作品タイトル不明
第381話:カックカクの朝陽くんと、生チョコトリュフ
「……いっ、たたた……」
朝。ベッドから起き上がろうとした俺は、腹筋に走る鋭い痛みに顔をしかめた。
昨日、数時間にわたって凛の体重を支え続けた『人間ソファ』の代償は想像以上に大きく、俺の腹筋は見事な筋肉痛に見舞われていた。
「おはよう、朝陽くん……」
「お、おはよう。……いっ」
リビングに向かう俺の歩き方は、まるで油の切れたブリキのロボットのようにカックカクになっていた。
不自然極まりない動きで麦茶を注ぐ俺を見て、ソファに座っていた凛がしゅんと眉を下げた。
「……ごめんね。私が昨日、ずっと寄りかかってたから……」
「いやいや! 凛のせいじゃないって。俺が日頃から運動不足なだけだから、全く気にするな」
本気で申し訳なさそうにしている彼女の頭を、俺は痛む腹筋を庇いながら優しく撫でた。
「そういえば、今度の土日、春服を買いに行く予定だったよな。そのついでに、家具屋で二人で座れる『ローソファ』も見に行こうか」
「……ほんと?」
「ああ。ふかふかのやつ探そうぜ」
俺がそう提案すると、凛はパッと顔を輝かせ、琥珀色の瞳を嬉しそうに細めた。
連休最終日ということもあり、今日の凛のお仕事は軽めの作業だけらしい。
俺はカックカクの動きで温かいお茶を淹れたりしながらサポートに徹し、お昼時には消化の良い『ふんわり卵とじうどん』を作った。
昨日七草粥で胃を休めたとはいえ、まだお腹に優しいものがいいだろうという配慮である。
「いただきます。……ん〜、優しい……」
黄金色のつゆに、ふんわりと花が咲いたような溶き卵。
とろみのあるスープがうどんにしっかりと絡み、ひとくち食べるごとに体の芯からポカポカと温まっていく。
凛はとろけるような笑顔で、あっという間にうどんを平らげてしまった。
「午後は特に仕事の予定もないし……よし、動画の撮影でもするか」
「動画? なに作るの?」
「来月はバレンタインだろ? 編集の時間も考えて、今月半ばにはお菓子作りの動画を投稿しておきたいんだよ。シンプルに『生チョコトリュフ』でも作ろうかと思って」
俺が『チョコ』という単語を出した瞬間、凛の頭の上に犬の耳が見えそうなほど、パァッと表情が明るくなった。
「生チョコ……! 食べる!」
「ははっ、じゃあ材料買いに行くか」
俺たちは揃ってアパートを出て、近くのスーパーへと向かった。
板チョコを数枚と、動物性の生クリーム、そして仕上げ用の純ココアパウダー。
必要なものをカゴに入れ、冬の冷たい空気をふたりで歩きながら帰路についた。
アパートに戻り、エプロンをつけてカメラをセッティングする。
録画ボタンを押し、俺は手洗いと消毒を済ませてから調理に取り掛かった。
まずは、まな板の上に板チョコを置き、包丁で細かく刻んでいく。
トトトトトッ、と小気味良い音がキッチンに響く。
「……」
凛はカメラの画角に入らない位置に立ち、俺の手元をジッと真剣な眼差しで見つめていた。
刻んだチョコレートをボウルに入れ、小鍋で沸騰直前まで温めた生クリームを一気に注ぎ込む。
ヘラで中心からゆっくりと円を描くように混ぜていくと、最初は分離していた生クリームとチョコが次第に馴染み、とろりとした艶やかなペースト状に変わっていく。
(よし、いいツヤだ)
その瞬間、キッチンいっぱいに、カカオの濃厚で甘い香りがふわりと広がった。
画角外にいる凛が、その匂いに釣られて「んぅ……」と小さく喉を鳴らすのが聞こえ、俺は思わず口元を緩ませてしまう。
溶かしたチョコレートをバットに流し込み、冷蔵庫で冷やし固める。
扱いやすい硬さになったらスプーンですくい、手のひらでコロコロと一口サイズのボール状に丸めていく。
最後に、ほろ苦い純ココアパウダーをたっぷりとまぶせば、あっという間に『生チョコトリュフ』の完成だ。
白いお皿の上に、粉雪を被ったようなトリュフを綺麗に積み上げる。
カメラのピントを合わせ、完成品の映像をしっかりと収めたところで、俺は録画の停止ボタンを押した。
「よし、これで撮影は終わり」
「……すっごく、美味しそう」
エプロンを外す俺の隣で、凛はキラキラと輝く琥珀色の瞳でお皿の上の生チョコを見つめていた。
「しっかり冷やしてからの方が美味しいから、食べるのは午後のお茶の時間までお預けな」
「ええーっ……」
「だーめ。せっかくなら一番美味しい状態で食べてほしいからな」
オカンモードでピシャリと言うと、凛は残念そうに唇を尖らせたが、すぐに「……うん、お茶の時間まで楽しみに待ってる」と素直に頷いた。
キッチンに残る、濃厚で甘いチョコレートの香り。
なんだか、少し早めのバレンタインを二人で過ごしているような気がして。
筋肉痛で動かしづらいはずのお腹の奥が、チョコの甘い匂いとは別の理由で、じんわりと温かくなるのを感じていた。