作品タイトル不明
9. 敵地で、バカンスはじめました!
「とびきり可愛くいたします!」
自信満々、腕まくりをするアリエッタ。
レティシアの顔を洗って服を着替えさせ、寝ぐせのついた髪をそれは可愛く結い上げる。
「レティ様、午前中は屋敷をご案内しますね!」
アリエッタと手をつなぎ、レティシアは短い足でよちよちとついていく。
途中抱っこしようか迷っていたようだが、幼女とはいえロイドの花嫁。
さすがに控えつつも、アリエッタは無理のない速度を探りながら歩いてくれる。
滅多に覗けない敵国の、しかも戦争になれば大きな障壁になるであろう、ロイド・セシリオ辺境伯の屋敷内。
これは散歩ではなく、敵国視察。
……しっかり見ておかなければ。
油断なく目を配り、最初はそんなことを思っていたのだが。
「こちらが厨房です。料理長が、レティ様の好きなものを教えて欲しいそうです」
「お会いできて光栄です。毎朝、美味しいものを作りますからね!」
「レティ様、ご覧ください。こちらは温室です。綺麗なお花、好きですか? 好きなものがあったら摘んでも大丈夫ですよ」
……全員、笑顔だ。
口外を禁じられてはいるが、邸内の使用人達は、レティシアが妻となるべく滞在しているのを知っている。
身元の分からない幼女が突然『辺境伯の妻』として現れたのだ。
訝しみ、『相応の令嬢でなければ認められない』と普通なら思うだろうに、歓迎しきりで迎えてくれる。
昨夜の出迎えの際も思ったが……この屋敷、大丈夫なのかな。
レティシアはガラにもなく心配になった。
「あの、ありえった」
「はい!」
「みんな、なんで……」
「皆、レティ様のことが大好きなんです。それに旦那様は口数の少ない方ですが、レティ様をとても大切にしていらっしゃいますよ」
アリエッタが屈み込み、目線を合わせて微笑んでくれる。
満足すぎる一日は、あっという間に終わってしまった。
夜になり、当然のようロイドの部屋で過ごすレティシア。
眠るにはまだ時間が早いからという理由で、ベッドサイドには、エルマが持ち込んだ絵本が積まれている。
「ろいど、もういっかい」
絵本の読み聞かせは、これで三周目。
最初は『敵国の調査だ』と自分に言い聞かせていたが、今となってはもう、そんな言い訳すら必要なくなりつつあった。
実用書以外を読むなど初めてのこと。
何度聞いても面白く、単純に続きが気になるのだ。
「にんぎょのおひめさまは、おうじさまに、なんていったの」
読んでもらった絵本の中で、一番納得のいかなかった部分だ。
「『愛している』と言った」
「それだけ?」
「いや、『さようなら』と別れを告げて、最後に口付けをした。そのまま海に沈み、泡になってしまった」
「……くそおうじ」
助けてもらっておきながら、他の美女に目映りした恩知らずの王子。
クソみたいな王子など、魔獣の餌にすればよかったのに。
「まぁ、そうだな。だが王子にも事情があったのかもしれん」
何度「もういっかい」とせがんでも、ロイドは嫌がる素振り一つ見せず、ただ黙って最初のページへと戻ってくれる。
レティシアは柔らかな毛布にくるまりながら、その横顔をそっと見上げる。
翌日も、その翌日も、レティシアは変わらず何ひとつ不満のない日々を過ごした。
「転ぶと危ないから」というロイドの一貫した主張により、部屋の外は基本抱っこで移動する。
長い廊下に、磨き抜かれた床石。
階段にはそこそこ高い段差があり、庭園の小石に足を取られることもある。
理由は毎回違うが、結論はいつも同じで、気付けば毎回ロイドの腕の中にいる。
日を追うごとに過保護ぶりは加速していき、最近などレティシアを膝の上に乗せたまま、執務をこなすほどだった。
お絵描き用に準備してくれた羊皮紙に、ぺたりと頬をくっつけながら、ロイドの手元を横目で見遣る。
流れるようなペン使いを眺めながら、レティシアは内心で唸った。
脳筋将軍だと思っていたら、たいした執務能力だ。
だがこれは……調査がはかどる。
文字が読めない三才児設定のため、機密書類が見放題。
あまりに容易く情報が得られてしまうので、申し訳なくなるくらいだ。
相変わらずの無表情だが、たまに宥めるように、ぽんぽんと頭を叩いてくれる。
温かくて、大きな手。
魔法国で取るはずだった一日限りの休暇はなくなってしまったが、敵国で待ち受けていたバカンスは思いもよらず、至れり尽くせりの、最高に楽しいものだった。
魔法帝として生きてきた二十五年間、こんなふうに大切にされたことがあっただろうか。
そう考えかけて、レティシアはやめた。