作品タイトル不明
第398話:雪の日の短縮日課と、ホワイトモカ
「……絶対に、出ない。私はここで冬眠する」
水曜日の朝。
俺の部屋のベッドの上には、新しいダブルサイズの毛布にぐるぐるとくるまり、巨大なミノムシと化した冬月凛がいた。
「おいおい、今日は平日だぞ。そろそろ起きないと遅刻するって」
「むぅ……だって、外すっごく寒いもん。顔に当たる空気がもう痛いもん……」
毛布の隙間から恨めしそうな目だけを出して、凛が抗議してくる。
昨夜から急激に冷え込んだせいで、暖房をつけていない部屋の空気は、冷蔵庫の中のようにキンキンに冷え切っていた。
一つの毛布でくっついて寝ていなかったら、危うく凍えているところだったと思うくらい寒かった。
「ほら、そうは言っても学校はあるんだから。えいっ」
「ひゃああっ!? さむっ! 冷たいっ!」
俺が容赦なく毛布を引っぺがすと、凛は涙目でジタバタと身悶えした。
「ほら、朝飯できてるぞ。食べて温まれ」
「うぅ……鬼。朝陽くんのスパルタ……」
凛は渋々とベッドから這い出し、パジャマ姿のままでのそのそとリビングのこたつへと潜り込んだ。
今朝のメニューは、玉ねぎとベーコンの旨味がたっぷり溶け込んだ熱々のコンソメスープだ。
オリーブオイルでじっくり炒めた玉ねぎの甘みに、厚切りベーコンの塩気が絶妙にマッチしている。
そこにカリッと香ばしく焼き上げたバゲットのガーリックトーストを添えた。
「いただきますっ」
凛がスープを一口飲んで「はぁぁ……」と幸せなため息をつく。
「……玉ねぎがトロトロで甘い。体の中が芯からぽかぽかしてくるね」
「ガーリックトーストを浸して食べるのも美味いぞ。ほら、しっかり食べて」
「うんっ! ……ふぁ〜、ごちそうさまでした。じゃあ、着替えてくるね」
体が温まって少しシャキッとした凛が、立ち上がって隣の自分の部屋へ向かおうとする。
俺はその背中を見送って、ふと呆れたように息を吐いた。
「……ってか、よく考えたら、お前が自分の部屋に帰るのって着替える時くらいだな」
「えっ?」
ドアノブに手をかけた凛が、ピタリと動きを止めて振り返る。
「食事も、お風呂上がりも、寝るのも俺の部屋だろ。これ、もうほとんど半同棲みたいなもんじゃないか?」
「っ……! そ、それは……」
俺のツッコミに、凛は耳の先まで真っ赤にして俯いてしまった。
図星を突かれて恥ずかしくなったのか、モジモジと指先を絡ませている。
「えへへ……だって、朝陽くんのお部屋があったかいんだもん。……だめ、だった?」
「ダメじゃないけど……良くはないだろ。いくら付き合ってるとはいえ、ちゃんとメリハリはつけないとな」
俺が少しだけたしなめるように言うと、凛は「うぅ……はーい」と少ししょんぼりしながら自分の部屋へと消えていった。
バタン、とドアが閉まったのを確認してから、俺は一人で小さくため息をつく。
「……でも、朝起こしに行った時に凛が自分の部屋で凍死してたら嫌だしな。……まあ、冬の間はしょうがないか」
誰に聞かせるわけでもなくブツブツと呟きながら、俺は二人分の食器を片付け始めた。
厚手のインナーを着込み、お揃いで買ったマフラーと手袋をしっかり装備してアパートを出る。
外は、足首が埋まるほどの雪が積もっていた。
空からはまだ、風に乗って雪がパラパラと舞い落ちてきている。
滑らないように慎重に歩きながら、俺たちはなんとか学校へとたどり着いた。
「うーっす……って、人少なっ」
自分の教室に入ると、クラスの半分以上の席が空席だった。
暖房の効いた教室の中央で、友人の大輝がスマホをいじりながらため息をついている。
「よぉ、朝陽。今日絶対自習だろこれ。電車組、ほとんど全滅らしいぞ」
「マジか。まあ、この辺りは滅多に雪なんて降らないからな。これくらい少し積もっただけでも、すぐに交通機関が麻痺して大騒ぎになるんだよな」
「つーか、こんな雪の中で授業なんかやる気にならねぇよ……」
大輝の予想は、見事に的中した。
朝のホームルーム。
ガラッ、と教室に入ってきた担任の先生が、教卓にプリントの束をドンと置きながら口を開いた。
「えー、皆さんもご存知の通り、大雪の影響で交通機関が乱れています。よって本日は、二時間目の現代文が終わった時点で帰りのホームルームとし、そのまま一斉下校とします!」
その瞬間、教室中から「っしゃああっ!!」「神!!」という歓声が巻き起こった。
大輝もガッツポーズをしているが、俺は一人、自分のカバンの中に入っているタッパーを見つめていた。
(……気合い入れてお弁当作ってきたのに。まあ、家で凛と一緒に食うか)
あっという間に二時間の授業(ほぼ自習)が終わり、俺たちは足早に下校の準備を始めた。
「朝陽くん、お疲れ様!」
昇降口で待っていると、マフラーに顔を半分埋めた凛が小走りでやってきた。
「お疲れ。結局、午前中で終わりになっちゃったな」
「うん。でも、雪道すっごく滑るから、早く帰れるのはちょっと嬉しいかも」
外に出ると、冷たい風がピューッと吹き抜けた。
凛が「ひゃっ」と肩を竦める。
俺たちは、ホームセンターの帰りに買ったお揃いのマフラーに顔を埋めながら、顔を見合わせた。
「お揃いのマフラー、やっぱりあったかいね」
「ああ。防寒バッチリだな。滑るから気をつけて帰るぞ」
「うんっ!」
俺たちは少しだけ肩を寄せ合い、足並みを揃えて雪道を踏みしめながらゆっくりと歩き出した。
帰り道。
少し体が冷えてきたところで、俺たちは駅前にあるコーヒー専門店に寄り道した。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ホットのホワイトモカを、グランデサイズで二つお願いします」
テイクアウト用の紙カップを受け取ると、蓋の隙間からエスプレッソと甘いホワイトチョコレートの香りが湯気と共に立ち上る。
外に出て、二人でベンチの近くの屋根の下に並んで立った。
「……はぁ〜、生き返るね」
両手で温かいカップを包み込み、凛が嬉しそうに目を細める。
クリーミーでコクのある甘さが、冷え切った体にじんわりと染み渡っていく。
「お昼もお弁当あるし、午後からはずっとお家でぬくぬくできるな」
「そうだね。それなら、午後はお仕事のイラスト進めようかな」
「じゃあ俺は、凛の横で動画の編集でもするか」
「ふふっ、賛成!」
雪の日の、思いがけない短い日課。
俺たちは甘くて温かいホワイトモカを片手に、のんびりと二人だけの秘密基地へと帰っていくのだった。