作品タイトル不明
第356話:お説教と、ふたつの甘い罰
静まり返ったリビング。
俺はフローリングの上に敷かれたラグの上で、背筋をピンと伸ばして正座をしていた。
目の前には、腕を組み、仁王立ちでこちらを見下ろす凛の姿がある。
お風呂上がりの少し火照った白い肌と、甘いシャンプーの香りが漂う無防備な部屋着姿。
……普通なら見とれてしまうシチュエーションなのだが、今の凛は顔を真っ赤にして、ぷくっと頬を膨らませていた。
本気で怒っているというよりは、恥ずかしさをごまかすための可愛いふくれっ面だ。
「……で?」
「はい」
「嘘をつかずに、あのカフェでの出来事、1から詳しく教えてくれるかな?」
「はい、すべて正直にお話しします」
俺は冷や汗を拭いながら、おとなしく白状し始めた。
「えっと……本当に偶然でございました。クリスマスプレゼントのオルゴールを作ってる工房が、あの駅の近くにあって。それを買った帰りに、美味しそうなパスタの看板が見えたから、ふらっとお店に入っただけで……」
「ふむ。それで?」
「注文して、スマホをいじりながら待ってたら……凛さんたち4人が、お店に入ってきたんだ」
俺の言葉に、凛の眉がピクリと動いた。
「……朝陽くん、さっきお昼ご飯の時、『近くの席にいた』って言ってたよね?」
「あー……うん」
俺は視線をスッと横に逸らし、観念して告げた。
「近くっていうか……実は、すぐ隣の席だったんだ」
「と、隣ぃっ!?」
「いや、間に観葉植物の仕切りがあったから、こっちからは見えなかったんだけど! ただ、声はバッチリ聞こえる距離で……」
凛の顔が、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていく。
「じゃ、じゃあ……わ、私が……朝陽くんのご飯が美味しいとか、優しくてかっこいいとか……」
「……」
「私のこといつも一番に考えてくれて、だ、大好き、とか……!!」
そこまで自分で言ってしまい、凛は「うわあああっ!」と両手で顔を覆ってソファに倒れ込んだ。ジタバタと足をバタつかせ、耳の先まで真っ赤になっている。
「本当に、最初から最後まで全部聞いてたのね!? どうして声かけてくれなかったの! バカバカ!」
「ご、ごめん! でも、家族の大事な話し合いの最中に『こんにちは』って割って入るわけにもいかないだろ!?」
「うぅ〜……っ! 恥ずかしすぎる……!」
ソファのクッションに顔を埋めてプルプルと震える凛。
俺はそんな彼女の姿が愛おしくてたまらなくなり、正座を崩してソファに近づき、そっと彼女の頭を撫でた。
「ごめんな。でも……俺、すごく嬉しかったんだ」
「……え?」
「凛があんな風に、ご家族の前で俺のこと誇らしげに褒めてくれて……。正直、運ばれてきたパスタの味なんて全然わからなかった。嬉しすぎて、俺も顔が真っ赤になってたからさ」
俺が照れくさそうに本音を打ち明けると、クッションから顔を上げた凛が、うるんだ瞳で俺を見つめてきた。
お説教モードの雰囲気はすでに消え去り、ふわりと甘い空気が溶け出していく。
「……帰る時、おばあ様とだけバッチリ目が合っちゃってさ。おばあ様には、俺があそこにいたこと、完全にバレてたみたいだけどな」
「おばあちゃん……だから今日、あんな振りを……」
全てを察した凛は、小さくため息をつき、ソファの上でもぞもぞと身を起こした。
「……事情はわかった。朝陽くんが声をかけづらかったのも、理解してあげる」
「本当か!?」
「うん。でも、私があんなに恥ずかしい思いをしたんだから、無罪放免とはいかないよ」
凛はツンとそっぽを向きながら、人差し指と中指を立ててみせた。
「……私のお願いを『ふたつ』叶えてくれたら、許してあげる」
「お願い? ……わかった。俺にできることなら、何でもするよ。」
俺が尋ねると、凛はモジモジと自分の指先をいじりながら、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。
そして、消え入るような小さな声で呟いた。
「……ひとつめ。……ちゅーしてくれたら、許してあげましょう」
「っ!」
予想外すぎる甘い要求に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「い、今ですか……?」
「……今日中です」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く凛。
俺も胸の奥がバクバクと騒いでいるが、今はお互いにお風呂上がりで、これから寝る前に歯も磨く。
……それなら、ベッドに入ってからの方がいいよな、と密かにタイミングを伺うことにした。
「わかった。……じゃあ、ふたつめは?」
俺が尋ねると、凛は少しだけホッとしたような顔をして、甘えるようにすり寄ってきた。
「ふたつめ。……今夜は別々に寝るつもりだったけど、やっぱり一緒に寝て。朝陽くん、私の抱き枕になって?」
歯磨きを済ませて、消灯した寝室。
間接照明の淡い光だけが灯る部屋の中で、俺たちは同じベッドに入っていた。
「……あったかい」
俺の腕の中にすっぽりと収まり、胸元に顔を埋める凛。
抱き枕、と言いつつ、完全に俺が彼女を抱きしめている状態だ。パジャマ越しに伝わってくる彼女の柔らかな感触と、規則正しい心音に、俺の心もじんわりと満たされていく。
「凛、苦しくないか?」
「ううん……すごく安心する。朝陽くんの匂い……好き」
すりすりと猫のように頬を擦り寄せてくる凛の背中を、寝かしつけるように優しくトントンと叩く。
「……明日のパーティー、楽しみだね」
「ああ。いっぱいはしゃいで、いっぱい美味しいもの食べよう」
「うんっ……」
安心しきったように、凛がふわりと柔らかく微笑んだ。
その、完全に油断しきった無防備な顔を見て――俺は少しだけ身を起こし、彼女の唇にチュッと、不意打ちのキスを落とした。
「……っ!?」
驚いて目を丸くする凛に、俺は少し照れくさそうに笑いかけた。
「これで、ひとつめのお願いもクリア。……許してくれる?」
「〜〜〜っ! あ、朝陽くんのばか……! 不意打ちは、ずるい……」
顔を真っ赤にして、俺の胸元にギュッと顔を押し付けてくる凛。
しかし、彼女はすぐにもじもじと身をよじり、潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめてきた。
「……それに、短すぎる」
「え?」
「……もう一回。……ちゃんとして」
凛が俺のパジャマの胸元を、きゅっと小さな手で掴む。
その破壊力抜群の甘いおねだりに、俺の理性が吹き飛びそうになった。
「……わかった」
今度は、ゆっくりと顔を近づける。
凛もそっと目を閉じ、少しだけ背伸びをしてくれた。
二度目のキスは、さっきの不意打ちとは違う。
お互いの体温と、シャンプーの優しい香りが混ざり合うような口づけ。
1秒、2秒、3秒……。
時間が止まったかのように感じられる、甘く溶けるような6秒間。
ゆっくりと唇を離すと、凛は恥ずかしそうに目を伏せ、俺の胸にコテンとおでこをぶつけてきた。
完全に『氷の令嬢』が溶け切った、甘えん坊の顔だ。
「……じゃあ、まず一つ目は……これで許してあげましょう」
照れ隠しのように小さく呟く凛の背中を、俺は大切に抱きしめた。
その後、ふたつめの約束通り。
同じベッドに入り、俺の腕の中にすっぽりと収まって俺を『抱き枕』にする凛。
「……明日のパーティー、楽しみだね」
「ああ。いっぱいはしゃいで、いっぱい美味しいもの食べよう」
「うんっ……」
安心しきったように、凛がふわりと柔らかく微笑む。
極上の海鮮とお肉が待つ明日の焼肉パーティーを楽しみにしながら。
俺たちは温かい腕の中で、幸せな眠りの淵へと沈んでいった。