作品タイトル不明
31.幼女の『そこはかとない』日常を覗き見する会~慟哭~
『ダイジェストは、もう一夜ある』
素敵な言葉だが、ディーンのライフゲージはもう、限りなくゼロに等しい。
「本当に見るつもりか?」
「当然です。たった一回の映像で何が分かると言うんですか」
さぁ師団長、元気を出してください。
気を取り直すように息を吸い、クロニクルが再び水盤に手をかざした。
この魔法式は先ほど見せてもらった。一度見れば再現できる。
レティシアやディーンの陰に埋もれつつあるが、平民出身の叩き上げ。
副師団長にまで上りつめた彼は、穏やかな物腰からは想像もできないほど非凡な男であった。
魔法式が起動し、水面が揺れる。
霧が晴れるようにして、中断していた映像が結ばれていく。
「はぁッ!?」
食い入るように覗いていたディーンの動きが、また止まった。
今度は幼女ではない。
月明かりに映える白い肌。長い髪が、夜風にさらりと流れる。
漆黒のドレスに身を包んだレティシアが、王宮と思われるバルコニーに立っていた。
「いつの間にか大人に戻ったんですね」
「……魔法国では」
安堵の息を漏らしたクロニクルの声が、ディーンの呟きに掻き消される。
「何度お願いしても、一度も……一度たりとも、ドレスなんて着てくれなかったのに」
執務室で。会議室で。討伐任務で。時にはお誕生日プレゼントとして。
しかしレティシアは、常にダボっとしたローブを愛用し、日常的に顔を隠していた。
それが、今――。
「う、美し……」
ディーンが言いかけたその時、またしても映像の中にロイドが現れた。
何事かをレティシアに告げ、滑らかな腕を武骨な手で握りしめる。
「またこいつか!?」
怒りに任せ、ディーンは壁に両手を叩きつけた。
「汚い手で、汚い手でレティシア様に触れるなどッ」
「うわあ……レティシア様。確かに着飾ると、とんでもない美人ですね」
クロニクルが水盤を覗き込み、それから、しみじみと呟いた。
「……あの性格を、知らなければ」
「おい、レティシア様に失礼なことを言うな!」
怒鳴り返しながら、ディーンは水盤から目を離せない。
魔法国では誰一人として見たことのない、レティシアの艶姿に、呆けたように目を奪われている。
どういう状況は分からないが、舞踏会でも開かれているのだろうか。
バルコニーで二人きり、何やら言い争いをしているようにも見える。
腕を掴んだまま、ロイドが何かを問い質した。
掴まれた腕は、放してもらえない。
そしてほんの一瞬、レティシアが悲しそうな顔をする。
一歩近づき、少し背伸びをして、……ロイドにそっとキスをした。
「……ッ」
音が、消える。
ディーンの顔から、あらゆる表情が抜け落ちる。
今度こそ白目を剥いて、――ぐしゃあ、と膝から崩れ落ちた。
***
その後のことは、クロニクルも実はよく覚えていない。
石畳の上に蹲ったまま動かないディーンを、風邪を引くからと説得し、やっとの思いで温かな部屋まで連れてきた。
はあ、はあ、とディーンの息が乱れている。
胸の真ん中に、何か重いものが詰まったように浅い呼吸を繰り返している。
「師団長、温かい物でも飲んで、気持ちを落ち着けてください」
ホットミルクを手渡して、肩に毛布を掛けてあげる。
バルコニーから引き上げた水盤は、部屋の壁に立てかけており、ディーンはそれを虚ろな瞳で見つめていた。
「なぜだろう」
小さな子どものように膝を抱えて、ディーンが俯きがちに呟いた。
「なぜこんなにも、胸が苦しい?」
くるまった毛布の角を目に当てて、じっと何かに耐えている。
「忠誠心のせいだろうか。レティシア様への忠誠心が限界を超えて……」
「師団長、さっきから何を言ってるんですか」
駄目だ。本当にこの人は、自分の気持ちを何も分かっちゃいない。
クロニクルが、深い溜息をついた。
幼い頃から、レティシアの近くに居すぎたせいかもしれない。
「愛する人が、別の男にキスをしたからですよ」
ハッキリ言ってやらないと、きっと一生気付かない。
ビクッと身体を揺らし、ディーンが恐る恐る顔を上げた。
「……愛する人?」
「そうです。師団長、レティシア様にベタ惚れじゃないですか」
「は? ボクがレティシア様を?」
何を言ってるんだお前は、とディーンが呆れ果てている。
だがクロニクルはもう一度溜息をついてから、「いい加減、認めてください」ときっぱりディーンに言い切った。
「ボクがレティシア様を、愛している……?」
「だからそうですって。まったく、気付くのが遅すぎです。……師団長以外の全員が、知ってましたよ」
仕方ない人ですね、とクロニクルが優しい笑みを浮かべる。
ホットミルクのおかわりを作る姿は、お母さんそのものだ。
こんなにも性格が良く、シゴデキで面倒見もいいのに……レティシアとディーンの世話で忙しすぎて、恋人すらいなかった。
「……クロニクル」
「はい」
「明日、レティシア様を迎えに行ってもいいかな?」
良かった。
少し、すっきりとした顔をしている。
これできっと、大丈夫だ。
「二日くらいで帰ってくるから」
「……ダメです」
絶対に、ダメです。
***
「はぁはぁ……この程度で諦めるボクではない!!」
起き上がったディーンは、乱れた髪をかき上げながら朝日に吠えた。
「戻ってきたら、今まで以上に仕事すると誓う。休みも減らすし、街も壊さない!」
「師団長、レティシア様を迎えに行くのは、駄目だと言ったはずです」
それでもなお強行しようとするディーンに、クロニクルが追いすがる。
「それに元気なお姿を確認できたじゃないですか。七歳の頃から魔法師団で過ごし、お休みらしいお休みもないまま、ここまでずっと来たんです。もう少し自由にさせてあげましょう」
「……」
「時が経てば、きっと戻ってきてくださいます。だから今は連れ戻すのではなく、レティシア様のために頑張りましょう!」
言った先から振り払われた。
昨日の説得はなんだったんだ。
ディーンは螺旋階段を駆け上がって、魔塔の屋上へ出た。
風が吹き荒れ、着ているローブがバタバタと音を立てて激しくはためいている。
「仕事が山のように溜まっているんです! 書類が! 未決の案件が! 魔獣討伐の後始末が!!」
血を吐くようなクロニクルの叫びも、もはや彼には届かない。
ディーンはそのまま手すりに立ち、ふわりと魔塔の外へ飛び出した。
「師団長ッ!」
ディーンは振り返らなかった。
南に位置する、トルティア王国へ向かって、一直線に飛んでいく。
その背中が、みるみる小さくなって、――やがて点になってに消えた。
昨夜も、そして今日もディーンに振り回され、一人残されたクロニクルは、あまりのショックにしばらく動けなかった。
「……レティシア様、どうかお願いです」
胃が、じくりと痛む。
ゆっくりと膝が崩れ、冷たい石畳に手をついた。
「どうか師団長に、相応の報いを……!!」
喉奥から絞り出すような慟哭は、雲一つない青々とした空に消えていった。