作品タイトル不明
12. 魔法帝、眠れない
魔法帝時代の自分を思い起こし、ロイドの隣をよちよちと歩いていると、廊下の角から子供たちが数名飛び込んでくる。
「あッ!?」
ロイドの姿を認めた次の瞬間、元気よく駆けていた先頭の少年がつるりと足を滑らせ、盛大にすっ転んだ。
「ぎゃあぁぁッ」
「ももも申し訳ありませんッ」
悲鳴とともに、庭先や廊下にいた子ども達が、瞬く間に姿を消した。
冷血将軍の名が囁かれ、柱や植木の陰から、じっとこちらを窺っている。
「大丈夫か?」
ロイドが手を差し伸べるが、転んだ少年は逃げ遅れてへたり込む。
返事すら出来ずに、ガクガクと足を震わせている。
……これはひどい。
だがいつものことなのだろう。
気にする様子もなく、ロイドは平然と院長室へと向かっていく。
こぢんまりとした部屋をノックするなり、初老の男が笑顔で二人を出迎えた。
「おかげで今年も、子ども達が温かい冬を越せそうです。毎月、匿名でのご寄付……本当に、ありがとうございます」
「そうか」
白髪まじりの髪を背に束ねた院長が、丁寧に頭を下げる。
匿名での寄付?
来客用のカップを受け取るなり、レティシアの耳がぴくりと動く。
「その子も孤児ですかな? わずかですが定員に空きがございます」
「いや、大切な人を手放すつもりはない」
ぶは、と生暖かい水がレティシアの口から噴き出し、院長の目がまるまると開かれた。
ロイドは何事もなかったように、レティシアの口元をハンカチで拭う。
夕暮れに染まるミネルヴァの街は、豊かで、穏やかで、人々が幸せそうに笑っている。
出会ってこの方おかしな発言も目立つが、民の声に耳を傾け、匿名で寄付をし、子ども達に怯えられても咎めるでもなく平然としている。
差し込む夕日を頬に受け、ロイドは相変わらずの無表情で、遊ぶ子ども達を眺めていた。
***
アリエッタにピカピカに磨かれ、寝間着に着替えさせてもらう。
そのままロイドに抱き上げられ、レティシアは寝室へと向かった。
美味しいご飯でお腹を満たし、今日も大満足。
寝室に入るなり、そっと下に降ろされる。
そのままベッドへダイビングしようとしたところで、レティシアの足がぴたりと止まった。
枕元に、何かが置いてある。
なんだか見覚えのあるシルエット。
丸く、茶色く、ぽってりとした小さな耳。
つぶらな黒い瞳がじっとレティシアを見上げ、おいでと誘っている。
「……ッ」
露店で見たクマのぬいぐるみ。
もう、二度と会うことはないと思っていたのに。
弾かれたようにバッとロイドを振り返ると、腕組みをしたまま壁に凭れ、ただじっとレティシアを見つめていた。
「気に入らなければ捨てていい」
素っ気ない物言い。それ以上、何も言わない。
「~~ッ、……ッ……」
そろそろと近付き、恐る恐る、指先でぬいぐるみの耳に触れてみる。
ふかり、と指先が沈んだ。
な、なんだこれは!?
柔らかすぎる。
想像よりも、ずっとずっと柔らかかった。
レティシアよりも一回りほど小さい……抱き心地の良いぬいぐるみ。
両手でそっと持ち上げてみると、心地良い重さが手のひらに伝わってくる。
つぶらな黒い瞳がこちらを見てきた。
艶々として、どこかロイドの目に似ている。
「かわいい!」
「……そうか」
力いっぱい抱きしめれば、もふりと顔が沈み込む。
ふかふかの毛並みが頬に触れ、柔らかなお日様の匂いが鼻腔をくすぐる。
「ロイド」
「ん?」
「…………ありがと」
なんとなく顔を上げる気にはなれず、ぬいぐるみに顔を埋めたまま、くぐもった声で礼を言う。
衣擦れの音がして、次の瞬間、レティシアの身体が宙に浮いた。
クマのぬいぐるみを間に挟むようにして見下ろせば、初夜にしてレティシアが『きれい』と宣ったロイドの双眸が、覗き込むように自分へ向けられている。
どさりとベッドに腰かけるなり、ロイドはレティシアを膝の上に乗せた。
大きな手でそっと頭の上に触れ、ゆっくり、優しく撫でてくれる。
「……ッ」
認めよう。
甘やかされている。子ども扱いされている。
――大切に、されているのだ。
胸の奥がじんわりと温かくなって、無性に嬉しい気持ちになる。
気付いたらレティシアは、ロイドの首にぎゅうっと……衝動的に、抱き着いていた。
「うれしい」
いつもは微動だにしないロイドが、この時ばかりは身を固くし、息を呑むのが分かった。
「……ありがと」
小さな声で、もう一度。
レティシアもまたロイドの首元に顔を埋めたまま、どうしても顔が上げられない。
「愛する妻のためだからな」
返ってきた答えにギョッとして身体を離すと、今まで見たことのない柔らかな顔で、ロイドの口元が綻んでいた。
あ、あれ……?
たったそれだけのことなのに、レティシアはなぜか息ができなくなってしまう。
顔が熱い。鼓動が、うるさい。
久しぶりの外出に疲れて、風邪を引いたのだろうか。
レティシアはトルティア王国に来て初めての、眠れぬ夜を過ごしたのだ。