作品タイトル不明
第354話:二つの冷蔵庫と、お肉屋さん
「ふぅ……無事に着いたな」
市場からアパートに帰宅した頃には、時計の針は午後4時を回っていた。
リビングの床に、源蔵さん達に買ってもらった巨大な発泡スチロール箱を二つ並べて蓋を開ける。
中には、立派なタラバガニの脚、艶やかな大トロのサク、そして年末用の数の子や大ぶりのエビが、これでもかとばかりに敷き詰められていた。
何度見ても、とんでもない量と豪華さだ。
「これ……全部、俺の冷蔵庫に入るかな」
「あっ、だったら私の部屋の冷蔵庫も使おう! 冷凍庫、最近アイスくらいしか入ってないからスッカスカだよ」
凛の提案で、俺たちはお隣同士の特権を活かし、二つの部屋を行き来しながら海鮮の収納作業を始めた。
「よし、カニとエビは凛の家の冷凍庫へ。大トロはすぐに食べるから、俺のチルド室に入れておくぞ」
「はーい!」
俺の指示に合わせて、凛が嬉しそうにパタパタと小走りで海鮮を運んでいく。
そんな共同作業をこなしながら、俺はふと、先ほどの源蔵さんとおばあ様の優しい笑顔を思い出した。
「それにしても……源蔵さんたち、本当にすごい勢いだったな。ご飯の前に俺たちが買ったホタテやイカの代金まで、全部出してくれちゃったし」
「うん。まさか、あそこまでいっぱい買ってくれるとは思わなかったよ」
冷蔵庫の扉を閉め、凛が俺の隣に戻ってくる。
「……今度、二人で何かお礼を考えないとな」
「うんっ! お正月に行く時、何か美味しいものを持って行こうね」
二人でそんな温かい会話を交わし、俺は「よし」と軽く手を叩いた。
「海鮮のお金を出してもらったおかげで、今日用意していた予算が丸々浮いちゃったな。……凛、次はお肉を買いに行こうか」
「お肉……!」
その言葉を聞いた瞬間、凛の瞳がパァッと輝いた。
明日は、友人3人が遊びに来て、総勢5人での焼肉パーティー(忘年会)だ。海鮮だけではなく、当然メインとなるお肉も欠かせない。
予算にたっぷりと余裕ができた俺たちは、いつものスーパーではなく、近所にある量り売りの個人精肉店へと向かうことにした。
「いらっしゃい!」
カランコロン、とドアベルを鳴らして店内に入ると、お肉屋さん特有のコロッケを揚げたような香ばしい匂いと、店主の威勢のいい声が迎えてくれた。
「わぁ……」
ガラス張りの大きなショーケースの前に立った凛は、綺麗にサシの入ったお肉たちを前に、少しだけ口元を緩ませて見入っている。
すっかり食いしん坊モードの顔だ。
(明日はよく食べる男子がいるからな。質も大事だが、量もしっかり確保しないと)
俺はショーケースを見渡し、店主に次々と注文をしていく。
「すみません、このタレ漬けの牛カルビを600グラムと、こっちのロースとハラミも400グラムずつお願いします」
「あいよ!」
濃厚な特製ダレがたっぷり絡んだ牛カルビは、間違いなく白米泥棒になる。
そして、たくさん食べても胃もたれしにくいロースと、肉の旨味が強いハラミは絶対に欠かせない。
「あと、粗挽きのソーセージも2パック。それから……この『塩だれ豚トロ』も300グラムお願いします」
「朝陽くん、豚トロも買うの?」
隣で聞いていた凛が、嬉しそうに身を乗り出してきた。
「ああ。豚トロの塩だれは、炭酸のジュースにめちゃくちゃ合うからな。ご飯に乗せても最高だし」
「っ……! 絶対に美味しいやつだね……!」
想像したのか、ごくりと喉を鳴らす凛。本当に、見ているだけでこちらの頬が緩んでしまうくらい、美味しそうにご飯のことを考えてくれる子だ。
ふと見ると、凛の視線がショーケースの端にあるお惣菜コーナーで止まっていた。
そこには、ごま油の香りが食欲をそそる『チョレギサラダ』のパックが並んでいる。
「凛。サラダなら、明日俺が新鮮なレタスとキュウリで、ボウルいっぱいのチョレギサラダを作ってやるよ。特製のドレッシングでな」
「……! ほんと!?」
俺が声をかけると、凛はパッと顔を上げて、今日一番の満面の笑みを浮かべた。
「うんっ! 私、朝陽くんの作るサラダ大好き! 楽しみにしてるね!」
嬉しそうに笑う凛を見つめながら、俺はふと、ショーケースの隣にあるホットスナックのコーナーに目を向けた。
「……なぁ、凛。ごめん、実は今日、市場を歩き回ったり冷蔵庫の整理をしたりで、ちょっと疲れちゃってさ。……今日の晩ご飯、ここのお惣菜に甘えちゃってもいいか?」
俺がそう提案すると、凛はパァッと顔をさらに輝かせて、元気よく手を挙げた。
「大賛成! お肉屋さんの揚げ物、入ってきた時からすっごく気になってたの!」
「ははっ、よかった。家に炊きたてのご飯はあるから、あとはメインのおかずだけ買えば立派な定食になるしな」
個人のお肉屋さんの魅力は、精肉だけでなく、充実した手作りお惣菜コーナーにもある。
しかも、ショーケースの横には『注文を受けてから揚げます!』という手書きのポップが貼られていた。
「注文してから揚げてくれるみたいだから、ホクホクでサクサクなのが食べられるぞ。凛、どれにする?」
「えっとね、定番の牛肉コロッケと……あっ、この分厚いハムカツも美味しそう!」
「いいな。じゃあ、コロッケとハムカツを二つずつ。あと……」
揚げ物だけでは少し重いので、さっぱりとした『中華クラゲ』のパックと、お肉屋さんが業務用のスライサーで細かく刻んでくれたフワフワの『千切りキャベツ』も一緒に注文する。
『ジュワァァァッ!』
注文が入ると同時に、店の奥から食欲をそそる小気味よい揚げ音が響いてきた。
ラードの甘く香ばしい匂いが店内に広がり、俺も凛も思わずお腹が鳴りそうになる。
「はい、おまちどうさま! 揚げたてだよ!」
「ありがとうございます」
店主から熱々の紙袋を受け取り、会計を済ませて店を出た。
「いい匂い……早く帰って食べたいな」
ずっしりと重くなったお肉の袋と、炭酸ジュース、そして熱々のコロッケが入った紙袋を両手に提げて。
冬の夕暮れ時、オレンジ色に染まり始めた道を並んで歩きながら、凛が嬉しそうに俺を見上げた。
「ああ。帰ったら千切りキャベツをお皿に山盛りにして、サクサクのハムカツと一緒に食べよう」
「うんっ! 海鮮にお肉に、今日の晩ご飯のお惣菜……最高の買い出しになったね。明日のパーティーも、すっごく楽しみ!」
ずっしりと重くなったお肉の袋と、帰りがけにスーパーで買った大きめの炭酸ジュースを両手に提げて。
冬の夕暮れ時、オレンジ色に染まり始めた道を並んで歩きながら、凛が嬉しそうに俺を見上げた。
「ああ。海鮮にお肉に……これだけ揃えば、間違いなく最高の忘年会になるな」
二つの冷蔵庫を満たしている極上の海の幸。
そして今、俺たちの手にある美味しそうなお肉たち。
「帰ったら、明日すぐに焼けるように、少しだけ野菜のカットをしておかないとな」
「私もお手伝いする!」
アパートの階段が見えてくる。
明日、友人たちがやって来て始まるドタバタで賑やかな焼肉パーティーを想像して、俺の胸も自然と高鳴っていた。