作品タイトル不明
第387話:彼女が作る世界一の朝ごはん
「朝陽くんっ、起きてー! 朝ご飯、できたよ!」
体を優しく揺する感触と、鈴を転がすような愛おしい声。
ゆっくりとまぶたを開けると、エプロン姿の凛が、嬉しそうな笑顔で俺を覗き込んでいた。
「……ん? 凛……?」
「おはよう、朝陽くん!」
彼女に優しく起こしてもらう朝。
それは間違いなく、世の男たちが一度は思い描く最高のロマンだ。
寝ぼけた頭でその幸福感を噛み締めていると、ふと、部屋中に充満している甘くて香ばしい匂いに気がついた。
バターが焼ける匂いと、メープルシロップの香り。
「この匂い……まさか、凛が朝ご飯を作ってくれたのか?」
「うんっ! 朝陽くんが起きる前に、はじめて作ってみたの!」
えっへん、と少し誇らしげに胸を張る凛。
俺は一気に目が覚め、慌ててベッドから起き上がった。
リビングのダイニングテーブルに向かうと、お皿の上には、綺麗なきつね色に焼き上げられたフレンチトーストが並んでいた。
粉砂糖が雪のようにまぶされ、メープルシロップがとろりと光を反射している。
「すごい……! めちゃくちゃ美味しそうじゃないか」
「えへへ、YouTubeの動画見ながら頑張ったの。……冷めないうちに、食べて?」
上目遣いで期待に満ちた視線を送ってくる彼女を前に、俺は席につき、フォークとナイフを手にした。
一口サイズに切り分け、口へと運ぶ。
「…………っ!」
「ど、どうかな……? 朝陽くんがいつも作ってくれるみたいに、中までとろとろじゃないかもしれないけど……」
確かに、俺がいつも作る前日から厚切りパンを漬け込んだものに比べると、芯の方まで卵液が染み込みきっていない部分もある。
だけど。
「……うまっ! なにこれ、めちゃくちゃ美味しい!」
「ほ、ほんと!?」
「ああ。バターの香りも最高だし、焼き加減も完璧だ!」
俺のために、わざわざ早起きして、慣れない料理に一生懸命挑戦してくれた。
その愛情と健気さという最高のスパイスが加わっているのだ。
俺にとって、このフレンチトーストは、世界中のどんな三ツ星レストランの料理よりも美味しかった。
俺のベタ褒めに、凛は顔を真っ赤にして、パァッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「よかったぁ……! 美味しいって言ってもらえて、すっごく嬉しい……!」
「でも、どうして急に作ろうと思ったんだ?」
俺が尋ねると、凛は一瞬だけビクッと肩を揺らし、視線を泳がせた。
「そ、それは……! 私も、少しはお料理できるようにならないとって思ったからで……そ、その、朝陽くんにばっかり頼ってちゃダメだなって!」
慌てて誤魔化すようなその姿が可愛くて、俺はそれ以上深く追及せず、「そっか、ありがとうな」と優しく微笑んで、世界一美味しいフレンチトーストを平らげた。
食後。
「私が洗う!」と主張する凛を「作ってもらったお礼だから」と宥め、俺はサッと食器洗いを済ませた。
二人でソファに並んで座り、温かいお茶を飲みながらまったりとくつろぐ。
「日曜だし、これから何しようかー」
「そうだな……。あ、そういえば、ティッシュとかトイレットペーパーのストックがそろそろ切れそうだったな。キッチンペーパーも少なくなってたし」
「ほんと? じゃあ、お散歩がてら、近くのドラッグストアに買い出しに行こっか!」
凛の提案で、俺たちは軽く着替えを済ませてアパートを出た。
歩いて十数分の距離にある、大型のドラッグストア。
入り口でカートを引き出し、俺が押し、凛がその隣を歩く。
「まずは紙類だな」
「うんっ。トイレットペーパーはこれで、ティッシュはこっちだね」
二人で相談しながら、生活必需品を次々とカゴに入れていく。
こういう何気ない買い物の時間は、ただ歩いているだけでも心が温かくなる。
「あとは……お風呂用品だな。うちの風呂場にあるシャンプーとコンディショナー、そろそろ切れそうだったから」
「あ、そうだね。今私、毎日朝陽くんのお風呂使わせてもらってるもんね」
凛はすっかり俺の部屋の風呂が定位置になっている。
俺たちは日用品の棚へと足を向けた。
「せっかくだし、今までとは違うシャンプーに変えてみない? 一緒に新しい匂い、探そっ」
「新しい匂いか。いいな、そうしよう」
二人でシャンプーのコーナーに立ち並び、ズラリと陳列されたボトルの前に置かれた「香りのサンプル」を手に取る。
「これはどうかな? 『華やかなローズの香り』だって」
「うーん……ちょっと匂いが強すぎるかも。凛の髪にはもっと優しい香りの方が似合いそうだけど」
「そっか。じゃあ、こっちは? 『爽やかなシトラスミント』!」
凛が小瓶の蓋を開け、俺の鼻先にスッと近づけてくる。
距離が近い。シャンプーのサンプルよりもそっちに意識を持っていかれそうになる。
「……シトラスは、夏っぽくてちょっとスースーするかもな」
「あはは、確かに。今は冬だもんね」
俺たちは肩が触れ合うほどの距離で、あーでもない、こーでもないと香りのサンプルを嗅ぎ比べた。
そして、ようやく一つのボトルの前で二人の意見が一致した。
「……あ、これ。すごくいい匂い」
「『ホワイトサボンの香り』か。清潔感があって、強すぎなくて……うん、これすごくいいな。落ち着く香りだ」
「ねっ! じゃあ、これのシャンプーとコンディショナーにしよっ!」
凛は嬉しそうに、ボトルを二本ひょいっとカートの中に入れた。
そして、ふふっと楽しそうに笑いながら、俺の顔を下から覗き込んでくる。
「今日の夜から、朝陽くんも私も、このホワイトサボンの匂いになるんだね」
「……お、おう」
「ふふっ。同じ匂い……嬉しいな」
(……っ!)
自分が発した言葉の破壊力に気づいていないのか、凛は極上の笑顔を浮かべている。
嬉しそうに詰め替えパックをカゴに入れていく凛の姿が、どうしようもなく愛おしかった。
「最後に、入浴剤も買っていこうぜ。そろそろ別の香りを試したかったし」
「あ、賛成! 何の香りがいいかなぁ」
入浴剤の棚の前で、二人でパッケージを見比べる。
「この『柚子の香り』とか、温まりそうでよくないか?」
「いいね! あ、こっちの『深い森の香り』もリラックスできそう」
「じゃあ、両方買って、気分で使い分けるか」
「うんっ! 帰ったら、早速どっちか使ってみようね」
彼女が作ってくれた最高の朝ごはんから始まり、生活感に溢れたお買い物デート。何でもお揃いにしたがる彼女の可愛さに胸を撃ち抜かれながら。
俺たちの平和で甘い日曜日の午後は、ゆっくりと穏やかに過ぎていくのだった。