作品タイトル不明
第389話:ローソファと熱々ミルフィーユ鍋
『ピンポーン!』
アパートの部屋に鳴り響いたチャイムの音。
玄関のドアを開けると、そこには大きな段ボール箱を抱えた配達員さんが立っていた。
「配送です!」
「ありがとうございます、ご苦労様です」
受け取ったのは、昨日家具屋さんで二人で選んだ、アイボリー色の2人用ローソファだ。
ずっしりとした重みを感じながらリビングへと運び込むと、後ろからついてきた凛が「わぁぁっ!」と歓声を上げた。
「ついに来たね、朝陽くん!」
「ああ。組み立て不要だからそのまま使える。よし、開けるぞ」
二人でカッターを使って丁寧に段ボールを開封し、中からふかふかのローソファを取り出す。
そして、昨日から決めておいた定位置――凛の作業用デスクのすぐ後ろ、窓際のスペースへと設置した。
「……おお、やっぱりいい感じだな。部屋の雰囲気にもぴったりだ」
「うんっ! 大きさもちょうどいいし、すっごく可愛い!」
温かみのあるアイボリー色が、部屋全体をパッと明るくしてくれている。
俺たちは顔を見合わせ、満足げに頷き合った。
「じゃあ、早速座ってみるか。まずは俺から」
俺は靴下を脱いで、ローソファの中央に腰を下ろした。
座面はふかふかだが沈み込みすぎず、背もたれもしっかりとした硬さがあって、これなら長時間座っていても全く疲れなさそうだ。
「お、結構しっかりしてる。座り心地良いな」
「ほんと? ……じゃあ、私も」
凛はそう言うと、くるりと俺に背を向けるようにして、「失礼しまーす」と嬉しそうな声を上げながら、俺の開いた両足の間にすっぽりと収まるようにしてちょこんと座り込んだ。
そしてそのまま、俺の胸板を『背もたれ』にするように、グーッと全体重を預けてくる。
「……んーっ、ふかふかぁ……。朝陽くんの人間ソファ、最高……」
俺の胸に、凛の華奢な背中がぴったりと密着する。
彼女の柔らかい体重が俺の体にかかるが、ソファの背もたれが俺の背中をしっかりと支えてくれているため、全く苦ではない。
むしろ、俺の腕の中にすっぽりと収まり、無防備に身を任せてくれている彼女の小ささがたまらなかった。
俺は彼女の体重をしっかりと受け止めつつ、呆れたようにため息をついてみせる。
「お前なぁ……。仕事中はこの座り方がデフォで確定なのか?」
「うんっ! 私が一人で集中して作業できるようになるまでは、これが確定ですっ!」
「……お前、その言い方だと、一生一人で作業できるようにならない気がするんだが」
「えへへ。バレちゃった?」
下から見上げるように、琥珀色の瞳が俺を覗き込んでくる。
俺の胸に背中を預け、完全に安心しきっているその姿。
彼女をすっぽりと包み込んでいるこの体勢は、男としての頼りにされている感覚や庇護欲を強烈に刺激してくる。
「……朝陽くんの体、大きくて、あったかい」
凛が、俺の腕に自分の小さな両手を重ねながら、うっとりとした声で呟いた。
すぐ耳元から、昨日からお揃いになったホワイトサボンの優しい香りが漂ってくる。
「背中からね、朝陽くんの心臓の音も聞こえるの。……すっごく、安心する」
「……そっか。凛が落ち着くなら良かったよ」
「うんっ……」
お互いの体温を感じながら、ただ静かに寄り添う時間。
控えめに言って、最高だった。
「……っと、ずっとこうしていたいのは山々なんだけど、そろそろ晩ご飯の準備しないとな」
「あ、そっか。今日のご飯、何かな?」
「今日は寒いし、冬の定番だ。ご飯とお風呂の後で、またここでゆっくり座ろうぜ」
「うんっ!」
俺たちは名残惜しさを感じつつもソファから立ち上がり、自室のキッチンへと向かった。
「お待たせ。今日の晩ご飯は、豚バラと白菜のミルフィーユ鍋だ」
リビングのテーブルにカセットコンロを置き、その上にどーんと土鍋を乗せる。
蓋を開けると、真っ白な湯気と共に、お出汁の優しい香りがフワリと立ち上った。
「わぁ……! お肉と白菜が、綺麗にぎっしり並んでる!」
「火はもう通ってるから、熱いうちに食べようぜ。今日はさっぱり食べられるように、ポン酢ともみじおろしを用意したから」
「もみじおろし! 大好き!」
俺は取り鉢にポン酢を注ぎ、ほんのりと赤いもみじおろしを添えて、熱々の豚肉と白菜を取り分けた。
「いただきます!」
「いただきます」
フーフーと息を吹きかけて冷まし、ポン酢をたっぷりと絡めて口へと運ぶ。
「……ん〜っ! 美味しいっ!!」
一口食べた瞬間、凛の顔がパァッと輝いた。
とろとろに煮込まれた白菜は、芯までお出汁を吸って驚くほど甘い。
そこに豚バラ肉の濃厚な脂の旨味が重なり、口の中でジュワッと溶け合っていく。
「白菜、すっごく甘いね! お肉も柔らかくて、ポン酢でさっぱりしてるから、いくらでも食べられちゃいそう!」
「だろ? 豚肉の脂っこさをポン酢が消してくれてるし、このもみじおろしのピリッとした辛味が、いいアクセントになってるんだよな」
「うんうんっ! もみじおろし、最高!」
熱々の鍋を頬張りながら、白いご飯をかきこむ。
外の厳しい寒さを忘れさせてくれるような、体の芯から温まる極上のミルフィーユ鍋。
俺たちは夢中になって箸を動かし、大きな土鍋をあっという間に空っぽにしてしまった。
食後。
二人でお風呂に入り、昨日買ったお揃いのホワイトサボンの香りに全身を包まれた俺たちは、再び凛の部屋のローソファへとやってきた。
もちろん、座り方はさっきと同じだ。
俺が背もたれに寄りかかり、凛が俺の両足の間に背を向けて座り、俺の胸に体重を預けてくる。
「……ふふっ、本当にこの場所、最高」
「ああ。……ちょっと冷えるから、これ掛けるぞ」
俺は用意しておいた大きなもこもこのブランケットを広げ、俺と凛をすっぽりと包み込むように掛けた。
一つの毛布をシェアして密着していると、お互いの体温が逃げず、まるでコタツに入っているような温かさに包まれる。
凛の作業用デスクの上にあるパソコンモニターを少しこちら側に向け、二人でYouTubeを開いた。
「今日は何見る?」
「うーん、動物の癒やし動画とか見たいな」
「よし、じゃあこれで」
画面の中では、無防備な姿で眠る子犬や、おもちゃに驚いて飛び上がる猫の動画が流れている。
「あははっ! 今の猫ちゃん、ジャンプ力すごすぎ!」
「見事な空中一回転だったな。」
俺の胸に寄りかかった凛の肩が、笑うたびに小さく揺れる。
俺は自然と彼女の腰のあたりに緩く腕を回していた。
動画の音声と、凛の楽しそうな笑い声。
暖房の効いた部屋で、一つのブランケットに包まりながら、ただ腕の中で同じものを見て笑い合う。
こんな何気ない日常が、たまらなく幸せで、多幸感に胸がいっぱいになる。
数本の動画を見終わり、画面が次の動画を読み込んでいる間の、ふとした静寂。
「……朝陽くん」
凛が、俺の胸に背中を預けたまま、少しだけ体を捻って俺を見上げた。
至近距離で合う、琥珀色の瞳。
お風呂上がりの少し上気した頬が、部屋の柔らかな照明に照らされて艶っぽく見えた。
「ん? どうした?」
俺が首を傾げた、次の瞬間。
凛はそのまま少しだけ背伸びをするようにして、俺の顔に近づき――。
「え?」
――チュッ。
「…………えっ?」
ほんの一瞬。
俺の唇に、ふんわりと柔らかくて、甘いものが触れた。
「…………っ」
時が止まったかのように、俺の思考が完全にフリーズする。
触れたのは、間違いなく、凛の唇だった。
「……えへへ」
顔を真っ赤に染めながら、凛は照れ隠しのように小さく笑う。
そして、俺の胸に再び顔を埋めるようにして、ぎゅっと俺の腕に抱きついた。
「……いつも、私を幸せにしてくれてありがとう、朝陽くん」
腕の中から聞こえてきた、小さくて、でも真っ直ぐな愛情の言葉。
ドクン、ドクンと、自分の心臓の音がうるさいくらいに跳ね上がっているのがわかる。
組み立て不要のソファがもたらした、最高の特等席。
お揃いの香りと、熱々のお鍋。
そして、この不意打ちの甘すぎるキス。
俺はこの先、彼女を手放すことなんて絶対にできないと、深く、深く心に刻み込まれたのだった。