作品タイトル不明
第388話:お揃いの香りと、待ち遠しい放課後
ドラッグストアでの買い出しから帰宅し、日曜日の夜になった。
俺たちは早速、今日買ってきたばかりの新しい入浴剤と、お揃いのシャンプー&ボディソープを試してみることにした。
「じゃあ、私から先にお風呂もらっていいかな?」
「おう。柚子の入浴剤、ちゃんと入れておいたからな。ゆっくり温まってこいよ」
「うんっ! 行ってきまーす」
嬉しそうに脱衣所へと向かう凛を見送り、俺はリビングで麦茶を飲みながらくつろいでいた。
数分後。
水の音が響き始めたかと思うと、脱衣所のドアの向こうから、少し高くなった凛の声が聞こえてきた。
『朝陽くーん! このシャンプー、すっごく泡立ちが良くていい匂いだよー!』
「……ははっ。聞こえてるよ。あんまりはしゃいで滑って転ぶなよ」
俺がリビングから少し声を張って返事をすると、ドアの向こうから『ふふっ』という楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。
『ボディソープもね、お肌がすべすべになりそう!……ねえ、朝陽くん、まだそこにいる?』
「いるぞ。ちゃんとリビングで待ってるから、安心してゆっくり入ってこい」
『えへへ……うんっ!』
姿は見えないけれど、ドア越しに交わす他愛のない会話。
ただそれだけのことで、胸の奥がじんわりと温かくなる。一人暮らしの静かだったアパートが、今は彼女の声と気配で満たされていることが嬉しかった。
数十分後、ポカポカに温まった凛と入れ替わりで、今度は俺がお風呂に入る番になった。
「ふぅ……」
柚子の香りが漂う湯船に肩まで浸かり、一息つく。
『ホワイトサボンの香り』のシャンプーは、確かに凛が言う通り清潔感があって、とてもリラックスできるいい匂いだった。
すると、脱衣所のドアの向こうから、パタパタという小さな足音が近づいてきた。
『……朝陽くん?』
「ん? どうした、凛。湯冷めするからちゃんと服着ろよ」
『もう着てるよ。……あのね、柚子のお風呂、すっごくポカポカして気持ちよかった。朝陽くんも、ちゃんと肩まで浸かってね?』
ドアのすぐ向こう側に、凛がいる。
壁一枚隔てただけの距離から聞こえてくる彼女の声に、俺は思わずお湯の中で顔を緩ませた。
「わかってるよ。今しっかり温まってるところだ」
『そっか。……ねえ、朝陽くん』
「ん?」
『……早く出てきてね。ドライヤーで髪、乾かしてほしいな。……それに、一緒に同じ匂いになったか、早く確認したいし』
(……っ!)
ドア越しの破壊力抜群なおねだりに、俺は心臓を大きく跳ねさせた。
熱いお湯のせいだけではない理由で顔が茹で上がりそうになりながら、俺は「……すぐ出るから、ちょっと待ってろ」と返すのが精一杯だった。
お風呂上がり。
俺はいつも通りソファに座り、凛の後ろに回ってドライヤーで彼女の長い漆黒の髪を乾かしてやる。
温かい風を当てながら手ぐしを通すと、フワリと、さっき俺が使ったのと同じ『ホワイトサボンの香り』が鼻をくすぐった。
いつも凛からするシャンプーの甘い匂いも好きだったが、自分と同じ香りが彼女から漂ってくるというのは、なんとも言えない特別感がある。
「……ふぅ、乾いたぞ」
「ありがとう、朝陽くん」
ドライヤーを片付けようとした時、凛がくるりと振り返り、俺の服の袖口を両手でキュッと掴んだ。
そして、コトリと俺の肩に額を押し当てて、スンスンと匂いを嗅いでくる。
「……ふふっ。本当に、朝陽くんと同じ匂いがする」
「そ、そりゃあ同じシャンプー使ったんだから、当然だろ」
「えへへ……なんだか、朝陽くんに包まれてるみたいで、すごく安心するの」
嬉しそうに微笑む彼女の頭をそっと撫でながら、俺は同じ匂いのシャンプーがもたらす『夫婦』のような特別感を噛み締めた。
「……明日、いよいよソファ届くね」
「ああ。夕方には来るはずだ」
「楽しみ……っ」
お揃いの香りに包まれながら、俺たちは期待に胸を膨らませて、穏やかな眠りについたのだった。
翌朝。月曜日の学校。
俺と凛は一緒に登校し、それぞれの教室がある廊下で別れた。
「おはよう、朝陽!」
「ん? ……おい朝陽、お前なんか今日、すげぇいい匂いしねぇか?」
席に着くなり、友人の大輝と寺田が鼻をヒクヒクさせながら寄ってきた。
「いい匂い?」
「おう。なんかこう、清潔感があるっていうか……シャンプー変えた?」
「ああ、昨日切れたから、新しく買い替えたんだよ」
「へー。お前、普段は地味にしてるけど、よく見たら顔立ち整ってるし、その上そんないい匂いさせたら、モテちゃうぞ?」
からかってくる友人たちに適当に返しつつ、昼休み。
購買へパンを買いに行く途中、廊下で偶然、隣のクラスの凛が女子のグループと一緒に歩いているのを見かけた。
「あ、冬月さん! 今日のシャンプー、いつもと違う? すっごくいい匂いがする……!」
「えっ? あ、うん……昨日、新しく買い替えたの」
「どこのやつ!? すっごく清潔感があって、冬月さんに似合ってる!」
女子たちに囲まれ、ほんのりと頬を染める『氷の令嬢』。
周りの連中は、まさか隣のクラスの男子生徒と学校一の美少女が『全く同じシャンプー』を使っているなんて、夢にも思っていないだろう。
その時、ふと凛と目が合った。
彼女は俺の姿を認めると、女子たちに隠れるように、ほんの少しだけ口元を綻ばせ、小さく手を振ってくれた。
(……俺たち、同じ匂いなんだよな)
誰にも知られていない、二人だけの秘密。
廊下越しに視線を交わし合うだけで、優越感と愛おしさが胸を満たしていくのを感じた。
そして、待ちに待った放課後。
ホームルームが終わるや否や、俺たちは示し合わせたように廊下で合流した。
「朝陽くん、早く帰ろっ!」
「おう、今日は寄り道なしの帰宅だな」
いつもならスーパーに寄ったり、のんびりと歩いて帰るところだが、今日ばかりは違う。
夕方には、あの家具屋で買ったローソファが届くのだ。
俺たちは弾むような足取りで、少し早歩きでアパートへと帰宅した。
すぐに制服から部屋着に着替え、リビング兼、凛の作業スペースとなっている部屋の片付けに取り掛かる。
「ローテーブルを少しこっちにずらして……うん、このスペースならバッチリだな」
「ここにソファを置いたら、ご飯食べた後、すぐに二人でゴロンってできるね!」
「ああ。窓の近くだから、凛が絵を描く時も光の入り具合がちょうどいいはず」
二人で協力して家具の配置を微調整し、新しい特等席を迎える準備は完璧に整った。
「あとは届くのを待つだけだな」
「……うんっ。なんだかソワソワしちゃうね」
二人で空っぽのスペースを見つめながら、今か今かと待ち構えていると――。
『ピンポーン!』
アパートの静かな部屋に、待ちに待った配達のチャイムが鳴り響いた。
俺と凛は、パァッと顔を見合わせて笑顔を咲かせる。
「来たっ!」
「俺が出てくる。凛はそこで待っててくれ」
いよいよ、俺たちの生活を彩る特等席がやってくる。
俺は期待に胸を躍らせながら、玄関のドアノブに手をかけたのだった。