三時半。
私は、仮運用七日目報告を起案した。
王妃陛下秘書官室宛て。
引用区分欄仮運用七日目報告。
本日、王太子府内部改善研修総括確認において、根拠分類欄、確認責任者欄、例外処理有無欄、総括・免責区分欄を試用。
適用件数、四件。
効果。
一、総括報告書案における「総括済」による免責、責任確認終了、追加照会遮断の混同を差し戻し。
二、総括対象、総括対象外、残存課題、継続確認日を明記させた。
三、免責効果なし、責任確認継続あり、個人名接続不可を明記させた。
四、関係職員個人への謝意記録、所見要求の接続を防止。
課題。
総括済、対応済、改善済等の表現において、免責効果の有無が未記載となりやすい。
追加提案。
引用区分欄および総括文書様式に「総括・免責区分」項目を追加することを提案する。
総括・免責区分欄では、総括対象、総括対象外、残存課題、継続確認日、免責効果有無、責任確認継続有無、追加照会可否、個人名接続可否、戻し先、所管部署を記載する。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
ベネット卿が読み終える。
「よい」
統括官決裁印が押された。
午後三時五十分。
ノエルが封緘する。
王妃陛下秘書官室へ正本。
法務官室、会計監査室、王太子府へ写し。
搬送簿に記録。
午後四時。
報告書は午後連絡便に乗った。
夕刻。
予定表を閉じる前に、私は私的な覚え書きの欄へ書いた。
総括とは、責任を消すことではなく、残す場所を定めることである。
羽根ペンを置く。
窓の外では、夕暮れの光が王宮の壁を淡く染めていた。
昔の私は、総括という言葉に安心していた。
これで終わり。
もう触れなくていい。
誰も悪くない。
みんな頑張った。
そういう綺麗な幕の裏で、消えたものがあった。
負担。
責任。
戻し先。
そして、私の名前。
もう、幕だけでは通さない。
総括対象を書く。
総括対象外を書く。
残る課題を書く。
免責効果の有無を書く。
謝意も、反省も、私の名前に結ばせない。
しまうなら、棚を分ける。
残すなら、場所を決める。
消さない。
混ぜない。
綺麗な言葉で、人を終わらせない。
ノエルが受付簿を棚へ戻す。
ベネット卿が決裁印をしまう。
日程室には、今日も紙の音だけが残った。
殿下。
その総括済は、免責ではありません。
本当に総括したと言うのなら。
何を残すのかを、欄に書いてください。