作品タイトル不明
第377話:ドア越しの習慣と、いつもの夜
夕食と食後のまったりタイムを終え、まずは凛が先にお風呂に入った。
彼女が上がり、交代する形で俺も浴室へと向かう。
「……ふぅ」
シャワーのお湯を浴び、頭を洗って泡を綺麗に洗い流した、その時だった。
脱衣所のドアの向こうから、パタパタという軽い足音が近づいてきて、ドアのすぐ外でピタリと止まる気配がした。
「……朝陽くん」
「ん? 凛、どうした?」
俺がシャワーを止めて尋ねると、少しだけ照れくさそうな、くぐもった声が返ってきた。
「……なんかね、お風呂入ってる時にドア越しでお話しするの、結構好きかもしれないなって思って」
実家でのあのお風呂掃除の夜から、どうやら彼女の中で『ドア越しトーク』がちょっとしたお気に入りになってしまったらしい。
その可愛すぎる理由に、俺は思わず頬を緩ませた。
「ははっ、そっか。俺も凛と話すの好きだよ。じゃあ、体を洗いながら話すね」
「うんっ」
俺はボディタオルに石鹸を泡立てながら、ドア越しの彼女に話しかけた。
「そういえば、連休に行く服の買い物のことだけどさ」
「あ、うん。どこに行こうか?」
「凛は、どんな春服を着てみたいとかあるのか? パステルカラーとか、ワンピースとか」
「うーん……朝陽くんは、私がどんな服を着るのが好き?」
「俺? 俺は……凛ならなんでも似合うと思うけど、強いて言うなら、少しふんわりしたシルエットのものとか、見てみたいかもな」
「ふんわりしたの……うん、わかった! 探してみる!」
ドアの向こうで、嬉しそうに弾む声が聞こえる。
「お風呂から出たら、一緒にお茶でも飲みながら、サイトの写真とか見て選ぼうな」
「うんっ、待ってるね!」
体を洗い終え、俺はしっかりと温かい湯船に浸かってから浴室を出た。
お風呂上がり。
リビングに戻ると、俺たちは温かいほうじ茶の入ったマグカップを片手に、ソファでぴったりと肩を並べて座っていた。
「……あ、このカーディガン、色がすっごく可愛い」
「ほんとだ。春らしい色で、凛の黒髪にも絶対似合うと思うぞ」
俺のスマホの画面を二人で覗き込みながら、ファッションサイトをスクロールしていく。
二人で「これがいい」「あれも可愛い」と言い合いながら過ごすこの時間は、本当に平和で、幸せそのものだった。
やがて夜も更け、寝る時間になった。
「実家で二日連続で一緒に寝たし、さすがに今日は別々で寝よう」
俺がそう提案すると、凛はあからさまに「え〜……」と不満げに琥珀色の瞳を潤ませた。
だが、俺には一つ、現実的に気になっていることがあったのだ。
「そういえばさ、凛。最近、隣の自分の部屋で全然寝てないだろ」
「う、うん……」
「いくら俺の部屋に入り浸ってるとはいえ、さすがにちゃんと家賃払って借りてるんだから、あっちの部屋でも寝ないともったいなくないか?」
オカン系男子としての、至極真っ当なツッコミである。
すると、凛は少しだけ視線を彷徨わせた後、ポンッと手を打って言った。
「……じゃあ、明日の夜は『私の部屋』で、二人で寝よう!」
「……えっ?」
「それなら、私の部屋で寝たことになるし、もったいなくないでしょ?」
胸を張って、斜め上すぎる提案をしてくる凛。
(……どうしてそうなるんだ?)とは思ったものの。
(まあ、俺が床で寝かせてもらえばいいか。布団を運ぶくらいは苦じゃないしな)
あっさりとそう納得してしまうあたり、俺も相当彼女に甘い自覚はある。
「わかったわかった。明日は凛の部屋で寝よう。……だから、今日はこっち(別々)な」
「……はーい」
しぶしぶといった様子で自分のベッドへ向かう凛を見届け、俺も床に敷いた布団へと潜り込んだ。
部屋の電気が消され、暗闇と静寂が訪れる。
(ふぅ……今日もいい一日だったな)
目を閉じて、静かな眠りにつこうとした、数分後のこと。
ガサガサ……。
「……ん?」
暗闇の中で、衣擦れの音がしたかと思うと。
俺の布団の端がスッと持ち上がり、ふわりと甘い匂いと共に、温かい何かが俺の布団に潜り込んできた。
「……凛?」
「……やっぱり、寂しい」
俺の胸元にすりすりと顔を押し付け、ぎゅっとしがみついてくる小さな体。
「お前なぁ……別々に寝るって言ったばかりだろ」
「う〜……だってぇ……」
「はぁ……仕方ないな」
俺は苦笑しながらも、彼女の背中にそっと腕を回し、その体を優しく抱き寄せた。
結局いつも通りの密着状態になってしまったが、嫌な気は全くしない。
むしろ、この温もりがないと俺も安心して眠れない体にされているような気さえする。
「おやすみ、朝陽くん……」
「ああ、おやすみ」
腕の中で幸せそうに微笑む彼女の体温に包まれながら、俺は深い眠りへと落ちていった。