作品タイトル不明
第170話:お弁当会議と、変装買い出し。
水曜日の夜。
お風呂上がりに凛から足のマッサージを受け、ドキドキしていた鼓動がようやく落ち着いてきた頃、俺はふと思い出して口を開いた。
「そういえばさ、凛」
ソファの隣に座る彼女に声をかけると、凛はコテンと首を傾げた。
「明後日、体育祭本番だろ。お弁当のおかず、何かリクエストあるか?」
俺がそう尋ねると、凛はパァッと顔を輝かせ、ソファの上で少し身を乗り出してきた。
「お弁当……! 作ってくれるの?」
「そりゃあな。好きなもん入れてあげるよ」
「えへへ、ありがとう!」
凛は嬉しそうに笑うと、少し上を向いて「うーんとね……」と悩み始めた。
俺はスマホのメモ帳アプリを開いて準備をする。
「まずは、卵焼き! 朝陽くんが作る、ちょっと甘めのやつが絶対に入っててほしいな」
「了解。卵焼きは甘め、と。他には?」
「あとは……唐揚げ! 朝陽くんの唐揚げ、すっごく柔らかくて好きなんだ」
「唐揚げだな、オッケー。あとは彩りにブロッコリーとミニトマトも買っておくか」
俺がスマホの画面をタップしてメモを取っていると、凛が肩が触れ合うほどの距離まで顔を近づけて、画面を覗き込んできた。
「朝陽くんのお弁当、すっごく楽しみ。明日の放課後、一緒に買い出し行こ?」
「おう。せっかくだし、スーパーでお前が食べたいものを一緒に選ぶか」
「うんっ!」
至近距離で漂う甘いシャンプーの香りに少しだけ頬を緩ませながら、俺たちは明日の買い出しの約束を交わした。
翌日。
体育祭前日の準備を終え、俺たちは学校ではいつも通り他人のフリをして、別々にアパートへ帰宅した。
制服のまま二人で近所のスーパーをうろついていれば、運悪く学校の連中に見つかった時に厄介だ。
そこで俺たちは、一度自室に戻って私服に着替え、少しだけ「変装」をしてから出かけることにした。
「お待たせ、朝陽くん」
アパートの前で合流した凛を見て、俺は少し驚いた。
彼女は深めの黒いキャップを被り、少し大きめの半袖パーカーにデニムのロングスカートという、いつもの清楚な印象とは違うカジュアルな服装だった。さらには、伊達メガネまでかけている。
「……どうかな? これなら、学校の人に見られても私だってバレないよね?」
「お、おう。パッと見じゃ絶対気付かないな。……でも、なんかその、普通に似合ってて可愛いな」
「えっ……ほんと? えへへ、嬉しい」
俺がこぼした素直な感想に、凛は頬を赤くしてはにかんだ。
「じゃあ、行こっか」
そう言って歩き出した直後だった。
スッ、と。
ごく自然な動作で、凛が俺の左腕に自分の両腕を絡ませてきたのだ。
「お、おい凛! 外だぞ!?」
俺は慌てて周囲を見回したが、幸いアパートの周辺に人影はなかった。
「いいの。こうやって腕組んでた方が、ただの仲のいいカップルに見えて、逆に私だってバレないでしょ?」
「いや、その理屈はおかしいだろ……!」
俺が引き剥がそうとすると、凛は俺の服の袖口をきゅっと掴み、少し潤んだ瞳で上目遣いをしてきた。
「……少しだけ。お願い、一緒に歩きたいの」
(……まあ、今の内か……)
俺は大きくため息をつき、結局真っ赤になった顔を隠すように前を向いた。
「……分かったよ。でも、誰か知り合いが来たらすぐ離れろよ」
「うんっ!」
俺の腕にしがみつく凛は、キャップの下でとても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
近所のスーパーの店内。
俺がカートを押し、その横に腕を組んだままの凛がピタリと張り付いている。
平日の夕方ということもあり、店内は夕飯の買い物に来た主婦たちで賑わっていた。
「唐揚げのお肉、どっちがいいかな?」
精肉コーナーで、凛が二つのパックを指差した。
「唐揚げならモモ肉一択だろ。ジューシーで美味いからな」
「うん、じゃあこっちの国産のやつにしよう」
そんな会話をしながらカートを進めていると、前方のウインナーコーナーから元気な声が聞こえてきた。
「新発売のウインナーいかがですかー! 焼きたてで美味しいですよー!」
ホットプレートから、食欲をそそる肉の焼ける匂いが漂っている。
試食販売のエプロンを着たお姉さんが、腕を組んで歩く俺たちを見るなり、パッと顔を輝かせて声をかけてきた。
「そこの仲良しカップルさん! どうぞ食べていってください!」
カップルという言葉に俺の肩がビクッと跳ねたが、凛は気にした様子もなく「わぁ、ありがとうございます」とお辞儀をして、小皿に乗ったウインナーを一つ受け取った。
爪楊枝で刺したウインナーを口に運び、小さく咀嚼した凛は、パッと目を丸くした。
「んっ……! 朝陽くん、これすっごく美味しい! お弁当に絶対入れたい!」
目をキラキラさせて訴えかけてくる凛の姿がおかしくて、俺は思わず口元を綻ばせた。
「じゃあ、これ一つ買って行こうか」
「はい、ありがとうございます! 明日のお弁当作り、頑張ってくださいねー!」
お姉さんに笑顔で見送られながら、俺はウインナーの袋をカゴに入れた。
(……なんか俺、ごく自然に彼氏みたいな振る舞いしてなかったか?)
後からジワジワとこみ上げてくる羞恥心に耐えながら、俺たちは残りの買い物を済ませた。
買い出しを終え、スーパーを出る頃には空はすっかり茜色に染まっていた。
二人分の食材が詰まったエコバッグはなかなかの重さだ。
俺が持ち手を握って歩き出そうとすると、凛が横からスッと手を伸ばしてきた。
「私も、半分持つよ」
そう言って、凛はエコバッグの二つある持ち手のうち、片方を握った。
「いや、重いから俺が持つよ。」
「これなら、二人で持ってるから手首痛めないでしょ? 一緒に持と?」
凛が楽しそうに微笑むので、俺は「……まあ、そうだな」と苦笑して頷いた。
一つのエコバッグを、二人で片方ずつ持つ。
必然的に肩が触れ合いそうなほど距離が近くなり、歩幅を合わせないと上手く歩けない。
「いち、に、いち、に」と小さく足並みを揃えながら歩く帰り道は、なんだか少しこそばゆくて、温かかった。
アパートに帰り着くと、俺たちは夕飯の準備に取り掛かった。
今日はお弁当の仕込みに時間を使いたいので、晩御飯は俺がパパッと作った簡単なチャーハンと中華スープで済ませることにした。
夕飯後、俺はキッチンに立ち、買ってきた鶏モモ肉を一口大に切ってボウルに入れる。
醤油、酒、すりおろしたニンニクと生姜を加え、しっかりと揉み込んで下味をつける。冷蔵庫にボウルをしまいながら、俺は小さく息を吐いた。
(明日、あいつが一番喜ぶお弁当を作ってやる)
その後はいつも通りお風呂に入り、リビングでリラックスタイム。
俺はソファに座る凛の後ろに立ち、軽く肩や首回りをマッサージしてやった。
「……よし、今日はこれくらいにしておくか。あんまり揉みすぎても明日だるくなるからな」
「うん、ありがとう。すごく気持ちよかった」
凛が振り返って微笑む。俺は、彼女の頭にポンッと軽く手を乗せ、優しく撫でた。
「明日、お互い頑張ろうな」
「……うんっ!」
凛は嬉しそうに目を細め、俺の手のひらにすりすりと頭を擦り付けてきた。
少しのドギマギと、明日への楽しみな気持ちを抱えながら、俺たちはそれぞれの部屋へと戻り、いよいよ体育祭本番の朝を迎えるのだった。