作品タイトル不明
第304話:もふもふベッドと、禁止令
「……これ、どう考えても今夜も一緒に寝る流れだよな?」
俺がベッドの横で大きなため息をついていると、もふもふのシーツの海で転げ回っていた凛が、くるりと寝返りを打ってこちらを見上げた。
そして、自分が潜り込んでいる掛け布団の端をペラッとめくり、隣の空きスペースを手のひらで「ポンポン」と叩く。
「ほら、朝陽くんもおいで。今夜はおとなしく、私と寝なさい」
少しだけ顎を上げ、いかにも『令嬢』らしく振る舞おうとしているが、その頬は布団の温かさでほんのりと桜色に染まっている。
強気な言葉とは裏腹に、俺を見つめる琥珀色の瞳は「早く来て」と甘えるように揺れていた。
「……どの口が言ってんだか」
俺は苦笑いしながら部屋の明かりを消し、大人しくベッドに入った。
ひんやりとしていたシーツは、すでに凛の体温と起毛素材のおかげで、信じられないほどぽかぽかになっていた。
どうせ一緒に寝るなら、と俺が仰向けのまま右腕を広げると、凛は待ってましたとばかりにすり寄ってきて、コロンと俺の腕を枕にして収まる。
「んっ……」
俺の胸元に顔を埋めた凛は、ふぅ、と長く心地よさそうな吐息を漏らした。
学校で見せるような隙のない緊張感はすっかり抜け落ち、眉尻を下げてふにゃりと口角を上げた、ひどく無防備で幸せそうな顔。
その顔をこんな至近距離で見せられ、俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。
自分のバクバクとうるさい心音が、彼女に伝わってしまわないか心配になる。
「……ねえ、朝陽くん」
「ん?」
腕の中の凛が、俺のパジャマの胸元を小さく掴んだ。
見下ろすと、さっきまでの蕩けたような笑顔が消え、凛の眉間には微かに不安げな皺が寄っていた。
「お父さんたちに会えるのは楽しみなんだけど……来週、実家でちゃんと寝られるかな」
伏せられた長いまつ毛が、心細そうに小さく震えている。
きゅっと結ばれた唇からは、本当に心配しているのだということが痛いほど伝わってきた。
「 寝られるだろ。自分ちのおじいちゃん家なんだから」
「そうなんだけど……。最近、朝陽くんの匂いがしない環境で寝るの、なんだか寂しくて」
上目遣いで俺を見つめてくる瞳が、少しだけ潤んでいるように見える。
俺は胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じながら、彼女の頭を優しく撫でた。
「両親もいるんだし平気だろ。……向こうに、お前の部屋はあるのか?」
「うん、あるよ」
「じゃあ、夜寝る前に、もしお前がよければ……少し電話でもするか?」
俺がそう提案した瞬間だった。
不安そうに伏せられていた凛の顔が弾かれたように上がり、まぁるく見開かれた瞳が、カーテン越しの月明かりを反射してキラキラと輝いた。
「ほんと!? 電話、してくれるの?」
「ああ。……でも、夜更かしは肌に悪いし、長電話は禁止だからな」
「うんっ! わかった」
凛の顔にパァッと明るい花が咲いたような、純粋で嬉しそうな笑顔が広がる。
彼女は心底安心したように目を細めると、再び俺の胸元にすりすりと額をこすりつけ、やがてスースーと穏やかな寝息を立て始めた。
(……来週末、お前が実家にいる間に、最高のプレゼント買ってきてやるからな)
俺は彼女の柔らかい髪にそっと触れながら、静かに眠りへと落ちていった。
チュン、チュン、という微かなスズメの鳴き声で目が覚めた。
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、俺のすぐ目の前、鼻先が触れそうな距離でスヤスヤと眠る凛の顔があった。
規則正しい呼吸に合わせて、わずかに開いた桜色の唇から静かな寝息が漏れている。
透き通るような白い肌は、朝の光を浴びて柔らかく発光しているかのようだ。
『氷の令嬢』の仮面を完全に外しきった、年相応の少女の寝顔。
(やっぱ、朝イチでこの顔が目の前にあるのは……心臓に悪い)
俺は顔にカッと熱が集まるのを感じながら、凛を起こさないように、そっと腕枕をほどいた。
もふもふのベッドから何とか抜け出し、洗面所へ向かう。
顔を洗い、キッチンへ。
最近はご飯に味噌汁という和食が続いていたので、今日は洋食の気分だ。
冷蔵庫から厚切りの食パンを取り出す。
表面に薄くバターを塗り、ケチャップとマヨネーズを混ぜた特製ソースをたっぷりと広げる。
そこに、薄切りにした玉ねぎとピーマン、カリカリに焼いておいたベーコンを乗せ、最後にピザ用のとろけるチーズを山盛りに乗せた。
オーブントースターに入れ、タイマーを回す。
数分後。パンの表面でチーズがグツグツととろけ、端の方がきつね色に焦げていく。
香ばしく焼けた小麦の香りと、ベーコンの脂、そして濃厚なチーズの匂いが混ざり合い、キッチンにたまらなく食欲をそそる香りが漂い始めた。
「よし、いい感じだな」
俺がトースターを開けようとした、その時だった。
「……んーっ」
「うおっ!?」
背後から、不意に腰のあたりに柔らかな重みがのしかかってきた。
驚いて振り返りそうになったが、背中に回された細い腕が「ぎゅっ」と俺の体を強く抱きしめてくる。
「……おはよう、朝陽くん」
「お、おはよう。」
少しだけ振り返ると、寝癖で髪をぴょこんと跳ねさせた凛が、俺の背中にぺったりと頬を押し付けていた。
半分も開いていない、とろんとした眠そうな瞳。そして、不満そうにツンと尖らされた唇。
「……目が覚めた時に、朝陽くんがいなくて……すごく寂しかった」
「いや、朝ごはん作ってただけだ。すぐそこだし」
「だめ」
凛は俺の背中に顔をグリグリと押し付けながら、さらに腕の力を強めた。
「……一緒に寝てる時は、私が起きるまでベッドから離れるの禁止」
眉根を寄せて、本気で拗ねたような顔で俺を見上げてくる。
寝起きの甘えん坊モード全開で、無防備にすり寄ってくるその姿は、学校の生徒たちが知ったらひっくり返るくらいだらしなくて、そして最高に可愛かった。
「はいはい、わかったから。とりあえず、顔洗っておいで。熱々のピザトースト焼けたぞ」
「……ピザトースト?」
「ああ。チーズたっぷりで、ベーコンもカリカリだぞ。早くしないと冷めるからな」
その言葉に、凛はピクッと反応し、少しだけ俺の背中に顔を押し付けた後、パッと腕を離した。
「……すぐ顔洗ってくる!」
先ほどまでの眠たげな顔から一転、食いしん坊な表情に変わってトテトテと洗面所へ向かう後ろ姿を見送り、俺は小さく吹き出した。
トースターから取り出したピザトーストは、パンの耳がサクッと焼け、中央のチーズがマグマのようにとろとろに溶けている。
食卓に向かい合って座り、二人で「いただきます」と手を合わせる。
凛が両手でトーストを持ち上げ、小さな口でぱくりと噛み付いた。
その瞬間、とろけたチーズがびよーんと長く糸を引く。
「はふっ、んっ……! あっつ、でも美味しいっ!」
熱さに一瞬ギュッと目を瞑った凛だが、すぐに目を見開き、パァッと顔を輝かせた。
シャキシャキの玉ねぎと、ベーコンの旨味が染み込んだ濃厚なチーズを味わうように、もきゅもきゅと頬を膨らませて咀嚼する。
「んん〜っ……。朝からこんなの食べられるなんて、すっごく幸せ……」
ふにゃりとした、今日一番の満面の笑み。
口の端に小さなチーズの欠片がくっついていることにも気付かず、ひたすらに俺の作ったご飯を美味しそうに頬張るその顔を見ていると、俺の胸の中まで温かいもので満たされていく。
心臓には悪いけれど、間違いなく世界で一番幸せでぽかぽかした日曜日の朝が、今日もゆっくりと始まっていた。