作品タイトル不明
第361話:大晦日の現実(宿題)と、年越し天ぷら蕎麦
朝ごはんを食べ終え、温かいお茶を飲みながらまったりとしていた大晦日の午前。
ふと、俺はとんでもないことに気がついてしまった。
「……なぁ、凛」
「ん? どうしたの?」
こたつに入って、みかんに手を伸ばしかけていた凛が首を傾げる。
「俺たち……冬休みの宿題、全く手をつけてなくないか?」
ピタッ、と。
凛の手の動きが完全に止まった。
そして、信じられないものを見るような目で俺を見つめ返し、みるみるうちに絶望の表情へと変わっていく。
「……っ! 忘れてた……!」
「だよな。俺も今、ふと思い出した」
年が明ければ、凛の実家へのご挨拶や、初詣、そしてこの前約束したお洋服選びのデートもある。
お正月休みに宿題を広げている余裕なんて、どう考えてもない。
「……今日、やるしかないか」
「うぅ……大晦日なのにぃ……」
机に突っ伏して涙目になる氷の令嬢。
俺たちはため息をつきながらも、急遽『大晦日・怒涛の宿題合宿』を決行することになった。
「ねえ朝陽くん、この英語の長文、全然意味がわからないんだけど……」
「ん? 貸してみろ。……ああ、ここは関係代名詞が省略されてるんだよ。直前のこの単語にかかってるから、こう訳せば自然になる」
「あ、本当だ! すごい、一瞬で分かっちゃった。」
「ほら、手動かせ」
午前中からリビングのテーブルにテキストを広げ、真面目に机に向かう俺たち。
時折、分からないところを教え合いながら、なんとか冬休みの課題を消化していく。
お昼ご飯を簡単に済ませ、午後もひたすらペンを走らせる。
結局、外がうっすらと暗くなり始めた夕方頃になって、ようやく全てのノルマを終わらせることができた。
「お、終わったぁ……っ!」
「お疲れ様。なんとか年内に片付いてよかったな」
伸びをして大きく息を吐き出す凛の頭を、ポンポンと撫でて労う。
宿題という重い現実から解放され、これでようやく、心置きなく年を越すことができる。
夕方5時。
テレビの年末特番も面白くなり始めた頃。
俺はキッチンに立ち、いよいよ大晦日のメインイベントの準備に取り掛かった。
「朝陽くん、私にも何か手伝えることある?」
「じゃあ、このさつまいもと舞茸を、食べやすい大きさにカットしてくれるか」
「うんっ、任せて!」
二人で並んでキッチンに立ち、天ぷらの下ごしらえを進めていく。
俺は大ぶりの海老の殻を剥き、背ワタを丁寧に取ってから、揚げる時に曲がらないように隠し包丁を入れた。
準備が整うと、鍋にたっぷりの油を注いで火にかける。
パチパチ、ジュワァァッ……!
衣を纏わせた具材を油に落とすと、食欲をそそる心地よい音と共に、ごま油の香ばしい匂いが一気に部屋中に広がった。
「わぁ……すっごくいい匂い! お腹空いてきちゃった」
横で凛が目を輝かせながら、鍋の中を覗き込んでくる。
サクサクの衣を纏った立派な海老、ホクホクに揚がった黄金色のさつまいも。
そして、凛の大好物である舞茸。カラリと揚がった天ぷらを、油切りのバットに次々と並べていく。
隣のコンロでは、たっぷりのお湯でお蕎麦を茹でる。
別の小鍋で作っておいた、鰹と昆布の出汁がしっかりと効いた温かい黄金色のつゆ。
醤油とみりんの甘辛い香りが、天ぷらの匂いと混ざり合って、たまらない飯テロ空間を作り出していた。
どんぶりに茹でたてのお蕎麦を盛り、熱々のつゆをたっぷりとかける。
最後に、揚げたての天ぷらと彩りのネギを乗せれば、特製・天ぷら蕎麦の完成だ。
「よし、できたぞ」
夜の7時。
テレビから賑やかな笑い声が聞こえるリビングのテーブルに、湯気を立てる天ぷら蕎麦が並んだ。
「「いただきます!」」
凛はさっそく、お箸で大きな海老天を持ち上げた。
サクリ、と良い音を立てて頬張ると、途端にふにゃぁっと顔がとろける。
「んんっ……! エビ、すっごく太くてぷりぷり! 衣もサクサクで美味しいっ!」
「つゆにつけて食べても美味いぞ。ほら、大好きな舞茸」
「わぁっ! 舞茸の天ぷら、最高……! お出汁を吸って、じゅわって旨味が広がるの」
フーフーと息を吹きかけながら、温かいお蕎麦をすする。
大晦日の夜に食べる特別なお蕎麦は、なんだか一年の疲れを全て洗い流してくれるような、優しい味がした。
食べ進めながら、ふと、凛が箸を止めて俺を見つめた。
「……ねえ、朝陽くん」
「ん?」
「私、この半年間……ずっと朝陽くんのご飯に助けられてきたなぁって、今お蕎麦食べながら思ってた」
凛は柔らかく、本当に幸せそうに微笑んだ。
6月。
隣の部屋で倒れかけていた彼女をご飯で餌付けしたあの日から、まさかこんな関係になって、自分の部屋で一緒に年の瀬を迎えることになるなんて、思いもしなかった。
『氷の令嬢』の、俺にだけ見せてくれるこのだらしなくて可愛い笑顔が、今では俺の日常の全てになっている。
「……本当に、ありがとね。来年も、よろしくね」
「ああ。こちらこそ、よろしくな。……来年も、美味しいものいっぱい作ってやるよ」
「うんっ!」
心も体も温まる、最高の年越し蕎麦だった。
ご飯を食べ終わり、お風呂に入ってパジャマに着替えた俺たち。
部屋の電気を少しだけ暗くして、二人でソファに並んで座る。
「朝陽くん、寒いから半分こしよ」
凛が持ってきた大きめの毛布を二人で肩から被り、すっぽりと身を包む。
自然と肩が触れ合い、凛がコテン、と俺の肩に頭を預けてきた。
シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐり、体温がじんわりと伝わってくる。
テレビでは、年越し目前の賑やかなカウントダウン特番が流れている。
時計の針は、ゆっくりと、確実に12時へと近づいていた。
「……あと少しで、今年も終わるね」
「そうだな」
毛布の下で、そっと凛の小さな右手を握る。
凛も握り返してくれて、俺たちは指先をきゅっと絡ませた。
外の寒さなんて全く感じない、甘くて、温かくて、幸せな空気。
俺たちは寄り添いながら、新しい年が明けるその瞬間を、静かに待っていた。