作品タイトル不明
第300話:一ヶ月記念日のすっぽかし
熱々の濃厚味噌ラーメンでお腹を満たし、ぽかぽかと温まった体でレストランフロアを後にする。
「はぁ……美味しかったぁ。冬のラーメンって、どうしてあんなに幸せなんだろうね」
「違いない。さて、あとは一階のスーパーで夕飯の買い出しして帰るだけだな」
エスカレーターに乗り、ゆっくりと下の階へ降りていく。
ふと、時間を確認しようとポケットからスマホを取り出して画面を点灯させた。
待ち受け画面に表示されている日付は『12月12日』。
……12月、12日。
「なあ、凛」
「ん?」
「俺たちが付き合い始めたのって、いつだっけ」
「えっと……ハロウィンの日だったから、10月31日、だね」
凛が少し首を傾げながら答える。俺はスマホの画面を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「俺たち、一ヶ月記念日……完全にすっぽ抜けてたな」
「…………あ」
俺の言葉に、凛がパチクリと瞬きをした後、小さく口を半開きにして固まった。
10月31日から一ヶ月といえば、11月末から12月の頭にかけてだ。
だがその時期の俺たちといえば、初めての『お泊まりイベント(12月5日・6日)』に向けて、準備やら緊張やらドキドキやらで、完全に頭の容量がパンクしていた。
記念日どころか、お互いに「どうやって一晩をやり過ごすか」でいっぱいいっぱいだったのだ。
「……お泊まりのことで、すっかり飛んでたな」
「う、うん……。あんなに、その……いっぱいいっぱいになるなんて、思ってなかったから……」
エスカレーターの手すりを掴んだまま、凛がみるみるうちに耳まで真っ赤になっていく。
その顔を見ていると、なんだか無性に可笑しくなってきて、俺は堪えきれずに吹き出してしまった。
「ははっ、まあ俺たちらしいっちゃらしいけどな」
「もぉ、笑わないでよ朝陽くん。私だって、記念日くらいちゃんと……」
「悪い悪い。じゃあさ、少し遅れたけど、今夜は『一ヶ月記念日パーティ』にするか。スーパーで好きなもん買おうな」
俺がそう提案すると、凛の顔がパッと明るくなった。
「パーティ……!」
「ああ。好きなもの食べよう!」
「やったぁ!」
一階の食品スーパーに到着し、俺がカートを押す横を、凛がウキウキとした足取りでついてくる。
「何食べたい? パーティだし、ちょっと豪華にいこうぜ」
「えっとね、チーズフォンデュ! 前にテレビで見て、ずっと朝陽くんと一緒に食べてみたかったの」
「チーズフォンデュか、いいな。カマンベールチーズまるごと買って、ホットプレートでやろうぜ」
「うんっ! あとね、お肉も焼きたいな」
精肉コーナーへ向かい、いつもは素通りする少し高めの牛肉のパックを眺める。
今日は特別だ。厚切りのステーキ肉を二枚、迷わずカートに放り込んだ。
「うわぁ……絶対美味しいやつだ」
「塩こしょうと、ニンニク効かせた特製ソースで焼こうな。フォンデュ用のウインナーと、ブロッコリーにバゲットも必要だな」
次々とカートに食材が放り込まれていく。
普段の「いかに安く、栄養満点のおかずを作るか」という主夫のお買い物とは全く違う、欲望に忠実な買い出しだ。
「あとは、ケーキだね!」
「そうだな。でかいホールケーキは食べきれないから、ショートケーキにするか」
デザートコーナーで、苺がちょこんと乗った小さなショートケーキを二つ選ぶ。
「私、チョコのやつがいいな」「じゃあ俺は苺のにするから、半分こな」なんて言い合いながらカートを押していると、すれ違う買い物客の視線が少しだけくすぐったかった。
完全に、休日にご馳走の買い出しをしている新婚夫婦のそれだ。
ずっしりと重くなったエコバッグを俺が持ち、最寄り駅へと向かう帰りの電車に揺られる。
休日の夕方前の車内は空いていて、俺たちは横並びで座席に腰を下ろしていた。
暖房の効いた車内と、電車の心地よい揺れ。
凛は俺の肩に少しだけ寄りかかるようにして、幸せそうに目を細めている。
「今夜のパーティ、すっごく楽しみだね」
「ああ。帰ったらすぐ準備するから、少し待ってろよ」
「私も手伝う。ブロッコリー切ったり、お皿並べたりするね」
そんな平和な会話をしていると、凛のコートのポケットでスマホが「ブーッ」と短く震えた。
「ん、誰からだろう」
凛がスマホを取り出して画面を開くと、そこに表示されていたのは『おばあちゃん』という文字だった。
「実家からか?」
「うん。……えっと、『来週の19日と20日、お父さんとお母さんが久しぶりに帰ってくるから、お仕事の都合がつくなら帰っていらっしゃい』だって」
凛がメッセージを読み上げながら、少しだけ寂しそうな顔で俺を見上げた。
「そっか……。来週の土日、お父さんたち帰ってくるんだ」
「両親がいるなら、ちゃんと帰って顔見せてこいよ。最近、お前ずっと仕事か俺の家にいたから、ご両親も心配してるだろ」
俺が背中を押すように言うと、凛は「うーん……」と名残惜しそうに唸った。
「そうなんだけど……。朝陽くんと二日間も会えないの、やっぱり寂しいな」
しゅん、と耳を伏せたウサギのように肩を落とす凛。
その健気で可愛らしい姿に、俺の胸の奥がきゅっと締め付けられた。
(……俺だって、二日も会えないのは寂しいけどな)
週末は二人で過ごすのが、いつの間にか当たり前になっていたから。
けれど、家族水入らずの団欒を邪魔するわけにはいかないし、俺がここで寂しがったら凛が実家に帰りづらくなってしまう。
「まあ、たった二泊だろ。たまには家族でゆっくりしてこいって」
俺は少しだけ口角を上げて、凛の頭を優しく撫でた。
それに――少し寂しくはあるけれど、悪いことばかりじゃない。
(凛が実家に帰ってる間なら……気兼ねなく、あのオルゴールを買いに行けるな)
今日見つけた、誕生石のオルゴール。
休日に俺が一人で丸一日出かけるとなれば、どうしても不自然になってしまう。
だが、来週末なら凛に内緒で少し遠出をして、じっくりとクリスマスプレゼントを選んでくることができる。
「……うん。わかった」
凛が俺の手のひらにすり寄るようにして、小さく頷く。
「『お土産』期待してるからな」
「お土産…何がいいかな…?」
「冗談だ。安心して行ってこい」
不思議そうに首を傾げる凛に、俺はそれ以上は何も言わず、ただ優しく微笑み返した。
今夜の記念日パーティも楽しみだが、凛の驚く顔を想像すると、少しだけ憂鬱な来週末の予定も悪くないものに思えてきた。