軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第397話:二色鉄火丼と、甘えん坊な羊

祖父母が嵐のように去っていき、時計の針が十六時を回った頃。

俺はキッチンに立ち、段ボールの一番底に入っていたマグロの柵をまな板の上に乗せた。

「さて、どうやって食べるのが一番美味いか……」

見事なサシが入った淡いピンク色の身。

俺はよく研いだ包丁で、柵を丁寧に二つに切り分けた。

半分はそのままお刺身用に、少し厚めに引いていく。

包丁を入れるだけで、脂の乗ったマグロがしっとりと吸い付いてくるのがわかる。

もう半分は、醤油、みりん、そして煮切ってアルコールを飛ばした酒を合わせた特製のタレに漬け込む。

しっかりと味が染み込むようにボウルにラップをし、冷蔵庫の奥へ。

「よし、これで夕食の準備は万端だ」

手を洗った後、俺はハンガーにかけて部屋干ししていた羊のルームウェアを回収した。

おしゃれ着洗いで優しく仕上げたおかげで、モコモコの質感は失われず、ホワイトサボンのいい香りがふんわりと漂ってくる。

お風呂上がりに凛がすぐに着られるように、綺麗に畳んで脱衣所の棚にセットしておいた。

夕食までの小一時間は、ローソファで大きな毛布に二人でくるまりながら、のんびりと動画を見て過ごした。

そして、すっかり日が落ちた頃。

「凛、お待たせ。今日は二色鉄火丼だぞ」

こたつの上にどんぶりを並べると、凛が「わぁぁ……っ!」と目を輝かせた。

ほんのりと温かい酢飯の上に、刻み海苔を敷き詰める。

その上に、とろけるような脂が乗った淡いピンク色のマグロと、特製ダレをしっかりと吸い込んでべっ甲色に輝く漬けマグロを、花びらのように交互に盛り付けた。

中央にはうずらの卵黄を落とし、わさびとネギを添えれば完成だ。

「いただきますっ!」

凛は両手を合わせると、まずは生のマグロから口に運んだ。

「……んん〜〜っ!」

一口食べた瞬間、凛の目がこれ以上ないくらいにトロンと細められた。

「お、美味しい……! マグロの脂がすっごく甘くて、口の中に入れた瞬間に溶けちゃった……!」

「漬けの方も食べてみてくれ。うずらの卵を少し絡めると美味いぞ」

「うんっ……はむっ……んんっ! こっちはお醤油の甘辛い味がねっとり絡んで、酢飯にすっごく合う! 」

幸せそうに両頬を押さえ、「……ふふっ」とだらしない笑顔を浮かべる凛。

学校での『氷の令嬢』の面影はどこにもない。

二種類のマグロの無限ループに箸が止まらず、俺たちはあっという間に極上の鉄火丼を完食した。

食後、いつものように交互にお風呂へ入る。

俺がリビングでくつろいでいると、脱衣所のドアが開く音がした。

「あ、朝陽くん……お風呂、もらいました」

パタパタと足音を立ててリビングに現れた凛を見て、俺の思考は一瞬でショートした。

洗い立てでフワフワになった、真っ白なモコモコの生地。

ちょこんと角のついた大きなフードをすっぽりと被り、袖口からは少しだけ指先を覗かせている。

ほんのりと上気した頬と、シャンプーの香りを漂わせながらこちらを見上げてくる『羊姿の凛』は、今日の午前中に見た時よりもさらに破壊力を増していた。

「あ……」

「朝陽くん? どうし――ひゃっ!?」

理性が、完全に飛んだ。

俺は立ち上がると、無意識のうちに凛の体を強く抱きしめていた。

フワフワの生地越しに伝わってくる、お風呂上がりの温かい体温。

「あ……ご、ごめん。あまりにも凛が可愛すぎて……つい、思わず」

ハッとして体を離そうとした俺の背中に、凛の小さな腕が回った。

「……ううん。離れないで」

ギュッと俺の服を掴み、凛が俺の胸に顔を埋めてすりすりと甘えてくる。

そのあまりのいじらしさに、俺は再び彼女の背中に腕を回し、しばらくの間、二人で無言のまま抱きしめ合った。

寝る前のリラックスタイム。

「そういえば凛、おじい様たちが置いていってくれた瓶詰めの甘酒だけど、今日一つ開けないか?」

「甘酒?」

「ああ。実は俺、甘酒が大好きなんだ。栄養価も高いし、寒波が来る前の体調管理にもぴったりだぞ」

「うんっ、朝陽くんが飲みたいなら一緒に飲もう!」

俺は小鍋に甘酒を移し、火にかけてコトコトと温めた。

マグカップに注ぐと、米麹特有の優しい甘い香りが湯気と共に立ち上る。

「熱いから少しずつ飲んでくれ」

「はーい。……ふー、ふー……こくっ」

マグカップを両手で包み込み、凛が一口飲む。

「……あまーい。すっごくコクがあって、体の中がポカポカしてくる」

「だろ? 砂糖を使ってない米麹の自然な甘さだから、いくらでも飲めちゃうんだよな」

二人でこたつに入り、熱々の甘酒をゆっくりと味わう。

すると、半分ほど飲んだあたりで、隣に座っている凛の様子が少しおかしくなってきた。

「……あさひく〜ん……」

「ん、どうした?」

とろ〜んとした座った目で俺を見上げ、凛がコテンと俺の肩に頭を乗せてきた。

モコモコの羊のフードが俺の頬に当たる。

「えへへ……あったかくて、ふわふわするぅ……朝陽くん、くっついてていい……?」

「おいおい、なんだかすごくご機嫌だな。……って、ん?」

俺は凛の顔をまじまじと見つめた。

頬はほんのりと赤く染まり、目はとろんと潤んでいる。

話し方も、いつもより少し舌足らずでふにゃふにゃとしていた。

俺の腕にべったりと抱きつき、スリスリと顔を擦り寄せてくるその姿は――。

(……いやいやいや! これ、米麹の甘酒だからノンアルコールだよな!?)

思わず心の中でツッコミを入れる。

原材料を見直しても、アルコールの文字はない。

体が温まりすぎたのか、それともお酒を飲んでいるようなプラシーボ効果なのか。

とにかく、今の凛は完全にベロベロに甘えん坊モードになっていた。

「朝陽くぅん、だいすき……えへへ」

「あー、はいはい。俺も大好きだから。ほら、もう甘酒は終わりにしよう」

「むぅ……もっと飲むぅ……」

「ダメ。そろそろ寝る時間だ。ほら、自分の部屋に戻って……」

明日は月曜日。

学校がある平日だ。

お互い自分のベッドでしっかり寝て、明日の朝に備えなければいけない。

そう頭では分かっているのに。

「……やだ。今日も、一緒に寝るの」

俺の袖をギュッと掴み、とろんとした瞳で上目遣いをしてくる羊姿の凛。

その圧倒的な可愛さと、無防備すぎる甘えっぷりを前にして、俺の理性が勝てるはずがなかった。

「…………仕方ないな」

「わぁい……っ!」

結局、俺たちは再び新しいダブルサイズのフカフカ毛布に二人で潜り込んだ。

「朝陽くん……あったかい……」

「……おやすみ、凛」

腕の中で幸せそうにすり寄ってくるモコモコの羊を力強く抱きしめながら、俺は甘い敗北感と共に静かに目を閉じるのだった。