作品タイトル不明
第376話:膝枕と、怪しい自白
春休みの予定を話し合い、ほっと一息ついた夕方のこと。
エアコンが心地よく効いたリビングで、俺たちは並んでソファに座っていた。
「……ん……」
ふと隣を見ると、俺の太ももに頭を乗せて膝枕の状態になった凛が、気持ちよさそうに目を閉じてウトウトとしていた。
お互いの実家を行き来して、楽しい反面、無意識のうちに気疲れも溜まっていたのだろう。
「少し寝るか?」
「うん……ちょっと、寝る……」
俺が彼女の艶やかな黒髪を優しく撫でると、凛は俺のお腹のあたりに顔をすりすりと押し付け、安心しきったように完全に夢の世界へと旅立っていった。
スヤスヤと規則正しい寝息を立てるその無防備な寝顔は、学校で『氷の令嬢』と呼ばれているとは到底思えないほど、年相応で愛らしい。
(それにしても……)
俺は凛の頭を撫で続けながら、ぼんやりと今日の晩ご飯について考えを巡らせた。
(両方の実家から、おせちの残りやカニ、お裾分けをたくさんもらってきたからな。今の時期は一からご飯を作らなくていいから、すごく助かる)
オカン系男子を自負する俺としては料理をするのは全く苦ではないが、たまにはこうして楽をするのも悪くない。
ただ、趣味の一環としてやっている『料理動画の投稿』のストックが少し気になってきた。
(次は何を作って動画にするかな……よし。お正月で和食が続いたし、次はお菓子作りの動画でも撮ってみるか)
そんな風に頭の中で次の動画の構想を練っていると。
太ももから伝わってくる凛の体温と、部屋に漂う彼女の甘い香りが、俺の眠気まで誘い始めた。
「……ふわぁ」
小さく欠伸をして、俺はソファの背もたれに深く体を預けた。
ほんの少しだけ、目を閉じよう。
そう思ったのが最後、俺の意識も心地よい微睡みの中へと溶けていった。
「…………くん。朝陽、くん」
どれくらい時間が経っただろうか。
俺の頬を、柔らかくて冷たい何かがツンツンと突いている感覚で、ゆっくりと目を覚ました。
「ん……あ、れ?」
視界がぼやける中、最初に目に入ったのは、見慣れた天井ではなく、透き通るような琥珀色の瞳だった。
そして、自分の後頭部に感じる、ふんわりと柔らかくて温かい極上の感触。
「おはよう、朝陽くん。よく眠れた?」
「……え? あ、あれっ!?」
俺は状況を理解した瞬間、バッと体を起こした。
なんと俺は、先ほどまで俺の太ももで寝ていたはずの凛に『膝枕』をされた状態で寝ていたのだ。
「あれ、なんで俺が膝枕されてるんだ? さっきまで凛が俺の膝で寝てたはずじゃ……」
「ふふっ。私が先に起きて座り直したらね、朝陽くんがコテンって倒れてきて、私の膝に乗ったの」
凛はクスリと笑いながら、事の顛末を説明してくれた。どうやら、完全に脱力して寄りかかってしまったらしい。
「そ、そうだったのか。ごめん、重かっただろ」
「ううん、全然。……あ、でもね!」
急に凛が少しだけ視線を泳がせ、不自然なほど声を張った。
「寝てる間に、朝陽くんのほっぺたをぷにぷにしたり、無防備な寝顔の写真をこっそり撮ったりなんて、絶対に! してないからね!」
「…………」
聞いてもいないのに、自ら怪しすぎる自白をしてくる凛。
真っ赤になった耳と、明らかに動揺している琥珀色の瞳を見れば、彼女が俺の寝ている間に何をしていたのかは一目瞭然だった。
けれど、そんな不器用な誤魔化し方すらも可愛くて、俺は自然と頬を緩ませた。
「そっか。してないなら、よかったよ」
「う、うん! してないしてない!」
俺はソファから立ち上がった。
すっかり外も暗くなり、晩ご飯の時間。
今日は実家からもらったおせちの残りやお煮しめなどの豪華なお裾分けを綺麗にお皿に並べ、俺は炊きたての白いご飯と、温かいお味噌汁だけを用意した。
「いただきます」
「いただきます!」
蓋を開けると、炊飯器からふわりと甘い湯気が立ち上る。
ツヤツヤと輝く炊きたての白米。
そして、お出汁の香りがふわりと広がる、豆腐とわかめのシンプルなお味噌汁。
凛はお味噌汁を一口飲み込むと、「……ふふっ」と、心底ホッとしたような、とろけるような笑顔を見せた。
「やっぱり、朝陽くんのご飯とお味噌汁があると、すごく落ち着くね」
「実家のご飯も美味しかったけど、やっぱりいつもの味も良いよな」
二人で向かい合い、豪華なおかずと共に白いご飯を頬張る。
美味しいものを一緒に食べて、「美味しいね」と笑い合える。
この何気ない日常の食卓が、俺にとっては一番の癒やしだ。
「そういえばさ、そろそろお正月のご馳走続きで、胃腸が疲れてくる頃だろ?」
「うん。美味しくていっぱい食べちゃったから、ちょっと胃が重いかも……」
「明日は七草粥にしようか。土鍋でコトコト炊いて、胃を休ませよう」
俺がそう提案すると、凛はパッと顔を輝かせた。
「七草粥! 朝陽くんが作ってくれるの? 楽しみ!」
「ああ、任せとけ。美味しいお出汁で作ってやるから」
食後、食器を片付け終えた俺は、「お風呂、お湯張るな」と立ち上がった。
洗面所へ向かい、数日ぶりに自分たちのアパートの、見慣れたお風呂のスイッチを入れる。
『お風呂の、お湯張りを、します』
少し無機質な電子音が、なぜか今日はとても心地よく耳に響いた。
「やっぱり、自分の家のお風呂が一番落ち着くかもな」
リビングに戻り、ソファでくつろぐ凛にそう声をかけると、彼女も「うん、そうだね」と優しく微笑んでくれた。
非日常の特別な時間から、いつもの穏やかな日常へ。
俺たちのペースに完全に馴染んでいくこの空気感が、たまらなく愛おしかった。