作品タイトル不明
第400話:生チョコ動画とバレンタインの危機感
雪がしんしんと降り積もる、水曜日の午後。
凛の部屋のローテーブルで、俺たちは並んでそれぞれの作業に没頭していた。
凛は液晶タブレットに向かい、真剣な眼差しで専用のペンを走らせている。
隣に座る俺は、ノートパソコンを開いて動画の編集作業だ。
数時間が経ち、凛のペン先の動きが少しだけゆっくりになった頃。
そろそろ甘いものが欲しいタイミングだろうと思い、俺は静かに立ち上がってキッチンへ向かった。
小鍋で牛乳を温め、ココアを淹れる。
お皿にクッキーを添えて、凛のデスクの横にそっと置いた。
「ほら、休憩にどうぞ」
「あ……ありがとう、朝陽くん」
凛は嬉しそうに目を細めてマグカップを受け取ると、ココアを一口飲み、クッキーをかじりながら再び作業を進めていく。
やがて窓の外が薄暗くなり、夕方になった頃。
凛がペンを置き、ふうっと小さく息を吐き出した。
「とりあえず、こんなもんかな」
「お疲れ。結構進んだか?」
「うんっ。半日お休みになったおかげで、思ってたよりすごく捗ったよ」
凛が背伸びをしながら、隣でパソコンに向かっている俺の方を覗き込んできた。
「朝陽くんは、何の動画を作ってるの?」
「ああ、これ? この間、一緒に撮影した生チョコトリュフの動画だよ」
「あー、この間撮ったやつだね」
凛の視線が、ノートパソコンの画面に向けられる。
そこには『初心者でも簡単に作れる生チョコトリュフ』というタイトルが表示されていた。
「時期も時期だし、もうすぐバレンタインだろ? 視聴者さんも増えるかなと思って、この動画は早めに出したいんだよね」
「へ、へえぇ……そうなんだ……」
「……ん?」
ふと見ると、さっきまでニコニコしていた凛の表情がスッと青ざめ、見事に固まっていた。
少しだけ、瞳孔が揺れている。
「おい、凛? どうした、急に顔色悪くなって……。もしかして体調悪いのか? 昼間、靴が濡れて足が冷えたから、風邪でも引いたか?」
「えっ!? ち、違うの! 大丈夫! 全然風邪とかじゃないから!」
本気で心配して顔を覗き込む俺に、凛は慌てて両手を振って全力で否定した。
「ほんとに? 無理してないか?」
「うんっ、大丈夫! ちょっと、画面見すぎて目が疲れちゃっただけだから……!」
「そうか……? まあ、無理はするなよ」
「う、うん……」
引きつった笑顔でココアの残りをすする凛。
なんか少し様子がおかしい気もするが、熱があるわけではなさそうだ。
「よし。じゃあキリもいいし、俺の部屋に戻って晩飯にしようぜ」
「あ、ご飯! 食べる!」
『ご飯』という単語を聞いた瞬間、バレンタインの絶望から一瞬で立ち直った凛が、パァッと顔を輝かせて立ち上がった。
「今夜は、おじいちゃんが置いていってくれたあの干物を焼いてみようと思う」
「やったぁ! お魚大好き!」
俺の部屋のキッチンに立ち、魚焼きグリルに立派なアジの干物を並べる。
じっくりと火を通していくと、やがてパチパチと脂が弾ける心地よい音と共に、香ばしい醤油と磯の香りが部屋中に広がっていった。
「うわぁ……すっごくいい匂い……お腹空いてきちゃった」
「もうすぐ焼けるから座って待っててくれ。副菜もできてるぞ」
こたつの上に、炊き立ての白いご飯、豆腐とわかめのお味噌汁、そしてこんがりと焼き上がった肉厚のアジの干物を並べる。
さらに、中央の小鉢には熱々揚げ出し豆腐をドンと置いた。
水切りした豆腐に片栗粉をまぶしてカリッと揚げ、そこに少し甘めのお出汁をたっぷりとかけ、大根おろしと刻みネギを乗せた一品だ。
「いただきますっ!」
凛は早速、アジの干物に箸を伸ばした。
パリッと焼けた皮の下から、ふっくらとした白い身が湯気を立てて顔を出す。
「……んんっ! 身がフワフワで、脂がすっごく乗ってる! 噛むと旨味がじゅわって出てくるよ!」
「さすが、おじいちゃんのチョイスだな。塩加減も絶妙で、ご飯が止まらなくなる」
干物の身をご飯にワンバウンドさせてかき込みながら、俺たちは顔を見合わせて笑い合った。
続いて、凛が揚げ出し豆腐をスプーンですくう。
「あむっ……ん〜〜っ! 衣がまだ少しカリッとしてるのに、お出汁をすってトロトロになってる……!」
「大根おろしと一緒に食べるとさっぱりするだろ」
「うんっ! お出汁が甘くて優しくて、体の中からすっごく温まるぅ……。」
とろけるような笑顔で絶賛してくれる凛。
午後になぜか見せていた暗い表情はすっかり消え去り、美味しそうにご飯を頬張るいつもの姿に、俺も心からホッと息をついた。
食後。
いつものように凛の足をマッサージしてやりながら、二人でこたつに入ってのんびりと過ごす。
ふと、凛が立ち上がって窓のカーテンを少しだけ開けた。
「……朝陽くん、見て。まだすっごく降ってる」
「うわ、本当だ。昼間よりさらに積もってないか?」
外灯に照らされたアスファルトは完全に白い雪に覆い隠され、ふんわりとした雪の絨毯が厚みを増している。
普段雪が降らないこの街で、これほど真っ白な景色を見るのは初めてかもしれない。
「こんなに雪が降るの、初めて見るかも……なんだか、別の世界みたい」
「そうだな。……これ、明日学校あるのかな」
「ふふっ、どうだろうね。先生たちも困っちゃうかも」
窓の外の銀世界を見つめながら、凛がワクワクしたような、少し楽しげな声を漏らす。
「まあ、もし明日も休校になったら、またこうして一日中一緒にいられるしな」
「っ……うん。そうだね……」
俺が何気なく言うと、凛は嬉しそうに目を細め、俺の隣に戻ってきてこたつに潜り込んだ。
雪はまだ、音もなく降り続いている。
明日がどうなるかは分からないけれど、この温かい部屋で隣に彼女がいる限り、どんな朝が来てもきっと楽しい一日に違いない。
俺たちは、明日への少しのワクワクと、お腹いっぱいの多幸感に包まれながら、静かに幸せな眠りにつくのだった。