作品タイトル不明
24. さいしょからそのつもりだった
あの夜は一体何だったのか……?
随分とリアルだったが、あれ以降一度として同じことはなかった。
「疲れが溜まっているのかもしれんな」
執務室で書類を片付けていたロイドは、ふと窓の外に目をやり、動きを止めた。
金の髪に、紫の瞳。
見覚えのあるその女性は、大きな布を体に巻き付け、人目を避けるようにして屋敷を横切っていく。
その動きは、不審者そのもの。
どう見ても庭仕事をする格好ではなく、かといってエルマに招かれた客でもなさそうだ。
やはり夢じゃなかったのか……?
ロイドは即座に立ち上がり、そのまま部屋を飛び出した。
だが駆けつけた時には、美女の姿は陽炎のように消えている。
少し先の庭園にいたのは、アリエッタと、しゃがんで花を摘むレティシアだった。
レティシアが顔を上げ、白い花を差し出してくる。
「ろいど、おはな」
「……ああ、綺麗だな。ありがとう」
何事もなかったように受け取りながら、ロイドは庭の隅々まで視線を走らせる。
白昼夢でも見たのだろうか。
奥まった場所のはずなのに、先ほどの女性は影も形も見当たらなかった。
***
それから、数日後。
いつものようにアリエッタに手を引かれ、レティシアはロイドの執務室へ向かっていた。
顔を出せばレティシアを膝に乗せ、菓子を出してくれる。
ロイドが屋敷にいる時は、それが当たり前になっており、レティシアは毎日楽しみにしていた。
だが扉の前まで来たところで、何故だかアリエッタがノックする手を止めた。
中から話し声が聞こえてくる。ロイドと執事だ。
「たかが数回しか会っていない女性のことが、一日中頭を離れないことはあるか?」
「お相手が妙齢の女性でしたら、そのお気持ちは止められないかもしれません。旦那様の性格上、お気持ちのない女性に繰り返し会うとは思えませんので」
「いや、会ったのは偶然のようなものなのだが……」
「意図せぬ出会いであれば、なおさらです」
そんなものだろうか、と戸惑うロイド。執事が慎重に答えを返していく。
どうやら、レティシアが聞くべき内容ではないようだった。
「レティ様は素晴らしい方だと存じますが、まだまだ幼く、妻としての務めは難しいでしょう」
これ以上は聞かせるべきではないと判断し、アリエッタが慌ててレティシアの手を引いた。
でもレティシアはそれを拒否し、扉に耳を付ける。
「もし女性へのお気持ちが変わらないようであれば、別邸にお迎えするという方法もございます」
「いや、そういうわけでは……」
「歴代辺境伯の中には、本妻の他に愛人を囲っていた方も多くいます。そもそも政略結婚の多い貴族社会では、そう珍しいことでもありません」
ロイドが何か言いかけたところで、アリエッタがついにレティシアを扉から引き剥がし、二人は来た道を、静かに戻った。
廊下の角を曲がったところで、アリエッタがレティシアの前にしゃがみこむ。
「レティ様……」
「うん、きこえていた。すうかいあっただけで、ひとは、こいにおちるのだな」
自分のことだろうかと、一瞬期待してしまった。
なんて浅はかな考えだ。レティシアが大人の姿で会ったのは、一度きり。
ロイドには胸に秘めた相手がすでにいたのだ。
幼女の姿で大切にされるうち、そんなことすら思い至らない、愚か者になってしまったようだ。
「レティ様、その……叶うならば大人のお姿で、一度お話をしたほうが……」
「いや、ひつようない」
あれだけの男だ、言い寄る女性は少なくないはず。
「ですがきっと、レティ様のことをとても大切に――」
「ありえった、だいじょうぶだ。ちゃんとわかっている」
そもそもこんな三歳児が、辺境伯の妻になること自体が、おかしな話だったのだ。
それなのにアリエッタは、レティシアを傷つけまいと目を潤ませながら、懸命に言葉を選んでくれている。
「まりょくがかいふくし、おとなにもどったら、どのみちかえるつもりだった」
「そんな……」
「さいしょからそのつもりだった」
その想いは、今も変わらない。
ここは敵国で、レティシアは魔法帝で、ロイドはトルティア王国の将軍だ。
そんなことは最初から分かっていたことだ。
「……レティ様」
「ろいどのじゃまをするきは、ない」
あいつはいい奴だ。あの男が幸せになるなら、それでいい。
嘘ではない。本当にそう思っている。
ただ、少し寂しいだけ。
心の端っこに過ぎった感情は、さすがに言葉にできなかった。
「おかしをたべるきぶんじゃない。ありえった、へやにもどろう」
「……はい」
失った魔力は穏やかな生活とともに日々戻り、七割がた身体を満たしている。
ここらが、ちょうどいい潮時だろう。