作品タイトル不明
29.幼女の『そこはかとない』日常を覗き見する会~邂逅~
魔法国の中心に、その塔は静かにそびえている。
鋭く尖った頂は天を衝くほどに高く、漆黒の塔身には古の魔法文字が幾重にも刻まれていた。
遠くからでも一目でそれと分かる魔塔は、魔法国に住まう魔法師達の憧れの場所であり、選ばれた者だけが足を踏み入れることを許される頂きでもある。
そして今宵、その魔塔に、複数の怒声が響き渡っていた。
「これ以上、待てるか!!」
魔法師団長ディーンは執務室の窓枠に両手をついて、血反吐を吐く勢いで、喚き散らした。
「師団長権限で粛清されたいのか!? あまりボクを怒らせるなよ!!」
執務机の上には未決の書類が山をなし、ストレスが溜まりすぎて限界間近なのか、羽ペンは三本噛み折られている。
「師団長、落ち着いてください!」
真後ろに控えていたマッチョの騎士が、立ち上がろうとしたディーンの両肩をガッと掴んで、すぐさま座らせる。
いつも物ぐさをして干上がっているはずのインク壺には、いついかなる時も困らないよう、今や並々と黒インクが注がれていた。
「黙れクロニクル!」
「ごふッ」
さらなる逃走を阻止すべくクロニクルが抑え込んだ拍子に、ディーンの肘が直撃した。
鳩尾を両手で押さえながら、クロニクルが苦しそうに息をする。
「こ、これ以上は、私の胃がもちません……」
レティシアがいなくなったこの一ヶ月で、彼の胃はすっかり限界を迎えていた。
毎朝目が覚めるたびに「レティシア様が戻ってきますように」と祈り、毎晩床につくたびに「明日こそは戻ってきますように」と念じ続ける。
それはもう筆舌に尽くしがたい、壮絶な一ヶ月だった。
「お前の胃なんぞ、どうでもいい! レティシア様がいなくなってもう一か月だぞ!?」
「……ヴェリアル様から『探すな』とご伝言を頂いたではないですか。レティシア様ご本人のご意向にお任せするのだと、魔法師団内でも決を採ったはずです」
「そんなもの、記憶にないな。ボクは十分待った!」
ディーンは振り返り、クロニクルの胸倉を両手で掴んだ。
ガクガクと力の限り揺さぶり、行き場のない怒りをクロニクルに丸ごとぶつける。
危険人物そのままに、目は血走り、まるで絶食後のようにゲソリと頬が痩けている。
魔法国特産の防護布でできたローブは、形状記憶とシワ防止加工がされているにも関わらず、ぐっしゃぐしゃに乱れていた。
一ヶ月前であれば、それなりに整った顔立ちをしていたディーンだが、レティシアがいなくなってからは坂を転がり落ちるように、身心ともに荒れていった。
今となっては見る影もない。
「一ヶ月だぞ!? このボクが、一ヶ月も大人しく待っていたんだぞ!? それでもまだ戻らないというのなら、もはや動くしかないだろうがぁッ!!」
「だ、駄目だ、禁断症状が出始めている……」
クロニクルは青い顔で呟いた。もはや理屈が通る状態ではなくなっている。
「ですが師団長、レティシア様の居場所はまだ解析中です。闇雲に探したところで、時間を無駄にするだけです!」
「本気でそう思っているのか? だからお前はダメなんだ」
ぞっとするほど静かに笑い、ディーンは魔力で紡がれた細い糸のようなものを、するすると手繰り寄せた。
「レティシア様の伝言を水盤で届けたきり、ヴェリアル様のお姿が見えないのをおかしいと思わなかったのか?」
「確かに最近見かけないとは思っていましたが……」
「口では何と言おうと、ヴェリアル様はレティシア様が大好きだ。となれば一緒にいるに決まってるだろうが」
レティシア様は難しくても、隙だらけの聖獣であれば……。
魔力残滓をかき集め、ついにたどり着いたのだ。
「居場所はもう分かっている。本日は奇しくも、魔力が高まる満月の日。どうだクロニクル、レティシア様のご様子を、ともに覗き見しようじゃないか!」
……そんなこんなで、レティシアの『そこはかとない』日常を覗き見する会が始まった。
魔塔の最上階に設けられたバルコニーは、夜風が吹き抜けるたびに、刻まれた魔法文字が微かに光る。
月光を受けて淡い光を発するその中央には、銀の水盤が据えられていた。
縁ギリギリまで満たされた水面には、満月が丸く映り込み、鏡のように凪いでいる。
「見よ、クロニクル」
ディーンは水盤の前に立ち、両手で縁を掴みながら食い入るように覗き込んだ。
「この魔法が何か分かるか?」
「先日ヴェリアル様と使った、通信魔法にも見えますが……」
「お前は何も分かっていない。そんな、古びた既存魔法と一緒にするな」
芝居がかった口調でそう告げる。
続けて飴色の滴をぽたぽたと、水面に二滴たらした。
「閲覧可能期間は、過去二日分。さらに今回開発した新魔法により、ダイジェストを――レティシア様の注目すべきシーンだけを、凝縮して見ることができる」
閲覧可能期間は、過去二日分?
しばしの沈黙の後、クロニクルは数秒かけて、その言葉を咀嚼した。
「レティシア様がいなくなってから、早一ヶ月。激務の傍ら、すべての時間を使って開発した新魔法だ」
「……えぇぇ」
クロニクルが、心底嫌そうに距離を取る。
「何ですかその魔法。気持ち悪いです」
「……黙れ」
「激務の傍ら、すべての時間を使って……? この一ヶ月どれだけの時間を無駄にしたんですか? まさかいまいち書類が片付かないのはそのせいですか!?」
「うるさい、黙れ」
ディーンの執務机には現在、未決案件が山積みになってる。
こんなしょうもない魔法開発してるからですよ!? と珍しくクロニクルが反発するが、ディーンが聞く耳を持つ様子はまったくない。
「仕事をサボって何をしてるかと思ったら……」
クロニクルは諦め心地で目を細め、水盤と師団長を交互に見た。
「完全に、ストーカーじゃないですか」
「黙――」
「いや、黙りませんよ? これは言います。レティシア様を敬愛する魔法師団のナンバー2として、ボクは言わなければならない。師団長、これは駄目です。倫理的に駄目です。いちファンとしても看過できません。人として一線を越えています」
「うるさい!! クロニクルめ……優秀そうに見えても、所詮は叩き上げの平民だな。この崇高な精神は常人には理解できないのだ。さてまずは昨日のレティシア様から――」
『そこはかとない』日常を覗き見する会、開幕である。
バルコニーの空気が圧縮するほどの魔力を練り上げ、ディーンは魔法式を起動した。
ふざけたことばかりしていても、魔法国有数の実力者。
水面が揺れ、霧がもわもわと立ち昇る。
二日前のダイジェストが宙を埋め尽くし、時間を切り取るかのように、映像が結ばれていく。
歓喜の声とともにその一つを指で再生し、――ディーンの動きが止まった。
「……は?」
映し出されていたのは、小さな女の子だった。
つやつやした頬に、透き通った紫色の……くりくりとした、大きな目。
信じられないほど愛らしく、整った顔立ち。
歳の頃は三つか四つだろうか。
天使と見紛うばかりの幼女が、一生懸命クッキーを摘まんでいる。
「な、なんだこの……おおおお姿は…………ッツ」
指が短いから、上手く掴めない。
たまにつるんと滑っている。
口が小さいから、ちょっとずつしか食べられない。
一ヶ月ぶりに見るレティシアは、――推定年齢三歳の、超絶美幼女だった。