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作品タイトル不明

閣下、その招待状は会議の場へ戻します

翌朝、ノエルの机には、新しい 欄(らん) が増えていた。

外部接触境界記録欄(がいぶせっしょくきょうかいきろくらん) 。

昨日の夕刻、彼が自分で名づけ直した欄だ。

受付番号(うけつけばんごう) 。

日付。

発信元(はっしんもと) 。

接触形式(せっしょくけいしき) 。

分類。

個人名記載(こじんめいきさい) の 有無(うむ) 。

遮止者(しゃししゃ) 。

共有先(きょうゆうさき) 。

法務共有要否(ほうむきょうゆうようひ) 。

会計共有要否(かいけいきょうゆうようひ) 。

処理結果。

備考(びこう) 。

まだ、そこには何も記入されていない。

空白の欄。

けれど、その空白は不安ではなく、準備のように見えた。

「おはようございます、クラウゼン様」

ノエルが立ち上がる。

「おはようございます」

私は彼の机を見た。

「もう作ったのですね」

「はい。昨日のうちに下書きを整えました。ベネット 卿(きょう) の確認は、これからです」

「よいと思います」

「ありがとうございます」

ノエルは少しだけ笑った。

その笑い方も、以前より落ち着いている。

怖がらなくなったわけではない。

けれど、怖いものを置く場所を作れるようになったのだと思う。

怖いものに名前をつける。

欄を作る。

記録する。

それだけで、人は少しだけ逃げずに済む。

「クラウゼン 嬢(じょう) 」

ベネット卿が低く呼んだ。

「はい」

「今日は、昨日の続きが来る」

私は予定表を開いた。

「 外務儀典局(がいむぎてんきょく) からですか」

「ああ。 隣国使節団(りんごくしせつだん) は、昨日の 協議(きょうぎ) で終わらせる気はないだろう」

ヴァルツ 公爵(こうしゃく) 。

あの人の言葉が、まだ耳に残っている。

あなたは、いずれ自分の門をどこへ向けるか考えることになる。

私の進路に触れた一言。

記録され、 遮止(しゃし) され、 接触境界管理案件(せっしょくきょうかいかんりあんけん) になった言葉。

それでも、言われた事実は消えない。

「来たら、どう処理すべきでしょうか」

私が尋ねると、ベネット卿は即答しなかった。

代わりに、私を見る。

「まず、君が分類しなさい」

「私が、ですか」

「昨日、君は問いに 宛先(あてさき) があると覚えた。今日は、招きにも宛先があることを覚える」

招きにも、宛先がある。

その言葉を胸の中で繰り返した。

午前九時十分。

外務儀典局から 封書(ふうしょ) が届いた。

ノエルが 受付簿(うけつけぼ) を開く。

「 差出部署(さしだしぶしょ) 、外務儀典局。 件名(けんめい) 、隣国使節団より提出された 技術懇談要望(ぎじゅつこんだんようぼう) について。 受付印(うけつけいん) あり。 回議番号(かいぎばんごう) あり。 封緘(ふうかん) あり」

「持参者名を」

「 外務儀典局書記官(しょきかん) 、ラウル・フェンです」

外務儀典局の書記官は、昨日の協議にも控えていた人物だった。

表情は整っている。

余計な言葉はない。

「 口頭伝言(こうとうでんごん) はありますか」

ノエルが確認する。

「ありません。すべて書面に記載されています」

「承りました」

ノエルは封書を受け取り、ベネット卿へ回した。

ベネット卿が封緘を確認し、開封する。

一枚目。

外務儀典局からの 日程室宛(にっていしつあ) て 照会(しょうかい) 。

二枚目。

隣国使節団から外務儀典局へ提出された要望書の写し。

三枚目。

外務儀典局長代理(がいむぎてんきょくちょうだいり) の取扱い 照会(とりあつかいしょうかい) 。

ベネット卿は一読し、私へ渡した。

「確認しなさい」

「はい」

私は文書を受け取った。

隣国使節団より、 王宮儀典日程室(おうきゅうぎてんにっていしつ) 作成の発言制限および接触境界管理手順について、 技術的懇談(ぎじゅつてきこんだん) の機会を求める。

希望形式。

本日午後または明日午前、 非公式(ひこうしき) の 少人数懇談(しょうにんずうこんだん) 。

出席希望者。

隣国公爵ヴァルツ。

外務儀典局長代理。

資料作成者リディア・クラウゼン嬢。

議題(ぎだい) 。

王族発言制限における 判断基準(はんだんきじゅん) 。

個人境界発言(こじんきょうかいはつげん) の記録方式。

属人的補填(ぞくじんてきほてん) を避けるための受付簿設計。

末尾に、ヴァルツ公爵の 署名(しょめい) があった。

その下に、短い一文。

資料作成者本人の説明を望む。

指先が、少し冷たくなる。

資料作成者本人。

本人。

その言葉は、褒められているようで、同時に引き寄せられているようでもあった。

私は紙を机に置いた。

「問題点を述べなさい」

ベネット卿が言う。

昨日と同じだ。

声に出す。

感情を紙の外へ逃がさないために。

「第一に、非公式の少人数懇談という形式は不適切です。議題は王宮儀典日程室の手順、王族発言制限、接触境界管理に関するものであり、記録官不在では扱えません」

「続けて」

「第二に、資料作成者本人の説明を望む、という記載は、私個人への指名に見えます。私は補足者としてなら出席可能ですが、個人招待としては受けられません」

「第三は」

「第三に、受付簿設計や接触境界管理手順は、王宮内部の職務手順です。 対外提供(たいがいていきょう) の 可否(かひ) について、外務儀典局、 王妃陛下秘書官室(おうひへいかひしょかんしつ) 、 法務官室(ほうむかんしつ) の確認が必要です」

「第四」

「懇談に飲食、 謝礼(しゃれい) 、 贈答(ぞうとう) が伴う場合、 会計監査室(かいけいかんさしつ) の確認が必要です。個人への謝礼は 受領(じゅりょう) できません」

言い終えて、私は息を吐いた。

ベネット卿は短く頷いた。

「 妥当(だとう) だ」

ノエルが小さく手元の 帳面(ちょうめん) に記入している。

外部接触境界記録欄。

発信元、隣国使節団。

接触形式、文書。

分類、個人指名を含む対外技術照会。

個人名記載の有無、有。

遮止者、未定。

共有先、外務儀典局、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室。

法務共有要否、要確認。

会計共有要否、要確認。

欄が、さっそく使われた。

空白だった場所に、現実が入った。

「ベネット卿」

ノエルが言った。

「この件は、外部接触境界記録欄に記録してよろしいでしょうか」

「記録しろ。ただし、発言ではなく文書要望だ。分類は『個人指名を含む対外技術照会』にしなさい」

「はい」

ノエルはすぐに修正した。

個人指名を含む対外技術照会。

その文字を見た瞬間、少しだけ呼吸が楽になる。

これは、私への招待状ではない。

対外技術照会だ。

正しい分類に置けば、形が見える。

形が見えれば、処理できる。

「クラウゼン嬢」

「はい」

「取扱い照会を 起案(きあん) しなさい。宛先は、外務儀典局、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室」

「会計監査室も、ですか」

「非公式懇談という語が入っている。飲食や謝礼の芽は先に潰す」

「承知いたしました」

私は羽根ペンを取った。

王宮儀典日程室統括官(おうきゅうぎてんにっていしつとうかつかん) 名義(めいぎ) として、取扱い照会を起案する。

外務儀典局、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室宛て。

隣国使節団より提出された技術懇談要望について。

一、要望書中の「非公式の少人数懇談」は、王族発言制限および接触境界管理手順を議題とする性質上、記録官不在では実施不可。

二、「資料作成者本人の説明を望む」との記載は、 主任調整官代理(しゅにんちょうせいかんだいり) リディア・クラウゼン個人への指名と解される余地があるため、 個人招聘(こじんしょうへい) としては受領不可。

三、実施する場合は、 外務儀典局主催(しゅさい) の公式な 手順照会会議(てじゅんしょうかいかいぎ) とし、出席者、議題、記録官、資料範囲を事前確定する必要あり。

四、王宮儀典日程室の受付簿設計および接触境界管理手順の対外提供可否について、法務官室の確認を要する。

五、飲食、謝礼、贈答、 技術提供対価(ぎじゅつていきょうたいか) が発生する場合、個人受領は不可。必要に応じて会計監査室および 国庫手続(こっこてつづ) きを経ること。

六、リディア・クラウゼンは、出席するとしても資料作成者および補足者の範囲に限り、個人的見解、進路、雇用、婚約、 身分移動(みぶんいどう) に関する問いには応答不可。

以上。

王宮儀典日程室統括官。

ベネット。

起案、実務担当。

王宮儀典日程室。

主任調整官代理。

リディア・クラウゼン。

書き終えて、ベネット卿へ差し出す。

彼は上から下まで確認した。

「六は残せ」

「はい」

「五も残せ。褒め言葉と謝礼は、同じ顔で来ることがある」

その言い方が少しだけ苦かった。

私は思わず尋ねそうになり、やめた。

ベネット卿の過去に踏み込む問いは、私の職務範囲外だ。

彼は 決裁欄(けっさいらん) に記す。

日程室確認済。

続いて、 統括官決裁印(とうかつかんけっさいいん) を押した。

「送れ」

「はい」

ノエルが封緘する。

搬送簿(はんそうぼ) へ記録する。

午前九時二十八分。

外務儀典局宛て、隣国使節団技術懇談要望に関する取扱い照会。

王妃陛下秘書官室宛て、同写し。

法務官室宛て、同写し。

会計監査室宛て、同写し。

王宮儀典日程室統括官名義。

起案、実務担当、主任調整官代理リディア・クラウゼン。

日程室統括官決裁済。

搬送者(はんそうしゃ) 、ノエル。

四通の封書が、正しい宛先へ出ていく。

招き状は、私の机に残らなかった。

会議体へ戻った。

午前十時。

外務儀典局長代理より、日程室の照会を受けた「 関係四部署合同回議(かんけいよんぶしょごうどうかいぎ) 」の 招集通知(しょうしゅうつうち) が戻ってきた。

事態の重要性を重く見た局長代理が、書類を個別に回す時間を省くため、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室の実務者を外務儀典局の 執務室(しつむしつ) へ 一堂(いちどう) に集め、 一括(いっかつ) して取扱い基準を 策定(さくてい) するという。

有能な組織は、縦の決裁だけでなく、横の 連携(れんけい) も速い。

日程室は、静かに忙しかった。

王太子府(おうたいしふ) からの照会はない。

公報室(こうほうしつ) からの修正もない。

けれど、何もないわけではない。

昨日の 港湾警備費補足協議(こうわんけいびひほそくきょうぎ) の資料整理。

受付簿への新欄追加。

外部接触境界記録欄の試用版作成。

ノエルは、何度も欄名を書き直していた。

個人境界発言欄。

個人境界文書欄。

外部接触境界欄。

最後に、彼は小さく 唸(うな) った。

「発言だけでは足りませんね」

「文書も来ましたからね」

「はい。では、外部接触境界記録欄、ではどうでしょう」

私は少し考えた。

「よいと思います。発言、文書、贈答、招待、 雇用打診(こようだしん) 、 婚姻示唆(こんいんしさ) まで分類できます」

ノエルが真顔で書き足す。

「分類欄を増やします。発言。文書。贈答。招待。雇用。婚姻。その他」

「その他は危険です」

「なぜですか」

「何でも入ってしまいます」

「あ」

ノエルは顔を上げた。

「では、その他を使う場合は、ベネット卿の確認を必須にします」

「それならよいと思います」

世界は、また細かくなる。

面倒で、少し 滑稽(こっけい) で。

けれど、その細かさが人を守る。

昔の私には、その他しかなかった。

殿下(でんか) の急な予定変更。

殿下の気まぐれな贈り物。

殿下の言い訳。

殿下の私的なため息。

全部、その他として私のところへ来た。

その他は、便利な箱だ。

そして、人を壊す箱でもある。

午前十時四十分。

合同回議の席で決定された各部署の個別回答書の写しが、 順次(じゅんじ) 、日程室へ回ってきた。

最初に戻ってきたのは、会計監査室からの回答だった。

ノエルが受付し、ベネット卿が確認する。

「読みなさい」

私は文書を受け取った。

隣国使節団技術懇談要望について。

飲食、謝礼、贈答、技術提供対価について、主任調整官代理リディア・クラウゼン個人による受領は不可。

王宮儀典日程室作成手順に対する対価または謝礼の申し出があった場合、個人ではなく 王宮会計規定(おうきゅうかいけいきてい) に基づき、外務儀典局を通じて 国庫収入(こっこしゅうにゅう) または 外交儀礼費処理(がいこうぎれいひしょり) の要否を確認すること。

懇談中の 供茶(きょうちゃ) については、外務儀典局通常会議費の範囲内で可。ただし個別贈答と見える形式は不可。

私は小さく頷いた。

「会計上、個人受領不可。供茶は通常会議費の範囲内」

「よろしい」

ベネット卿が言った。

午前十時五十分。

法務官室から回答が届いた。

隣国使節団技術懇談要望について。

「資料作成者本人の説明を望む」との文言は、直ちに違法または不適切とは断じない。

ただし、 婚約解消協議中(こんやくかいしょうきょうぎちゅう) の 貴族令嬢(きぞくれいじょう) であり、かつ王宮職員である者に対する個人招聘、雇用打診、身分移動示唆、婚姻可能性を含む発言へ発展する場合、接触境界管理案件として記録し、王妃陛下秘書官室および法務官室へ共有すること。

実施する場合は、公式会議体とし、 議事録(ぎじろく) を作成すること。

補足者本人への私的な礼状、贈答、 別室招待(べっしつしょうたい) は不可。

別室招待。

その言葉に、少しだけ指先が硬くなる。

昨日の協議室。

今日の要望書。

どこかへ引き出されるかもしれない感覚。

けれど、紙の上ではもう不可になっている。

先に線が引かれている。

午前十一時。

王妃陛下秘書官室から回答が届いた。

隣国使節団技術懇談要望について。

当該要望(とうがいようぼう) は、個人招聘としては受領不可。

実施する場合は、外務儀典局主催の公式な手順照会会議として整理すること。

出席者は、外務儀典局長代理、王妃陛下秘書官室指定書記官、王宮儀典日程室統括官ベネット、主任調整官代理リディア・クラウゼン、法務官室記録官、会計監査室書記官とする。

リディア・クラウゼンの立場は、資料作成者および補足者に限る。

個人的進路、雇用、婚姻、身分移動に関する問いが発生した場合、 即時遮止(そくじしゃし) し、議事録へ記載すること。

対外提供資料は、外務儀典局および法務官室による事前確認済みの写しに限る。

「会計監査室書記官まで入るのですね」

ノエルが言った。

「謝礼や対価の芽があるからです」

私は答える。

「技術が評価されることと、個人が買われることは違います」

言ってから、自分の言葉に少し驚いた。

買われる。

その言葉は強い。

けれど、ヴァルツ公爵の以前の言葉を思い出す。

正当(せいとう) な 国費(こくひ) で買う用意がある。

あの時は、半分冗談のように聞こえた。

でも、冗談でも紙に載れば、制度になる。

制度にするなら、宛先を間違えてはいけない。

午前十一時二十分。

最後に、外務儀典局から回答が戻った。

局長代理の文面は簡潔だった。

隣国使節団技術懇談要望について。

日程室、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室の回答を受領。

外務儀典局として、当該要望を「非公式懇談」ではなく、「 王宮手順照会会議(おうきゅうてじゅんしょうかいかいぎ) 」として再整理する。

隣国使節団へは、以下の条件で返答予定。

一、個人招聘不可。

二、資料作成者リディア・クラウゼンは補足者としてのみ出席可。

三、議事録作成必須。

四、対外提供資料は事前確認済み写しのみ。

五、私的礼状、贈答、別室招待、雇用打診、婚姻または身分移動を示唆する発言は不可。

六、技術提供に対する謝意は、個人ではなく王宮儀典日程室および外務儀典局に向けること。

その最後の一行に、私はしばらく目を止めた。

謝意は、個人ではなく組織へ。

少しだけ寂しいような気がした。

評価されることは、嬉しい。

それは否定できない。

ずっと、誰にも見られていないと思っていた。

殿下の失敗を埋めても。

予定表の 綻(ほころ) びを 繕(つくろ) っても。

夜遅くまで紙を直しても。

当然のように受け取られ、当然のように次を渡された。

だから、誰かが私の作った手順を「見たい」と言ったことは、たぶん、嬉しかった。

けれど。

その嬉しさを、そのまま受け取ると危ない。

称賛(しょうさん) も、間違った場所に置かれれば鎖になる。

「クラウゼン嬢」

ベネット卿が言った。

「はい」

「顔に出ている」

「……申し訳ございません」

「謝るな。嬉しいのか」

私は少しだけ黙った。

「はい」

正直に言うと、胸が少し痛んだ。

「嬉しいです。私の作ったものが、役に立つと言われた気がして」

ベネット卿は頷いた。

「それは否定しなくていい」

「はい」

「だが、個人宛てに受け取るな」

「承知しています」

「違う」

彼の声が少しだけ低くなった。

「承知している、では足りない。嬉しい時ほど、受け取り先を確認しろ」

嬉しい時ほど。

私は、その言葉を予定表の端に書きたくなった。

怖い時だけではない。

疲れている時だけでもない。

嬉しい時ほど、人は線を越えやすい。

「はい」

私は答えた。

「嬉しい時ほど、受け取り先を確認します」

ベネット卿は満足したように短く頷いた。

「よろしい。外務儀典局への正式回答案を起案しなさい」

「はい」

私は、四部署の回答を机上に並べた。

会計監査室。

法務官室。

王妃陛下秘書官室。

外務儀典局。

それぞれの紙が、私一人の感情を囲んでいた。

外務儀典局宛て。

隣国使節団技術懇談要望に対する日程室回答。

王宮儀典日程室は、当該要望を個人招聘としては受領しない。

実施する場合は、外務儀典局主催の公式な王宮手順照会会議として整理すること。

主任調整官代理リディア・クラウゼンは、資料作成者および補足者の立場でのみ出席可能。

発言範囲は、提出済資料、受付簿設計、王族発言制限、接触境界管理手順に関する日程室側根拠に限る。

個人的進路、雇用、婚姻、身分移動、婚約解消協議、王太子殿下に関する私的事項については応答不可。

対外提供資料は、外務儀典局および法務官室による事前確認済み写しに限る。

飲食は外務儀典局通常会議費の範囲内とし、個別贈答、謝礼、技術提供対価の個人受領は不可。

謝意または評価を表明する場合は、個人ではなく王宮儀典日程室および外務儀典局宛てとすること。

以上。

王宮儀典日程室統括官。

ベネット。

起案、実務担当。

王宮儀典日程室。

主任調整官代理。

リディア・クラウゼン。

書き終え、ベネット卿へ差し出す。

彼は文面を確認した。

一行ずつ。

急がない。

けれど、遅くない。

「最後の一文」

「謝意または評価の箇所でしょうか」

「ああ。残せ」

「はい」

「君が褒められないための文ではない」

私は顔を上げた。

「では」

「君が、褒め言葉に連れていかれないための文だ」

胸の奥が、静かに鳴った。

褒め言葉に、連れていかれる。

そんなことがあるのだと、今なら分かる。

責められるより、頼られるより、もしかしたら危ない。

欲しかった言葉ほど、境界を溶かす。

ベネット卿は欄外に記す。

日程室確認済。

続けて、統括官決裁印を押した。

「送れ」

「はい」

ノエルが封緘する。

搬送簿に記録する。

午前十一時四十二分。

外務儀典局宛て、隣国使節団技術懇談要望に対する日程室正式回答。

王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室へ写し共有。

王宮儀典日程室統括官名義。

起案、実務担当、主任調整官代理リディア・クラウゼン。

日程室統括官決裁済。

搬送者、ノエル。

正午。

私は 文官携行食(ぶんかんけいこうしょく) を食べた。

無塩(むえん) の 硬餅(かたもち) 。

乾燥果実。

水。

ノエルは机上の公文書を避けてくれていた。

私は食後に水場で指先と口元を洗い、 麻布(あさぬの) で拭き、机の上を 刷毛(はけ) で払う。

その動作をしながら、ふと思った。

昔の私は、褒められたかった。

一度でいいから、よくやったと言われたかった。

間に合わせてくれて助かった。

君がいてくれてよかった。

そう言われたかった。

でも、実際に欲しかった言葉が近づいてくると、私は身構えている。

なんて面倒な人間なのだろう。

少しだけ、笑いそうになった。

「クラウゼン様」

ノエルが声をかける。

「はい」

「今、少し笑いましたか」

「気のせいです」

「そうですか」

ノエルは真面目に頷いた。

「では、気のせいとして記録しません」

「記録しないでください」

少しだけ、日程室の空気が 緩(ゆる) んだ。

時計の針が午後一時を指す少し前、搬送に出ていたノエルが戻ってきた。

外務儀典局へ日程室の正式回答を届けたところ、局長代理が 即座(そくざ) にそれを「王宮としての最終方針案」としてまとめ、王妃陛下秘書官室へ 上申決裁(じょうしんけっさい) に回したという。

ノエルは、外務儀典局の受領印と、王妃陛下秘書官室へ最終回議が回されたことを示す控え印を確認し、日程室の搬送簿へ控えて戻ってきた。

国境に絡む書類は、一瞬の 滞(とどこお) りも許されない。

午後一時半。

王妃秘書官室の最終承認を得た外務儀典局から、隣国使節団へ正式回答を発送した旨の共有が届いた。

内容は、日程室回答を踏まえたものだった。

非公式懇談不可。

公式な王宮手順照会会議としてなら調整可能。

個人招聘不可。

補足者への私的質問不可。

謝意は組織宛て。

対外提供資料は事前確認済み写しのみ。

私は確認し、問題なしと記録した。

午後三時。

外務儀典局から、隣国使節団の応答が届いた。

今度は、 復命書(ふくめいしょ) 形式だった。

隣国公爵ヴァルツ閣下、外務儀典局の提示条件を了承。

非公式懇談の表現を 撤回(てっかい) し、「王宮手順照会会議」としての開催を希望。

資料作成者個人への 招聘意図(しょうへいいと) はない旨を明記。

謝意は王宮儀典日程室および外務儀典局へ向けるものとする。

ただし、末尾に一文。

「王国は、人ではなく手順を出す国であると理解した」

私はその一文を読み、少しだけ目を伏せた。

皮肉だろうか。

敬意だろうか。

たぶん、両方だ。

外務儀典局長代理の応答も記録されていた。

「人を手順で守る国でございます」

その一文で、胸の奥が静かに熱くなった。

人ではなく手順を出す。

人を手順で守る。

似ているようで、全然違う。

私は紙を閉じた。

「問題は」

ベネット卿が尋ねる。

「ありません」

私は答えた。

「ただ、王宮手順照会会議の開催には、改めて日程調整が必要です」

「起案しなさい。今日は日程枠だけだ。議題は確定させるな」

「はい」

外務儀典局宛て。

王宮手順照会会議の日程候補について。

開催可否は、王妃陛下秘書官室、法務官室、会計監査室の確認済み条件に従う。

日程候補は明後日午前十時から十一時半。

議題、出席者、資料範囲は、別途回議により確定する。

以上。

王宮儀典日程室統括官。

ベネット。

起案、実務担当。

王宮儀典日程室。

主任調整官代理。

リディア・クラウゼン。

ベネット卿が確認し、決裁印を押す。

ノエルが封緘する。

午後三時十八分。

外務儀典局宛て、王宮手順照会会議日程候補回答。

王宮儀典日程室統括官名義。

起案、実務担当、主任調整官代理リディア・クラウゼン。

日程室統括官決裁済。

搬送者、ノエル。

午後四時。

ノエルが、外部接触境界記録欄の試用版を持ってきた。

欄は、朝より整っていた。

受付番号。

日付。

発信元。

接触形式。

分類。

個人名記載の有無。

遮止者。

共有先。

法務共有要否。

会計共有要否。

処理結果。

備考。

「備考は危険では」

私が言うと、ノエルは頷いた。

「はい。ですので、備考欄には『自由記述禁止。分類不能の場合は統括官確認』と入れました」

「完璧です」

思わずそう言うと、ノエルが少し照れた。

「ありがとうございます」

ベネット卿が試用版を確認する。

「よろしい。明日から 仮運用(かりうんよう) しなさい」

「はい」

ノエルは深く礼をした。

その姿を見て、私は思った。

彼は、もうただ私を守るためだけに線を引いているのではない。

次に誰かが同じように 曖昧(あいまい) な招待を受けた時、その人も守れるようにしている。

私のための欄が、誰かのための規定になっていく。

それは、少し不思議で、少し誇らしかった。

夕刻。

私は予定表を開いた。

隣国使節団より技術懇談要望。

個人招聘としては受領不可。

四部署へ取扱い照会。

外務儀典局長代理、関係四部署合同回議を招集。

会計監査室、個人謝礼不可。

法務官室、個人招聘・雇用・婚姻示唆は接触境界管理対象。

王妃陛下秘書官室、公式な王宮手順照会会議化を指示。

外務儀典局、非公式懇談を撤回させる条件で再整理。

日程室正式回答、送付済。

王妃秘書官室最終承認後、外務儀典局より隣国使節団へ正式回答。

隣国使節団、条件了承。

王宮手順照会会議、日程候補提示。

外部接触境界記録欄、仮運用決定。

一つずつ、完了の印をつける。

最後に、私的な覚え書きの欄へ書いた。

称賛にも、正しい宛先がある。

羽根ペンを置く。

今日は、誰かが私の仕事を見たいと言った。

嬉しかった。

怖かった。

その二つは、同時に存在していた。

けれど、私はもう、そのどちらかに流されなくていい。

嬉しいなら、嬉しいと把握する。

怖いなら、怖いと把握する。

そして、紙を見る。

宛先を見る。

誰が受け取るべき言葉なのかを確認する。

窓の外では、夕暮れが王宮の壁を淡く染めていた。

ノエルが新しい記録欄を棚にしまう。

ベネット卿が決裁印をしまう。

日程室の空気は、いつもより少しだけ静かだった。

閣下の招待状は、私の机には残らなかった。

会議体へ戻った。

それでいい。

私は、褒め言葉に連れていかれない。

私の名前も、私の仕事も、正しい場所へ戻せるのだから。