作品タイトル不明
18. セシリオ辺境伯家の押しかけペット
帰宅後すぐ、レティシアはロイドの膝の上にいた。
――相変わらず機密書類が見放題。
レティシアはお絵描き用の羊皮紙に落書きをしながら、横目でその書類を盗み見る。
通商条約の草案、のようだ。
自国内での魔石充足が難しいため、複数国で取り決めをし、輸入することにしたらしい。
……ん?
『第七条。魔石の輸出上限について』
とある記載を見咎め、レティシアは身を乗り出した。
数字と単位が、巧妙にずれている。
一見すると問題ないように見えるが、よく読めば特定の国が際限なく買い増しできる抜け穴があった。
意図的か、それとも単純なる誤表記か。
どちらにせよ、このまま締結すれば後々面倒なことになる。
こういう時、幼児の身体は不便だな。
教えてあげたいのは山々だが、如何せん設定は文字が読めない三歳児。
だが放っておくにはインパクトが大きい。
レティシアはおもむろに、ロイドが持っていた条約書類へ、ぺたりと手を伸ばした。
ロイドの制止を無視し、書類をずるずると引き寄せる。
「レティ、それは触っては――」
「ここでかきたい」
先ほどまで落書きしていた羊皮紙を、書類の上に広げた。
普段我儘を言わないレティシアが珍しく要望を口にしたためか、ロイドは止めようと伸ばした手を所在なく宙に彷徨わせる。
馬鹿だな。我儘など放っておいて、さっさと取り上げてしまえばいいのに。
レティシアは口元を綻ばせ、重ねた羊皮紙にグルリと大きな円を描いた。
勿論、鼻唄も忘れない。
続けて羊皮紙にぐるぐると小さな丸を書いていき、つるんとはみ出たふりをして、書類の第七条に丸をした。
「あっ、こら」
さすがに注意する声が頭の上で聞こえるが、知ったことではない。
レティシアは再び書類に視線を落とし、またぐるぐると丸を書いた。
今後は問題個所が目に留まるように。でもやり過ぎないように。
「……?」
ロイドが、静かに書類を手に取った。
第七条。数字と単位。もう一度、ゆっくりと読む。
続く条文をしばらく眺めて、眉根を寄せた。
「……これは?」
ロイドの声がピンと張り詰める。
レティシアの手の下から書類を抜き出し、ゆっくりとページを遡っていく。
長い沈黙とともに、丁寧に読み直しているところを見ると、問題の箇所に無事気付けたようだ。
良かった良かったとレティシアは安堵の息を吐き、自分が描いた羊皮紙の絵を、満足げに天井へかざした。
「ろいど、あたらしいかみ、ほしい」
「ああ、そうだな。今持ってこさせよう」
レティシアはすっかり興味を失ったような顔で、少しだけ開いていた余白に、今度はネコを書いてみる。
ほどなくして羊皮紙の片隅に、――不細工なネコの絵が完成した。
***
(ヴェリアル……ヴェリアル、いるか?)
ロイドのいないタイミングを見計らって、ヴェリアルを呼ぶ。
従属契約をしているため、相手の魔力さえ検知できれば、いつでも傍に呼び出せるはず。
目論見通り、ぽん、弾けるような小気味良いと音とともに、ぶさねこヴェリアルが現れた。
(それにしても、なんだその不細工な姿は)
《うるさい! 従属獣は主に引きずられると知らんのか!? お前のせいだ。お前がいつまでも幼児のままでいるからだ。あげく吾輩の魔力を奪いおって……悪魔か貴様は!?》
(この程度の魔力で、か? 聖獣様のくせに情けないことだ)
《根こそぎ奪ったのはお前だろうがッ!》
ぷりぷりしながら怒るヴェリアルを放置して、レティシアは思考を巡らせる。
自分がいなくなった後、魔法国の運営に必要な業務が滞ってはいないか。
頻出する魔獣達が、街に出て悪さをしていないか。
挙げれば枚挙に暇はなく、心配の種は尽きないのだ。
(それで、魔法国はどうなっている?)
《国中パニックだ。幼児のままでいいから、早く帰ってこい。ディーンが暴走している》
(だろうな。魔法国にいても定期的に構ってやらないと、騒ぎ出す男だ)
ため息しか出ないが、今できることは何もない。
(クロニクルに任せるしかないが……ディーンのおもりは大変だろうな)
落ちてきたメガネを人差し指で押し上げながら、いつもキリキリと胃を痛めているクロニクルが目に浮かぶ。
ディーン起因の面倒ごとをいつも一手に引き受ける、誠実で使い勝手のいい副師団長だ。
《魔法師団に、何か伝言はあるか?》
(もうじき魔力が戻る。自力で帰るから、探さなくていいとディーンに伝えておけ)
《……あの男はどうするつもりだ?》
(あの男?)
《とぼけるな。幼女のお前を妻だと宣言した、頭のアレなあの将軍だ。よもや魔法帝だとバレてないだろうな!?》
(バレてるわけがないだろう。魔法国の皆には、まだ何も伝えるなよ)
面倒くさいことになるからな、と独り言ち、ヴェリアルから奪った魔力を練り上げて、指先から魔石を作り出した。
国によっては金の何倍もの価格で取引されることもある。
だが魔石の流通力は極めて少なく、たまに魔獣の死体から見つかる程度。
その価値は極めて高いが、魔力量の多い者なら自力で錬成できるという事実は、ほとんど知られていない。
「分かったら行け」
虫でも追い払うようにひらひらと手を振り、レティシアは錬成したばかりの魔石をヴェリアルに与えた。
ぽん、とまた音がして……ヴェリアルの姿が消える。
無事でいると知れば騒ぐこともないだろう。
心の仕えはすべてなくなり、あとは魔力を戻すだけ。
改めて認識した、その二時間後。
――夕食前のことだった。
部屋でぼんやりしていたレティシアの目の前で、だらりとヴェリアルが寝転んでいる。
(……おい、伝言はどうした)
《すぐ傍に綺麗な泉を見つけた。魔塔にある水盤を通して送ったから、もう済んだ》
(ほぅ? さすがヴェリアル、仕事が早い。それは何よりだが、なぜここにいる?)
《お前に何かあったら、魔法国は一大事だからな。護衛もかねて、傍にいてやる。あの男がどれだけ危険か知らぬわけではあるまい。配下の騎士達が負傷しても気にも留めず、三日三晩、常軌を逸したように剣を振り続けるようなヤツだぞ?》
そんな危険な男を野放しにするわけにはいかない、ということのようだ。
(噂は噂だ。配下を見捨てるタイプの男ではないし、良識もある。気にし過ぎだ)
《お前、ちょっとおかしいぞ? 敵国の将軍を庇うなんて……すでに相当毒されてるじゃないか! なんて計算高い男なんだ……よもや魔法帝を篭絡するとは。心配したとおりだ》
(で? 本当は何をしに戻ってきたんだ?)
《……腹ごしらえがしたい》
最小限の動きで魔法国への伝言を済ませ、すぐさま戻ってきたヴェリアル。
本当の目的は、セシリオ辺境伯家の豪華ディナーであるらしい。
《食糧庫に、なんと魚の干物があった。それも滅多に手に入らない、トビウオだ。ここの料理長はなかなかセンスがいい。今夜はあれを出せ。無理なら新鮮な鶏肉でもいい》
(お前、ここのメシが食いたいだけだろう?)
《……》
(まあいい。聞くだけ聞いてみるが、ダメならすぐに魔法国へ帰るんだぞ?)
《……》
今日だけだからな? と念を押し、レティシアは小さく息を吐く。
そして夕食のお迎えに来てくれたロイドに、拾ったネコに餌をあげてもいいか聞いてみた。
今日だけでいい。ダメならダメで、それでもいい。
ご飯を抜いたところで死にはしないし、ダメならすぐに帰国してもらえばいいだけだ。
そんなことを考えていたのだが、思っていた以上にロイドはレティシアに甘かった。
「ん? 別に構わないが……今日だけでいいのか?」
「うん」
「では同じ部屋で過ごせるよう、アリエッタに伝えておこう」
「ごはんも、おいしいやつ」
「分かった。ネコ用の特別メニューを、用意しておこう。名前は決まったのか?」
「ヴぇりある」
「…………そうか」
最後は若干間があったが、かくしてヴェリアルは一日限定、セシリオ辺境伯家のペットになったのである。