軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第169話:押し寄せる男子と、逆マッサージ

水曜日。

体育祭の全体練習が本格化し、グラウンドは連日生徒たちの熱気に包まれていた。

「……なんか、あいつ大変そうだな」

休憩時間。グラウンドの端にある木陰で水分補給をしていた俺は、遠くの光景を見て眉をひそめた。

視線の先には、クラスの女子とはぐれて一人になった凛の姿がある。

そして彼女の周りには、他クラスの男子や上級生と思われる男子数人が群がっていた。

「あれ、例の噂のせいだな」

隣でスポーツドリンクを飲んでいた大輝が、やれやれと肩をすくめた。

「『絶賛片思い中』って聞いて、逆に『冬月さんは今、恋愛に興味があるんだ!』って勘違いして浮かれてる奴らだよ。隙あらばお近づきになろうって魂胆だな」

大輝の言葉通り、男子たちはニヤニヤしながら凛に距離を詰めている。

「冬月さん、好きな人って誰なの? 先輩にだけこっそり教えてよ」

「今度さ、体育祭の打ち上げで一緒に遊びに行かない?」

凛はいつもの『氷の令嬢』の仮面を被り、「プライベートなことなので」「その日は予定があるので」と冷たくあしらっていたが、相手が上級生ということもあり、強引に食い下がられて少し困惑しているのが遠目にも分かった。

(……ちょっと、助けに行くか)

「大輝、行ってくる」

「おう。変に目立つなよー」

大輝の忠告を背中で聞きながら、俺は迷わず凛の元へと歩き出した。

「あの、すみません」

俺は男子たちの輪の隙間にスッと体をねじ込み、凛の前に立った。

急に現れた俺に、男子たちが「あ? なんだお前」と怪訝な顔を向けてくる。

俺は彼らを刺激しないよう、あくまで事務的なトーンで凛に声をかけた。

「冬月さん。担任の先生が、次の学年種目の配置のことで呼んでましたよ。急ぎみたいです」

「えっ……あ、はい。分かりました」

凛は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに俺の意図を察してコクリと頷いた。

「そういうことなんで、失礼します」

俺が軽く頭を下げて凛の腕を引こうとすると、男子たちは「ちぇっ、なんだよ」「先生の呼び出しじゃしょうがねえな」とつまらなそうに舌打ちをし、散っていった。

彼らの姿が遠ざかったのを確認してから、俺はふうっと息を吐いた。

「……助かった。ありがとう、朝陽くん」

凛が、ホッと安堵の息をつきながら俺を見上げてきた。

「気にするな。困ってそうだったからな」

「ふふっ。担任の先生が呼んでるなんて、朝陽くん、嘘つくの意外と上手なんだね」

「人聞きの悪いこと言うな。……あんまり無理するなよ」

俺がそう言うと、凛は少しだけ目を伏せて「うん」と頷いた。

「それじゃ、俺はリレーの練習があるから戻るぞ。お前も気をつけてな」

俺は小さく手を振って、自分のクラスの陣地へと戻っていった。

その後のクラス対抗リレーの練習。

俺はアンカー前の重要な走者としてバトンを受け取った。

(……本番でバテたら意味がないからな。ここは軽く流しとくか)

俺は本気で走りたい衝動を抑え、フォームだけを意識して六割程度の力でグラウンドを駆け抜けた。

それでも前の走者との距離を少し縮め、無難にアンカーへとバトンを繋ぐことができた。

「おい朝陽。お前、今手ぇ抜いて走っただろ」

練習後、俺の足の速さを知っている大輝がジト目で指摘してきた。

「本番のために体力を温存してるだけだ。怪我でもしたら元も子もないだろ」

「……まあ、そうだな。本番であいつらの度肝を抜いてやろうぜ」

大輝はニヤリと悪戯っぽく笑った。

俺は「期待しとけ」と軽く返したが――そのツケは、夜になってしっかりとやってきた。

「……いっっっったぁ……」

夕食を終え、お風呂に入った時のことだ。

湯船に浸かっていると、両足のふくらはぎがジンジンと熱を持ち始めたのだ。

本気を出さずに軽く流して走ったとはいえ、日頃の運動不足の体には、グラウンドの疾走はダメージが大きすぎた。

両足の筋肉がパンパンに張り詰めている。

お風呂から上がり、俺はリビングのソファに座り込んで、自分で足を揉みしだいていた。

(……本番前に筋肉痛でダウンとか、笑えない……)

情けなさに一人でため息をついていると、リビングのドアがガチャリと開いた。

「おじゃましまーす。……朝陽くん、足痛いの?」

同じくお風呂上がりの凛が、心配そうな顔で近づいてきた。

シャンプーの甘い香りが、ふわりと鼻先をかすめた。

「あ、ああ……ちょっとリレーの練習で張り切りすぎたみたいだ」

かっこ悪い真実は伏せて、俺は愛想笑いを浮かべた。

「そっか。……じゃあ、ちょっと足伸ばして」

「えっ?」

凛は俺の隣に座ると、俺の足をポンポンと叩いた。

「今日、助けてくれたお礼。それに、いつもマッサージしてもらってるから……今日は私がやってあげる!」

「い、いや! 悪いよ、俺が勝手に筋肉痛になっただけだし……!」

俺が慌てて辞退しようとしたが、凛は「いいからいいから」と強引に俺の右足を引き寄せ、正座している自分の太ももの上に乗せた。

「っ……!」

ソファに背を預けて床に座る俺と、その正面で俺の足を膝に乗せる凛。

床に投げ出していた自分のふくらはぎが、柔らかい太ももの上に横たえられているという事実に、俺の顔は一気に熱くなった。

そんな俺の動揺をよそに、凛は少し前かがみの体勢になり、小さな手で俺のふくらはぎを優しく揉み始めた。

「……力、どうかな? 痛くない?」

至近距離から覗き込まれる。

お風呂上がりの少し火照った彼女の頬が、やけに色っぽく見えた。

「あ、ああ……ちょうどいいよ」

「よかった。……いつも朝陽くんは、こうやって私の疲れを取ってくれてるんだね」

凛の手は小さくて柔らかいのに、じんわりと温かくて心地よかった。

パンパンに張っていた筋肉が、彼女の手のぬくもりで少しずつほぐれていくのが分かる。

静かなリビングに、時計の針の音だけが響く。

ふと、凛がマッサージをする手を少しだけ止めて、俺の顔を見上げた。

「……今日、昼間は助けてくれてありがとう」

「だから、気にするなって。困ってたみたいだし」

「ううん」

凛はゆっくりと首を振って、ふにゃりと柔らかく笑った。

「朝陽くんが私を見つけて、助けに来てくれて……私、本当に嬉しかったんだよ」

その真っ直ぐで温かい言葉に、俺の胸の奥がキュッと締め付けられた。

「よし、仕上げはこれだね」

凛は袋から冷たい湿布を取り出すと、透明なフィルムを剥がした。

「貼るね。ちょっと冷たいよ」

「おう」

ふくらはぎに、ヒヤッとした湿布の冷たさが広がる。

「ありがとう、凛。だいぶ楽になったよ」

「えへへ。どういたしまして」

凛は俺の足を下ろすと、今度は俺の肩にコテンと頭を乗せて寄りかかってきた。

いつもの、無防備な密着。

(……凜に彼氏ができるまで、見届ける)

月曜日に、そう決意したばかりだった。

凜に本当に好きな奴ができて、彼氏ができるその日まで、俺は隣にいると。

でも、今は。

隣で心地よさそうに目を閉じている彼女の柔らかな体温と、甘い香りを感じていると、なんだか無性に胸の奥が温かくなった。

(……幸せだな)

俺の口元に、自然と笑みがこぼれた。

彼女が他の誰かの隣に行くその日が来るまで。

こうして彼女の隣で、不器用にお互いを支え合えるこの少しドギマギする時間が、ずっと続けばいいのに。

俺は静かにそう願いながら、隣の温かな体温に身を委ねた。