作品タイトル不明
22. 侍女アリエッタは、見た。
(SIDE:アリエッタ)
深夜にも拘わらず、ドタドタと廊下を駆ける足音でアリエッタは目覚めた。
一体何事だろう。
怯えたようにそっと身を起こす。
暗がりの中、部屋の隅に何者かの気配を感じる。
ゆっくりと視線を向けて、――アリエッタはぎくりと動きを止めた。
半開きのカーテンから差し込む月明かりを背に、息を呑むほどの美女が立っている。
金の髪がゆるりと肩に流れ落ち、紫の瞳はしっとりと艶めきながらアリエッタを映し込んでいる。
上気した頬は薄桃色に染まり、乱れた吐息は煽情的で、夜の営みを想起させるほどに艶めかしい。
すらりと伸びた足は剥き出しになっており、シャツだろうか、薄地の布が、その肢体をなめらかに象っていた。
つまりは見たこともないほどの、絶世の美女。
そして問題は、鍵をかけたはずのアリエッタの部屋に、男物のシャツ一枚で立っていることだった。
「ええと……どなた、でしょうか……!?」
恐る恐る問いかけた次の瞬間、アリエッタの視線がシャツの胸ポケットで止まった。
辺境伯家の紋章が控えめに刺繍されている。
真夜中、妙齢の美女、男物のシャツ、剥き出しの脚。
アリエッタの頭の中を、多すぎる情報が巡っていく。
衣服をはぎ取られ、落ちていたシャツを何とかして羽織り、必死で逃げてきたのだ。
セシリオ辺境伯、――つまりロイドから。
ぱちり、ぱちりと瞬きをして、アリエッタは断片的に理解した。
「まさか旦那様が、ご無体を!?」
あのロイドが、女性を手籠めにしようとするとは。
でもそれも仕方ないと思えるほどに、目の前の女性は美しかった。
駄目だ、こうしてはいられない。
逃げてきたということは、追手がこの部屋に辿り着くのも、もはや時間の問題だ。
アリエッタは跳ね起きるなり、音も立てず扉に駆け寄り、確実に施錠されていることを確かめた。
よし、これですぐには入ってこられない。
これだけの女性だ。
男性なら誰しも、心惹かれるに決まっている。
だとしても。
アリエッタはやるせない思いで、グッと唇を噛みしめた。
よりによって、レティ様がいる邸内に女性を連れ込むなんて――!!
ふつふつと怒りが湧き上がる。
心細げにアリエッタを見つめる美女と目が合い、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。セシリオ前辺境伯閣下も、同じ屋敷にいらっしゃいます。今は隠居されて、奥様とのんびりお過ごしですが、閣下は大変に公平な方。決して悪いようには――」
まだ説明が終わらないうちから、ドンドン、と乱暴に扉を叩く音がした。
「アリエッタ、いるのだろう。開けろ」
「ひぃッ」
怒気を孕んだ声は、紛れもなくロイドのもの。
アリエッタは小さく声を上げ、扉と美女を交互に見た。
恐怖でアリエッタの全身がわなわなと震えている。
それでも彼女は、レティシアを差し出そうとはしなかった。
「アリエッタ、大丈夫だ」
「……え?」
緊張感あふれるこの場面で、突然美女に名前を呼ばれ、アリエッタは戸惑った。
なぜ自分のことを知っているのか。
どこかで会ったことがあれば、この容姿である。忘れるはずがない。
訝しげに美女を見遣れば、何やら申し訳なさそうにポリポリ頭を搔いている。
外見に似合わない、どこか男性のような仕草にまた驚いて、アリエッタは美女をまじまじと見つめた。
「いや……すまなかった。襲われたわけじゃない」
美女は首を振り、乱れた息を整えながら言葉を続ける。
「服を貸してもらおうと思っただけなんだ。迷惑をかけるつもりはないから、すぐに出ていく」
落ち着いた、優しい声でそう告げる。
深窓のご令嬢のようなのに、話し方は男性みたいだ。
だがこの恰好でいさせるわけにはいかない。
アリエッタは「こちらです!」と美女の手を引き、慌てて衣装棚へ向かう。
当たり前のことだが、屋敷の全部屋には合い鍵がある。
ロイドが本気で部屋を開ける気なら、合い鍵を使えば済む話。
どれほど内鍵を掛けたとしても意味はない。
ドン、またドアが叩かれる。
返ってこないアリエッタの返事に苛立ったように、今度は一回だけ。
「アリエッタ、起きているのだろう? ――ここに女が入っていくところを見た」
扉の向こうから、ロイドの声が聞こえる。怒気がにじんでいる。
「匿うつもりなら、力尽くで開けさせてもらう」
「ひぇッ」
それはそれは恐ろしい声に、アリエッタは口元で小さく悲鳴を上げ、……だが内鍵を開けることなく美女の手を引いた。
「は、早くこちらへ! 何かお召し物を……ッ」
震える手で衣装棚を開け、手近なものを掴んで振り返る。
貴族女性が着るには粗末だが、それでもこの恰好でいるよりは何倍もいい。
その瞬間だった。
着替えさせるべく触れた美女の腕が、驚くほどの熱を放ったことに驚いて、アリエッタは手を引っ込めた。
「ぐ……うぅ……」
「あの、どうされました!? 大丈夫ですか!?」
燃え上がるように熱くなる、美女の身体。
それに呼応するように頭を押さえ、美女が小さく呻き声を上げる。
視界が定まらないのだろうか、酩酊したようにぐらりと揺れ――。
「……?」
次の瞬間、アリエッタの目の前で、その身体がみるみる縮んでいく。
腰元まで波打っていた金の髪が短くなり、手足もまた細く、短く――?
気付けばそこには、幼女レティシア。
床にペタリとしゃがみ込み、はぁはぁと苦しげに肩で息を吐きながら、小さな胸を押さえている。
「――え?」
もう何度驚いたかも分からない。
だが今宵一番の衝撃とともに、アリエッタが動きを止めた。
「レティ様……?」
ドン、とまたしても扉が叩かれる。
ロイドの呼びかけはついになくなり、ゴキッと音がして、ドアノブを力尽くで回す音がした。
施錠されているのにも関わらず、無理やり回したのだ。
どうしよう、部屋に入ってきてしまう。子ども服も置いていない。
アリエッタは咄嗟に動いた。
レティシアを抱えて、自分が寝ていたシーツを掴むなり、幼女レティシアをふわりとくるんだ。
「少しだけ、我慢してくださいね」
腕に閉じ込めるように、それからギュッと抱きしめる。
「アリエッタ、……返事をしろ。先ほど金髪の女が来たはずだ」
ギギ、と鈍い音を立てて、扉が開いていく。
これ以上ないほど眉を寄せ、魔王のような形相で、ロイドが部屋に踏み込んでくる。
「レティがいなくなった。行方を知っているはずだ」
喜怒哀楽を殆ど外に出さないロイドが、怒りに満ちた目でアリエッタを糾弾する。
美女が幼女だった、これはレティ様だと、自分の口から説明すべきだろうか。
場が混乱するだけで、何の解決にもならなそうだ。
ロイドの怒りは収まる様子がない。
目が覚めたら愛する妻の姿がなく、なぜか見知らぬ美女がいる。
連れ去られたと思ったのかもしれない。
だがロイドだけではない、アリエッタだって、幼女になる一部始終を見て混乱している。
連れ去ってなどいない。だって同一人物なのだから。
「あ、あの、失礼ですが……いらっしゃったのは、レティ様です」
「お前は何を言っている? ……庇い立ては許さんぞ」
きっと、止むにやまれぬ事情があるのだ。
専属侍女として、何としても守り通さねば。
アリエッタは恐怖に身を震わせながら、それでも一歩も引かずにロイドを見上げた。