作品タイトル不明
第303話:もふもふシーツと、マーキング
「ごちそうさまでした。はぁ、お腹いっぱい」
「美味しかったな。さてと……そろそろ寝る準備するか。」
ショートケーキとチョコレートケーキを半分こで平らげ、シャンメリーのグラスを空にした俺たちは、ソファからゆっくりと立ち上がった。
歯を磨き終わり、洗面所から出ようとする凛の背中を見て、俺はふと明日の予定を思い出し、声をかける。
「あ、ちょっと待って。今のうちに明日の話だけしとくわ」
「明日の話?」
凛がくるりと振り返り、不思議そうに小首を傾げた。
「ああ。明日、日曜日だろ。本格的に寒くなる前に、リビングにこたつを出そうと思ってさ。あと、ベッド周りも完全に『冬仕様』に変えようかなって」
「ベッドの冬仕様……?」
「そう。シーツとか掛け布団カバーを、冬用のやつにチェンジするんだよ」
俺が当たり前のように言うと、凛は目をぱちくりと瞬かせた。
「冬用のシーツなんてあるの?」
「……お前、実家とか自分の部屋でどんなシーツ使ってんの」
「えっと、普通の綿のやつ。一年中ずっと同じカバーだよ」
(まじかよ)
なるほど。
季節に合わせて寝具の素材を変えるという発想自体を持っていなかったらしい。
「冬用のやつは起毛素材っていうか、もふもふしてて温かいんだよ。それに変えようと思ってさ」
「もふもふ……どんな感じなの? ちょっと触ってみたい」
「ああ、いいぞ。ちょっと待ってろ」
未知の冬用シーツに興味津々な凛のために、俺は自分の部屋の押し入れを開けた。
すでに綺麗に洗濯を済ませ、ホコリを被らないように大きめの 圧縮袋(ジップロックのようなもの) に入れて保管してあった、冬用の敷きパッドと掛け布団カバーを取り出す。
封を開けて空気を入れると、ぺちゃんこだったシーツがふんわりと元の厚みを取り戻した。
「ほら、触ってみな」
「わぁ……!」
凛は差し出されたもふもふのシーツの表面を、手のひらでそっと撫でた。
「すっごく柔らかい……! 手で触ってるだけでも、じんわりあったかいのがわかるよ」
「だろ。冬はこれに包まれて寝るのが最高なんだよ」
「うんっ。……でも」
凛は手のひらでシーツをすりすりと撫でながら、上目遣いで俺を見上げてきた。
「手だけじゃ、どんな風に寝心地がいいのか、やっぱりよくわからないかも……」
「……」
その言葉の裏にある「全身で味わってみたい」という明白な意図。
本来なら「明日のお楽しみな」といなすところだが、俺の染み付いたオカン気質とお世話焼きの性が、ここで余計な働きをしてしまった。
「……まぁ、どうせ洗濯済みですぐに使えるしな。今、シーツだけ変えようか。そうすればわかりやすいだろ」
「ほんと!? わーいっ!」
無邪気に喜ぶ凛をリビングに残し、俺はササッと自分のベッドのメイクを始めた。
夏や秋に使っていた薄手のシーツを引っ剥がし、代わりに分厚いもふもふの敷きパッドをベッドマットにセットする。
四隅のゴムを引っ掛け、表面の毛並みをサッと手で整えれば、あっという間に冬用ベッドの完成だ。
「よし、できたよー」
俺がリビングに向かって声をかけた、次の瞬間だった。
「わーいっ!」
パタパタパタッ! と軽い足音を立てて寝室にやってきた凛が、完成したばかりの俺のベッドに向かって一直線に助走をつけて――。
ぽふっ!
「んん〜っ……!! なにこれ、すっごく気持ちいい……!」
勢いよくベッドへダイブした凛は、もふもふの敷きパッドの上にうつ伏せになり、幸せそうな声を上げた。
さらに、新しくセットされたばかりのシーツに顔をうずめ、すりすりと頬を擦り付けながら、まるで自分の匂いをつける『猫のマーキング』のように、ベッドの上でゴロゴロと転げ回り始めたのだ。
「もふもふ、最高ぉ……。あったかぁい……」
「お、おい凛、ちょっとは行儀よく……」
注意しようとした俺の言葉は、途中でピタリと止まった。
俺のベッドを完全に占拠し、無防備な姿で溶けかかっている凛を見下ろしながら。
俺の脳裏に、ある事実が雷のように閃いたのだ。
(……あっ、しまった!!!)
今日、アパートに帰ってきた時のこと。
凛の右手には、いつもは持っていない『大きめのトートバッグ』が握られていた。
そして、彼女はそこからルームウェアと、スキンケア用品などが入ったポーチを取り出し、堂々と脱衣所へと持ち込んでいた。
そうだ。彼女は最初から、今夜も当然のように『泊まっていく気満々』だったのだ。
俺はなぜ気付かなかったのか。
いや、心のどこかでは気付いていたのに、あえて触れないようにしていただけだ。
だが、そんな俺のささやかな抵抗(?)も虚しく、都合よく『寝具のお試し』なんてさせてしまったせいで……。
凛に、俺のベッドを堂々と占拠して転げ回る『大義名分』を与えてしまった。
「朝陽くん、これすっごくいいね……私、今日ここで寝ちゃいたいかも……」
「…………っ」
笑顔で、上目遣いにそんなことを言ってくる凛。
完全に手遅れだった。
俺が自ら用意したもふもふは、見事に俺自身の首を絞める結果となってしまったのだ。
(……これ、どう考えても今夜も一緒に寝る流れだよな……?)
先週の、心臓が爆発しそうだった初めてのお泊まりイベント。
まさか一週間も経たないうちに、再びこの胃の痛くなるような(そして甘すぎる)状況がやってくるとは。
俺はもふもふの海で幸せそうに微笑む凛を見つめながら、これから訪れるであろう長い夜に向けて、大きなため息と、それ以上の高鳴る動悸を必死に抑え込むのだった。