作品タイトル不明
第330話:革財布と、甘党令嬢
「朝陽くん、こっちこっち!」
「おわっ、凛、引っ張るなって」
きらびやかなクリスマスツリーを横目に、俺は凛に手を引かれるままモールの中を歩いていた。
目的の雑貨屋へ向かおうとした俺の手をキュッと握り直し、「ちょっと見たいお店があるの」と彼女が先導して向かったのは——少し薄暗く、シックで落ち着いた雰囲気の『革製品の専門店』だった。
店内に足を踏み入れると、上質な本革の渋くていい香りがふわりと漂ってくる。
ショーケースの中には、職人の手で作られたであろう財布やキーケースが綺麗に並べられていた。
どれも高校生が普段使いするには少し大人っぽく、そしてお値段も張るものばかりだ。
「凛? お前の財布でも見るのか?」
「ううん。……すみません、これ、見せてください」
凛は店員さんに声をかけると、ショーケースの中から一つの『長財布』を出してもらった。
それは、深いネイビーブルーの滑らかな本革で作られた、シンプルで洗練されたデザインの財布だった。
「はい、朝陽くん。ちょっと持ってみて」
「え? 俺が?」
促されるまま手に取ってみると、革のしっとりとした重みと、手に吸い付くような質感が伝わってくる。一目で『良いもの』だと分かる品だ。
「これ、朝陽くんにすっごく似合うと思うの。今年のクリスマスプレゼントは、これに決まり!」
「……ええっ!? いや、ちょっと待て。これ、結構いい値段するだろ!」
慌てて値札を裏返すと、そこには『15,000円』という数字が印字されていた。
俺が今使っているのは、中学生の頃から使い続けているキャンバス地のスポーティな財布だ。
マジックテープこそついていないものの、角は擦り切れ、かなり年季が入っている。
「高すぎるって。気持ちはすげぇ嬉しいけど、高校生がもらうには……」
「だーめ。もうこれにするって決めたの」
遠慮する俺の言葉を遮り、凛は俺の手からお財布を回収すると、そのままレジへと向かってお会計を済ませてしまった。
「……凛、ほんとに悪いよ。こんな高いもの」
綺麗にラッピングされた紙袋を渡され、俺は恐縮して肩をすくめた。
すると、凛は俺の目の前に立ち、少しだけ背伸びをして上目遣いでこちらを見つめてきた。
「あのね、朝陽くん」
「……ん」
「私、スーパーでお会計する時にね、朝陽くんがいつもあのお財布を大事そうに使ってるの、ずっと見てたの」
半年間。俺が彼女のためにご飯を作り始めてから、ずっと。
そんなところまで見ていてくれたのかと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「これはね、ただのプレゼントじゃないの。……私の、未来への『投資』」
「投資……?」
「うん。いつも美味しいご飯を作ってくれるお礼と……これからもずっと、私の隣でこのお財布を開いて、一緒にスーパーでお買い物してねっていう、お願い」
頬をほんのりとピンク色に染めながら、少し照れくさそうに微笑む凛。
——そんなの、ズルすぎる。
夫婦の家計を任せるような、実質的なプロポーズにも等しい殺し文句。そんなことを言われてしまえば、もう断ることなんてできるはずがなかった。
「……負けた。ありがとう、凛。大事に……すげぇ大事に使う」
「えへへ、うんっ!」
俺が顔を真っ赤にして紙袋を抱え込むと、凛は嬉しそうに俺の腕にギュッと抱きついてきた。
お財布という思わぬ宝物を手に入れた後。
少し歩き疲れた俺たちは、モール内にあるクレープ屋さんのベンチに並んで座り、甘い休憩をとっていた。
「ん〜〜っ……! 甘くて、おいひい……っ」
凛が両手で大事そうに持っているのは、期間限定の『たっぷり苺と濃厚ブラウニーのクリスマスクレープ』。
温かくてモチモチの生地の中に、冷たいバニラアイスと甘酸っぱい苺、そしてゴロゴロとした濃厚なチョコブラウニーがたっぷりと詰め込まれた、まさにカロリーの暴力だ。
学校では「甘いものはあまり食べない」なんてクールなふりをしているが、俺の隣にいる時の彼女は完全な甘党女子である。
「そんなに慌てて食べなくても、誰も取らないって」
「だって、アイス溶けちゃうもん……んっ」
頬張る凛の顔を見て、俺は思わず苦笑した。
彼女の小さな唇の端に、真っ白な生クリームがちょこんとついていたからだ。
「ほら、クリームついてるぞ」
俺は自然な動作で手を伸ばし、親指で彼女の口元のクリームをスッと拭い取った。
そして、その指先についた甘いクリームを、無意識のうちに自分の口に入れてペロッと舐め取ってしまう。
「あっ……」
数秒の沈黙。
自分が何をしたのか気づいた瞬間、俺の顔からボフッと火が出た。
「っ、ご、ごめん! 今の、無意識で……!」
「あ……朝陽くんの、えっち……」
凛は限界まで顔を真っ赤にして、クレープの包み紙で口元を隠しながら俯いてしまった。
だが、その目は全く怒っておらず、むしろ潤んだ瞳で嬉しそうに俺をチラチラと見つめ、空いている手で俺のコートの袖をちょこんと引っ張っている。
(……やばい。可愛すぎて心臓もたない)
「……よし、できた」
クレープを食べ終えた後。
俺はベンチに座ったまま、古い財布から新しい革財布へと中身を移し替えていた。
カードや小銭を入れ終えた。
手にしっくりと馴染む本革の感触に、自然と口元が緩んだ。
「それじゃあ、改めて行きますか。俺たちの本命の場所へ」
「うんっ! 新しいお財布の初出動だね!」
俺が立ち上がって手を差し出すと、凛は満面の笑みでその手を取り、俺たちはしっかりと指を絡ませ合った。
大切な人からのプレゼントが、コートのポケットの中で頼もしく収まっている。
俺たちは足取りも軽く、クリスマスの食材が待つスーパーへと向かって歩き出したのだった。