作品タイトル不明
第302話:バッグの正体と、軌跡を祝うケーキ
「ふぅ……美味しかった。片付け、手伝うね」
「おう、サンキュ。お皿だけ重ねておいてくれればいいよ」
チーズフォンデュ余韻を楽しみながら、二人で手際よくテーブルの上を片付けていく。
洗い物をシンクにまとめ終え、俺は給湯器のパネルに手を伸ばした。
「そろそろお風呂にするか。『ふろ自動』、ポチっと」
「あ、うんっ」
電子音が鳴り、お湯張りが始まったのを確認してリビングに戻る。
すると、ソファに座っていた凛が、帰宅時からずっと気になっていた例の『大きめのトートバッグ』をごそごそと開け始めていた。
(……ついに、あのバッグの中身が)
俺が横目でこっそり見守っていると、凛はバッグの中から、淡いラベンダー色にフリルがあしらわれたひどく可愛らしいルームウェアと、小さなポーチ(おそらく下着やスキンケア用品が入っているもの)を取り出した。
そして、迷いのない足取りでトテトテと歩き出し、俺の部屋の脱衣所へと堂々とそれを置きに行ったのだ。
「…………」
「よしっ。」
満足げに頷いてリビングに戻ってきた凛に、俺はたまらず声をかけた。
「……何してるの?」
「ん? こっちでお風呂入るから、お着替えの準備」
「いや、準備って。隣なんだから、自分の部屋で入れば……」
「朝陽くんの家の入浴剤の気分だなって思って」
凛はこてん、と首を傾げ、全く悪びれる様子もなく上目遣いで俺を見つめてくる。
最近、俺は悟り始めていた。
こういう時の、凛の頑固さとおねだりモードには、どう足掻いても勝てないのだということを。
「……はぁ。わかった、いいよ。お湯が溜まったら先に入ってこい」
「わーいっ。ありがとう、朝陽くん」
嬉しそうに微笑む凛に、俺は軽くため息をつきながらキッチンへ戻った。
表面上は冷静を装いながらも、俺の心臓はさっきから警鐘を鳴らし続けている。
(……待てよ。まさか、お風呂だけだよね……?)
お風呂に入るということは、すっぴんになり、完全に寝る前の状態になるということだ。
しかも、あんな気合いの入ったルームウェアまで持参してきている。
これはつまり、そのまましれっと泊まっていくつもりなのではないだろうか。
先週、あんなにドギマギしながら初めてのお泊まりイベントを乗り越えたばかりだというのに。
俺の頭の中に再び期待と不安が入り混じった嵐が吹き荒れたが、今それを口に出して確かめる勇気は、悲しいかな、持ち合わせていなかった。
「お風呂、もらったよー」
しばらくして、すっかりぽかぽかに温まった凛がリビングへ戻ってきた。
ルームウェアに身を包み、ほんのりと上気した頬が色っぽい。
俺もサッとお風呂に入り部屋着に着替え、いつものようにソファの定位置へと腰を下ろした。
「ほら、こっちおいで。髪乾かすぞ」
「うんっ、お願い」
すっかり俺たちの毎日の日課として定着した、ドライヤーがけの時間。
大人しく俺の前に座った凛の髪に温風を当て、指の腹で優しく頭皮をマッサージするように乾かしていく。
ふわりと香る、甘くて優しいシャンプーの匂い。
「気持ちいい……」
「眠くなってきたか? でも、まだ寝かさないぞ」
髪を乾かし終えた後、二人で並んで簡単なストレッチとマッサージをこなす。
お腹もいっぱいで、お風呂で体も温まり、二人の間にはトゲの全くない、穏やかで『ぽかぽか』とした空気が流れていた。
「よし、じゃあお待ちかねのデザートにするか」
俺は冷蔵庫から、スーパーで買ってきた小さな苺のショートケーキと、チョコレートケーキを取り出した。
そして、少し背伸びをして買っておいた『シャンメリー』のボトルを開ける。
ポンッという軽快な音と共に、甘い炭酸の香りが弾けた。
綺麗なグラスにシュワシュワと音を立てて注ぎ、凛の前にそっと置く。
「わぁ……なんか、すごく特別感があるね」
「だろ。それじゃあ改めて……俺たちの一ヶ月記念日、おめでとう」
「うんっ。……おめでとう、朝陽くん」
カチン、とグラスを合わせて乾杯する。
凛はグラスに口をつけると、甘い炭酸の刺激に「んっ」と少しだけ目を丸くし、それから幸せそうに破顔した。
「美味しいっ。シュワシュワしてて、甘くて飲みやすいね」
「ほら、ケーキも食べな。はんぶんこにする約束だっただろ」
フォークで切り分けたショートケーキを口に運ぶと、生クリームの優しい甘さが口いっぱいに広がった。
凛もチョコレートケーキを小さく頬張り、もきゅもきゅと口を動かして「んん〜っ……」と蕩けたような声を上げている。
テレビで適当なバラエティ番組を流しながら、俺たちはまったりとソファに背中を預けた。
肩と肩が触れ合う距離。
距離感が、今はひどく心地よい。
「……ねえ、朝陽くん」
「ん?」
「一ヶ月、あっという間だったね」
凛がぽつりと呟いた言葉に、俺は深く頷いた。
「そうだな。でもなんだか、もっとずっと前から一緒にいるような気がするよ」
「あ……ふふっ、わかるかも。毎日こうして朝陽くんと一緒にご飯を食べて、他愛もないお話をしてるのが、すごく自然だもんね」
「今日みたいにスーパーに買い出しに行って、一緒に料理作るのも楽しいしな」
お互いの顔を見合わせて、自然と笑みがこぼれる。
「それに、付き合い始めてから色んなところに行ったよな。遊園地に行ったり、お買い物デートしたりさ」
「うんっ。どこもすっごく楽しかった。……それに、先週は初めてのお泊まりもあったしね」
「ああ。あの時はお互い、めちゃくちゃ緊張してたよな」
「ふふっ、本当に心臓止まるかと思ったよ。でも……朝陽くんと一緒にいられて、すごく嬉しかった」
少しだけ頬を染めて微笑む凛。
その柔らかい表情と、甘えるような可愛い声に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
色々あった一ヶ月だった。
でも、そのどれもが俺にとってはかけがえのない、宝物のような時間だ。
「……これからも、よろしくな。凛」
俺がそう言って少しだけ強く肩を寄せると、凛は嬉しそうに目を細め、俺の肩にこてんと頭を乗せた。
「うんっ。……ずっと、よろしくね」
平和で多幸感に包まれたリビングで、俺たちは甘いケーキの余韻と共に、一ヶ月の軌跡を温かく噛み締めていた。