作品タイトル不明
第252話:カレイの煮付けと、顔合わせ
「よし、いい感じに味が染みてるな」
木曜日の夕方。
俺はキッチンに立ち、鍋の中でコトコトと音を立てるカレイの切り身を見つめていた。
昨日の夜、ずっと一人で抱え込んでいた悩みを凛に打ち明けた。
彼女が真っ直ぐに背中を押してくれたおかげで、ここ数日のモヤモヤが嘘のように晴れ、今日の俺はすこぶる調子がいい。
その感謝も込めて、今夜は凛が大好きな和食メニューにすることにしたのだ。
醤油、みりん、酒、そして砂糖を合わせた黄金比の煮汁に、薄切りにした生姜を散らす。
落し蓋をしてじっくりと煮込んだカレイは、ふっくらとした身に甘辛い煮汁がしっかりと染み込み、表面はテリヤキのように艶々と輝いている。
カレイの煮付けを慎重に皿へ移し、一緒に煮たネギを添える。
副菜には、お出汁をたっぷり含ませたフワフワの『だし巻き卵』と、ほうれん草の胡麻和え。
あとは豆腐とワカメのシンプルな味噌汁だ。
「凛ー、ご飯できたぞ」
「わぁっ! すっごくいい匂い!」
エプロンを外してリビングに声をかけると、凛がパタパタと小走りでやってきた。
テーブルに並んだ和食のフルコースを見て、彼女の瞳がキラキラと輝く。
「今日はカレイの煮付けだね! 私、朝陽くんの作るお魚料理すっごく好き!」
「昨日、俺の話を聞いてくれたお礼。いつもありがとうな」
「えへへ、どういたしまして! じゃあ、冷めないうちに……いただきまーす!」
凛は両手を合わせてから、さっそくお箸でカレイの身をほぐした。
箸を入れただけでホロリと崩れる真っ白な白身。
そこに、甘辛くてトロッとした煮汁をたっぷり絡ませて、口へと運ぶ。
「ん〜〜っ……! 美味しいっ……!」
一口食べた瞬間、凛は幸せそうに頬に手を当ててとろけたような笑顔を見せた。
「お魚の身がすっごくフワフワで、生姜の効いた甘辛いタレがたまらない……! ご飯が無限に進んじゃうよ」
「慌てなくていいから、ゆっくり食えよ」
「だって美味しいんだもん。だし巻き卵も最高……」
俺にしか見せない、この無防備で幸せそうな顔。
これを見ているだけで、俺までお腹がいっぱいになるような、温かい気持ちで満たされていく。
「はぁ〜、美味しかったぁ。ごちそうさまでした!」
「お粗末さま」
二人で食後の温かいお茶を飲んでほっと一息ついていると、テーブルに置いてあった凛のスマホが『ピコン』と短く鳴った。
「あ、昨日言ってた動画編集者の人から返信きた!」
「早いな…。」
凛がスマホの画面をスワイプし、メッセージアプリのトーク画面を開く。
俺も思わず身を乗り出してしまった。
「えーっとね。『彼氏さんの料理動画、面白そうですね! 私たちで力になれるなら、ぜひ一度直接お会いしてお話ししましょう』だって!」
「直接!?」
「うんっ! わからないことだらけなら、オンラインで話すより、顔を合わせて相談に乗った方が早いからって」
なんという行動力と優しさだろうか。
俺が驚いていると、凛がさらにメッセージの続きを読み上げる。
「それでね、日時の提案も来てるよ。『もしよければ、今週の土曜日、朝の10時に駅前のカフェでいかがですか?』って」
「今週の土曜……明後日か! ってかこっちまで来てくれるのか…。」
「私も何回か来てもらってるから、もしかしたら住んでる所近いのかもね!」
「なるほど、ぜひお願いしたいって伝えてくれるか」
「うん、オッケー!」
凛が手早く「土曜日の10時でお願いします」と返信を打つ。
すぐに既読がつき、相手からも了解のスタンプが送られてきた。
これでいよいよ、本格的に動画制作への第一歩を踏み出すことになる。
「あ、そうだ朝陽くん。その女の人のほいうから、アドバイスっていうか、宿題が出てるよ」
「宿題?」
「うん。『土曜日まであんまり時間がないけど、自分でどんな機材が必要そうかとか、チャンネルを作るにあたって大事なことを、自分なりに少しだけ調べておいてね』だって!」
なるほど。
ただ「教えてください」と丸投げするのではなく、自分なりに作りたい動画のビジョンや、最低限の知識を持っておくことは、相談に乗ってもらう上での最低限のマナーだ。
「わかった。明日の放課後、もう一度自分なりにしっかり調べてまとめておくよ」
「うんうん、その意気だよ! 私も横で一緒に調べるからね」
凛が頼もしく頷き、自分のスマホのカレンダーアプリを開いた。
「じゃあ、予定入れとくね。土曜日の朝10時から、カフェで顔合わせ……と。あっ、そうだ!」
「どうした?」
「顔合わせが終わった後、そのまま秋服のお買い物デートに行こっか! どっちみち土日はお買い物行きたかったし」
「そうだな。じゃあ、動画で使う用の新しいエプロンとか、少し見栄えのいいお皿なんかも一緒に探してみるか」
「賛成! すっごく楽しくなりそう!」
カレンダーに『お買い物デート』の予定を書き込みながら、凛がえへへと笑う。
「で、その次の週の週末は……陽菜ちゃんたちとうちで『女子お泊まり会』だね!」
「その日は俺も自分の部屋で、動画の構想とか練りながらゆっくりしてるよ」
「えー、やっぱりちょっと寂しいな」
「だから、すぐ隣の部屋にいるだろ」
苦笑いしながら凛の頭をポンポンと撫でると、彼女は目を細めて気持ちよさそうに俺の手にすり寄ってきた。
土曜日の顔合わせと買い物デート。そして来週末のお泊まり会。
二人でソファにくっついて座りながら、楽しみな予定で少しずつ埋まっていくカレンダーを眺める。
「なんか、これからもっと忙しくなりそうだけど……すっごくワクワクするな」
「うん! 朝陽くんの新しい挑戦、私もすっごく楽しみだよ」
温かいお茶を飲みながら、肩を寄せ合う。
一人で悩んでいた三日間が嘘みたいに、今の俺の胸の中は、これから始まる未来への希望で満ち溢れていた。