作品タイトル不明
7. そして冒頭へと話は戻る
冷血将軍の名を冠する、セシリオ辺境伯。
エルマ曰く、結婚する気のない仕事人間。
なお魔法国では、三日三晩剣をふるい、魔獣討伐に明け暮れた狂気の男として名を馳せている。
赤子には泣かれ、動物には吠えられ……二十三歳になるまで、ただの一人も令嬢を寄せ付けなかったというその男は、今。
――育児書を片手に、幼女レティシアと対峙していた。
幼女だから分からないだろうと目の前で育児書を開き、遠慮なく文字を追っているのだろうが――すべてバレバレ、ばっちり全文読めている。
「どうだ、何か思うところはあるか?」
真剣な表情でそう問われ、レティシアはロイドの顔を見た。
精悍な顔立ちは言わずもがな。
その目には強い意思が宿り、隙がない。
魔法国にも騎士はいるが、こういう目をした人間はそうおらず、相手にとって不足はない。
「……おめめ、きれい」
言動が身体に引きずられるのだろうか、出てきた言葉はそれだった。
「まさかこの俺を美しいと誉めたのか? 皆が恐れる、この俺を?」
「うん」
何を驚くことがある。
そこらの令嬢なら怯えて泣くかもしれんが、気にする必要はない。
すっかり魔法帝モードのレティシア。
だが次の一言で、レティシアは固まった。
「違う。美しいとは、お前のような者をいうのだ」
え?
「不本意だろうが、国王陛下のご命令だ。妻にすると決めたからには、必ず幸せにしてやる」
「……ろいど、ほんき?」
「無論だ。生涯、お前だけを愛すると誓おう」
……名ばかりの初夜なのは分かっている。
保護された時は粗末なボロ布に身を包み、意識を失っていたと聞いている。
湯浴みのために服を脱がした時は、無惨に残る古傷に、皆が言葉を失っていた。
――だというのに。
騎士の誓いをし、幼女以外の何者でもないレティシアに愛を捧げ、指先に恭しくキスをする。
「魔法帝が攻めてくると専らの噂だが、関係ない。俺が滅ぼしてやる」
「……」
滅ぼす?
今、滅ぼすと言ったか。
――この私を?
なお一つ訂正をするが、そもそも侵攻なんぞする予定はない。
誰だ。そんなくだらん噂を流しているのは……。
だが溺愛を誓った花嫁が『世界最強の魔法帝』などと知る由もなく、彼の問いは続いていく。
屋敷での過ごし方。嫌いなもの。好きなもの。
一つ聞くたびに育児書をめくり、答えを聞いてはまたページをめくる。
怖いものがないかを詳細に聞いたのは、レティシアが虐待を受けていたと思っているからなのかもしれない。
その律義さが少しおかしいが、一体いつまで続くのだろう。
瞼が、じわじわと重くなる。
何度も言うが、幼児の身体は誤魔化しが効かない。
どれだけ頑張っても、油断しないよう気を張っていても、その体力は容赦なく限界を告げてくる。
「レティ?」
だめだ、眠い。本当に眠い。
返事をしたいのに意識が薄れ、ロイドの声が、次第に遠くなっていく。
「寝たか」
次の瞬間、ふわりと身体が浮き上がる。
ロイドはレティシアを抱き上げると、広いベッドに横たえた。
「……おやすみ」
毛布がかかり、頭のすぐ上からロイドの声が落ちてくる。
愛情の薄い実母は、幼いレティシアと一緒に眠るなど一度もなかった。
魔法帝になってからも、広いベッドに自分だけ。
シーツは冷たく、隣はいつも空いていた。
同じベッドで誰かと眠るのは……初めてかもしれない。
毛布越しに伝わってくる大きな手のぬくもり。
不本意に召喚された敵国で、こんなにも穏やかな気持ちになるとは思わなかった。
……もう少しだけ、様子を見るとするか。
思考がとろりと蕩けていく。
こうして魔法帝レティシアは、冷血将軍の腕の中で、あっけなく眠りに落ちたのである――。