作品タイトル不明
24.義弟が、面倒な話を始めました
昼食を終えた生徒たちは、教師の先導で学園の転移陣へと集まっていた。
今回のフィールドワークの目的地は、精霊の泉群。
王都から離れた谷あいに存在する、水の地脈が集中する場所だという。
転移の光が視界を包み込む。
次の瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
「わぁ……!」
あちこちから感嘆の声が上がる。
私も思わず足を止めた。
谷一帯に、大小さまざまな泉が点在している。
透き通る水面は陽光を受けてきらきらと輝き、周囲には色とりどりの花々が咲いていた。
泉と泉の間を細い水路が縫うように流れ、その全てがどこかで繋がっているのだとわかる。
一面に広がる泉と花々は、まるで精霊たちの住処のようだった。
「綺麗ですわ……」
「まるで絵本の中みたい……」
女子生徒たちが興奮した声を上げている。
確かに美しい場所だった。
けれど。
私はその景色を眺めながらも、どこか遠く感じていた。
胸の奥に引っかかったままのものが、まだ消えていない。
視線が自然と動く。
少し離れた場所、護衛役の教師たちに囲まれた籠の中で、リーヴがこちらを見ていた。
いや……正確には、私と──グレンを。
小さな手が籠の縁を握っている。
落ち着かない様子で視線を行き来させるその姿に、胸がわずかに痛んだ。
そのとき。
グレンたちのグループが視界の端を横切った。
ミアと並んで教師の説明を聞いている。
以前と変わらないように見える。
けれど、それが本当に変わっていないのかはわからなかった。
グレンは一度だけリーヴへ視線を向けた。
リーヴがぴくりと反応する。
その瞬間だけ、グレンの目元が柔らいだように見えた。
気のせいかもしれないと思うほど、ほんの一瞬だけ。
だが、それだけだった。
教師の声が響く。
「これより、水の地脈魔力を利用した調律工程を行う」
生徒たちの視線が前へ集まった。
「精霊の泉群に存在する泉は、すべて同じ地脈に繋がっている。だが、含まれる魔力にはわずかな差がある」
教師は周囲の泉を示した。
「各グループで適した泉を選びなさい」
ざわり、と生徒たちが周囲を見回す。
「選んだ泉に四本の杖を浸し、水の地脈魔力を取り込む。まずは四本の杖を共鳴状態にしなさい。共鳴が安定したら、その状態のまま待機する」
そこで教師は少し表情を引き締めた。
「地脈魔力が杖に馴染むまで時間がかかる。調律が終わるまで杖には触れないように」
説明が終わると、生徒たちは思い思いに動き始める。
私たちの合同グループも同じだった。
ローレンス殿下が周囲を見回す。
「さて、どの泉にする?」
その問いに答えるより早く、隣の女子生徒が一歩前へ出た。
「せっかくですし、少し奥まで見てみませんか?」
そう言いながら、ちらりとローレンス殿下へ視線を向ける。
その意図は、驚くほどわかりやすかった。
だが、誰も反対することはなく、私たちの合同グループも、泉を探して谷の奥へと歩き出す。
「ノエリアさま」
不意に声をかけられる。
振り向くと、エミリオとペアを組んでいる女子生徒が微笑んでいた。
「何かしら」
「最近、殿下とあまりご一緒されませんのね」
にこやかな口調だった。
けれど、その瞳は私の反応をうかがっている。
私は小さく首を傾げた。
「そうかしら」
「ええ。以前はもっと、お二人でいらっしゃることが多かったように思いましたので」
なるほど。そういう話か。
私は小さく息を吐く。
「学園では皆さまとご一緒ですもの。特に意識したことはないわ」
そう答えると、女子生徒は一瞬だけ言葉に詰まった。
もっと別の反応を期待していたのだろう。
「まあ……そうですわね」
ぎこちなく笑う。
その横で、エミリオが何とも言えない顔をしていた。
助け船を出すように口を開く。
「そういう君だって、最近は殿下によく話しかけてるじゃないか」
「えっ」
女子生徒が目を瞬かせる。
「せっかく同じグループなんだから、頑張ればいいと思うよ」
「な、何のことでしょう?」
慌てて否定するが、女子生徒の顔が少し赤い。
エミリオは楽しそうに笑う。
私はその様子を横目で見ながら、そっと視線を逸らした。
正直なところ、ローレンス殿下が誰と話していようと、今はどうでもよかった。
気になってしまうのは、別のことだ。
少し離れた場所を歩くグレンの姿が、視界の端に映る。
それだけで胸の奥が重くなる。
私は小さく息を吐いた。
谷を進みながら、いくつもの泉を見て回る。
どれも美しかった。
澄み切った水面、陽光を受けて揺らめく光、周囲を彩る花々。
けれど、教師の言った通り、近づいてみると微妙に違う。
水面から立ち上る魔力の気配、空気に溶ける力の流れ。
同じ地脈に繋がっていても、確かに個性があった。
「ここは少し強すぎるな」
ローレンス殿下が泉を覗き込む。
「杖が弾かれそうですね」
エミリオも同意するように頷いた。
さらにしばらく歩く。
谷の奥へ進むにつれ、人影もまばらになっていった。
やがて、一つの泉の前で足が止まる。
周囲を低い花々に囲まれた、小さな泉だった。
水面は静かで、魔力の流れも穏やかだ。
けれど弱すぎるわけではない。
「ここが良さそうかな」
エミリオが呟く。
ローレンス殿下も泉へ視線を向けたまま頷いた。
「そうだな。共鳴も安定しそうだ」
異論はなかった。
私たちは泉の縁へ腰を下ろす。
四人それぞれが杖を取り出した。
「では始めよう」
ローレンス殿下の掛け声で、全員が杖の先端を、そっと泉へ浸す。
泉の冷気が杖を通して伝わってくる。
次の瞬間、水面に淡い光が広がった。
四本の杖が同時に魔力を取り込み始める。
水面に浮かぶ光の輪が重なり合い、静かに共鳴していた。
耳を澄ませば、かすかな音が聞こえるような気がする。
地脈を流れる魔力の鼓動だ。
「うまく共鳴したようだな」
ローレンス殿下が呟く。
「ええ。魔力が定着するまで時間がかかるから、杖には触れないように、とのことでしたわね」
私も頷く。
泉に浸された杖は、今も静かに光を放っている。
すぐにやることがなくなる。
見渡せば、他の生徒たちも似たような状況だった。
泉の近くで談笑したり、景色を眺めたりしている。
「あの……殿下」
そんな中、女子生徒が遠慮がちに声をかけた。
ローレンス殿下が視線を向ける。
「何だ?」
「あちらに珍しい花が咲いているそうなんです」
彼女は少し離れた場所を指差す。
谷の斜面に色鮮やかな花々が咲いているのが見えた。
「よろしければ、ご一緒していただけませんか?」
わかりやすい誘いだった。
ローレンス殿下は一瞬だけ言葉を止める。
「離れるのは……」
言いかけて、ちらりとこちらを見た。
その意味を考える気にもならない。
私は泉を眺めたまま、何も言わなかった。
しばらくの沈黙の後、やがてローレンス殿下は小さく息を吐く。
「わかった。ただ、あまり離れないようにしよう」
「はい!」
女子生徒の顔がぱっと明るくなる。
立ち上がる際、こちらへ一瞬だけ視線が向けられた。
どこか勝ち誇ったような表情。
けれど、私は特に何も感じなかった。
好きにすればいい。
今はそんなことよりも……。
無意識に視線が動く。
遠く、別の泉のほとりにいるグレンの姿が見えた。
その瞬間。
「……姉さま」
隣から声がした。
エミリオだった。
いつもの軽い調子はない。
私はゆっくりと視線を向ける。
エミリオは、離れていくローレンス殿下たちを見送った後、こちらへ向き直った。
「少し、話そうか」
その声に、私は嫌な予感を覚えた。