作品タイトル不明
第311話:眠れない夜と、太陽と月の贈り物
火曜日の深夜。
俺は自室のベッドで、スマホの画面を見つめていた。
時刻は午前1時を回ろうとしている。
数時間前。
俺は隣の202号室で、俺がセッティングした冬用ベッドに凛と一緒に入り、彼女が寝付くまで優しくトントンと添い寝をしていた。
すぅすぅと穏やかな寝息を立て始めたのを確認してから、起こさないようにそっとベッドを抜け出し、自分の部屋に戻ってきたのだが……。
ブブッ。
手元のスマホが震え、画面に凛からのメッセージがポップアップした。
『……目が覚めちゃった』
『眠れない……』
『お布団、朝陽くんと同じ匂いがして温かいんだけど……やっぱり落ち着かなくて』
スタンプすらついていないその短い文面から、ふと目を覚ました時に隣に俺がいなくて、ベッドの中で心細そうに丸まっている凛の姿が容易に想像できてしまう。
(……仕方ないな)
俺は苦笑いしながらベッドを抜け出し、上に一枚羽織ってから、ココアを持って隣の202号室へと向かった。
合鍵を使って静かにドアを開けると、リビングのソファで、もこもこのルームウェア姿の凛が膝を抱えて座っていた。
「……朝陽くん」
「途中で起きちゃったか。ココア作るな。少しは落ち着くから」
俺は凛の部屋のキッチンを借りて、温かい『ホットココア』を手早く作ってやった。
マグカップから立ち上る、カカオの甘い香り。
凛は両手で大切そうにマグカップを受け取り、フーフーと息を吹きかけてから、ゆっくりと口をつける。
「んっ……あまい。美味しい……」
「身体の芯から温まるだろ。それ飲んだら、今度こそ朝までちゃんと寝るんだぞ」
「うん……ホッとする。ありがとう、朝陽くん」
ココアを飲み終えた凛は、ようやく安心したように微笑み、そのままベッドへと潜り込んだ。
俺が再び隣に横たわって頭を何度か撫でてやると、数分も経たないうちに、今度こそ深い寝息が聞こえ始めた。
凛が完全に熟睡したのを見届けてから、俺は再び自分の201号室へと戻った。
一人きりの寝室。
俺は自分のベッドに潜り込み、ふうっと息を吐き出した。
(……やっぱ、ちょっと寂しいな)
ほんの数時間前まで、この腕の中に確かな温もりがあったのだ。
ぽっかりと空いた隣のスペースに喪失感を覚えつつも、「……まぁ、高校生のうちは、さすがに毎晩お泊まりってわけにはいかないよな」と自分に言い聞かせる。
壁一枚を隔てたすぐ隣の部屋に彼女がいる。
その事実だけを胸に抱き、俺は少しだけ寂しい夜を越えた。
そして、時は少し進んで木曜日の昼休み。
「……というわけで。今日の夜、いよいよチャンネルを公開しようと思うんだ」
お弁当を食べ終えた俺は、親友である大輝、寺田さん、そして佐藤さんの三人に、自分のスマホの画面を見せた。
そこには、動画はまだ投稿されていないものの、形だけは整えられた俺の料理チャンネルが表示されている。
「うおお! マジで開設したんだな!」
「すごいすごい! 絶対登録するね!」
大輝と寺田さんがすぐさま自分のスマホを取り出し、俺が教えたURLからチャンネルに飛んでくれた。
佐藤さんも「どれどれ……」と、手際よく登録ボタンをタップする。
「ふふんっ。ちなみに、私が記念すべき『登録者第1号』だからね!」
俺の隣に座っていた凛が、えっへんと得意げに胸を張って宣言した。
どうやら彼女にとっては、俺のチャンネルの『最古参』であることが誇らしいらしい。
画面を更新すると、チャンネル登録者数は凛を含めて『4人』になっていた。
数字としてはあまりにもちっぽけかもしれない。
でも、俺にとっては、大切な友人たちから応援されて踏み出した、最高に嬉しくて輝かしい第一歩だった。
その日の夕方。
学校からアパートへ帰り、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうかと思っていた矢先。
俺のスマホに、凛から着信が入った。
『朝陽くん! できたよ! 早く部屋に来て!』
声は弾んでおり、ただごとではない興奮が伝わってくる。
俺は急いで202号室に向かい、凛のいるリビングへと足を踏み入れた。
「おお、お疲れ……って、うわっ」
凛のデスクに置かれた大型のデュアルモニター。
そこに表示されていたのは、完成したばかりのチャンネル用のアイコンと、画面上部を飾るヘッダー画像だった。
「これ……すごいな」
「 朝陽くんのチャンネルのために、とびっきりのを描いたよ!」
俺は言葉を失い、モニターの前に釘付けになった。
アイコンには、可愛らしくデフォルメされた、湯気の立つ温かそうなお鍋。
その中には美味しそうな具材がたっぷりと詰まっている。
そして何より俺の目を惹いたのは、そのお鍋の隣に、寄り添うようにデザインされた二つの小さなマークだった。
ぽかぽかと周囲を照らすような『太陽』と。
静かに優しく光を放つ『三日月』。
ただの料理イラストじゃない。
プロのイラストレーターとしての圧倒的な画力と色彩センスの中に、俺たち二人の『繋がり』を象徴するエモいモチーフが、これでもかと詰め込まれていた。
「これ……俺のために、ここまで描いてくれたのか……」
「えへへ、頑張っちゃった。……どう、かな?」
上目遣いで感想を求めてくる凛。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じながら、震える声で答えた。
「どうかな、って……最高に決まってる。こんなすげぇイラスト使わせてもらったら、俺の動画が負けちまうよ」
「ふふっ、そんなことないよ。朝陽くんのご飯は、私のイラストなんかよりずっとずっと温かくて美味しいもん!」
俺は凛から画像データを送ってもらい、すぐに自分の201号室へと戻った。
急いでPCを立ち上げ、もらったばかりのアイコンとヘッダーをチャンネルに設定してみる。
「……うおぉ、一気にプロっぽくなったぞ……!」
俺は画面を食い入るように見つめ、その完璧な出来栄えに激しく感動した。
この素晴らしいイラストに恥じないように、チャンネルのプロフィール文や詳細設定も完璧にしなければ……!
俺は夢中でキーボードを叩き、言葉を推敲し、何度もプレビューを確認した。
——『きゅるるるるっ』
「……ん?」
静かな部屋に、可愛らしい、しかし切実な音が響き渡った。
音の出どころである隣を見ると、いつの間にか俺の部屋に来ていた凛が、両手でお腹を押さえて顔を真っ赤にしていた。
「あ、あのね、朝陽くん……」
「……」
俺はハッとして、壁掛け時計を見上げた。
時刻はすでに、夜の19時半を回ろうとしている。
「……やっば」
「あはは……」
設定作業に没頭しすぎるあまり。
俺はオカン系男子としてあるまじきことに、『晩飯を作る』という日々の最重要ミッションを完全に忘却していたのだ。
「ごめん! 設定に夢中で、晩飯作るの完全に忘れてた!!」
「ふふっ、あははっ! 朝陽くんがご飯作り忘れるなんて、すっごく珍しいね!」
平謝りする俺を見て、凛はお腹を押さえたまま、コロコロと楽しそうに笑い出した。
完璧な日常のルーティンが、凛のプレゼントのせいで崩れてしまった。だけど、そんなイレギュラーすらも今はたまらなく愛おしい。
「すぐ作る! 」
「うんっ、待ってる!」
最高にエモいアイコンを手に入れた俺のチャンネルは、こうして、少しだけ遅めの笑い声に包まれた夕食と共に、静かに産声を上げるのだった。