軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第22話 縋る男

ロイド侯爵家を衣服一枚で叩き出されたウィリアムが辿り着いたのは、実家であるラヴァル伯爵家のタウンハウスだった。

「兄上! オリビエ兄上! 頼みます、中に、中に入れてください……!」

門衛に突き飛ばされ、泥水に塗れながらも、ウィリアムは必死に声を張り上げた。

パトリシアに裏切られ、最愛だと思っていた我が子・リチャードが自分ではなく「誰か」の血を引いていると告げられたあの日から、彼の世界は完全に崩壊していた。

今の彼に残された最後の蜘蛛の糸は、これまで常に自分を導き、助けてくれた「優しい兄」の存在だけだった。

重厚な扉がゆっくりと開き、現れたのは、仕立ての良い漆黒の外套を羽織った男――ラヴァル伯爵家現当主、オリビエ・ラヴァルだった。

「兄上……っ!」

ウィリアムは這い寄るようにしてオリビエの靴に縋り付こうとした。

「兄上、パトリシアが、あの女が狂ったのです! 僕を不貞だと言って屋敷から追い出し、リチャードは僕の子じゃないなんて、そんな恐ろしい嘘を……! お願いです、兄上からパトリシアに言ってください! ラヴァル家の力で、僕をあの屋敷に戻して――」

だが、ウィリアムの言葉は、オリビエの冷徹な一言によって遮られた。

「見苦しいぞ、ウィリアム」

その声は、かつて弟を甘やかしていた「優しい兄」のものではなかった。氷の刃のように冷たく、そして底知れない嫌悪に満ちた、本物の強者の声だった。

「え……?」

ウィリアムが呆然と顔を上げると、オリビエは身をかがめ、ゴミを見るような目で弟を見下ろした。

「パトリシア様が仰ったことは、すべて真実だ。お前はロイド侯爵家を不貞で汚し、我がラヴァル家に損害を与えた。すでに親族会議での決定通り、お前は我が家からも除籍され、縁を切られた。お前はもう、私の弟でも、貴族でもない」

「な、何を言って……兄上、冗談でしょう? だって、兄上はあんなにリチャードを可愛がって……あの子は僕の……」

「まだ分からないのか、この愚か者が」

オリビエの唇が、狂気的な歓喜を孕んだ三日月のように歪んだ。

「お前が離れで、あの泥棒猫の身体を貪っていたあの夜。パトリシア様の孤独を癒やし、その内に『本物の光』を灯したのは、他ならぬこの私だ」

「あ……、あ、う、嘘だ……嘘だッ!」

「お前が我が物顔で抱いていたリチャードは、私の息子だ。お前がその薄汚い不貞でパトリシア様を、ロイド侯爵家を汚したから――だから、私が代わりに、彼女を、そしてその血統を『浄化』して差し上げたのだよ」

頭をハンマーで叩き割られたような衝撃が、ウィリアムを襲った。

嘘ではない。リチャードのあの凛々しい眉、あの冷徹な黒い瞳、あの恐ろしいほどの聡明さ。すべてが、目の前で冷酷に微笑む実兄の遺伝子そのものだったのだ。

兄は自分を助けてくれていたのではない。

最初から、自分が自滅していくのを特等席で眺めながら、自分の妻も、地位も、跡継ぎも、男としての尊厳のすべてを完璧に、合法的に掠め取っていたのだ。

「ああ、ああああああッ!!」

ウィリアムは頭を掻きむしり、絶叫した。

崩壊した。彼の信じていた「優しい兄」も、「幸せな家族」も、「父親としての誇り」も、すべてが精巧に仕組まれた地獄の罠だった。

「連れて行け。我が家の門前をこれ以上汚すな」

オリビエの冷酷な命令により、ウィリアムは家令たちによって路地裏へと放り出され、伯爵家の重い扉は二度と開くことはなかった。

数日後。

王都から北へと向かう、舗装すらされていない荒涼とした街道を、一台の馬車が走っていた。馬車とは名ばかりの、屋根にボロ布を被せただけの、冷たい風が吹きさらしの荷馬車である。

その荷台の隅で、ウィリアムはガタガタと身を震わせていた。

着ているのは、平民の古着。かつての輝かしい金髪は泥と油で汚れ、貴族としての面影はどこにもない。

侯爵家からも実家の伯爵家からも追放され、王都に居場所を失ったウィリアムは、パトリシアがバレリーのためにと手配した「辺境男爵家での下働き」という憐れみの紹介状を手に、親子三人で馬車に揺られ、辺境へと移動している最中だった。

ウィリアムは膝を抱えたまま、濁った目で吐き捨てた。

「どうして!どうして、こんなことに!」

かつては「僕が守る」と甘い言葉を囁いた愛人だった。しかし、すべてを失った今、ウィリアムの胸を満たしているのは、バレリーに対する激しい「憎悪」だけだった。

二人を連れ込まなければ。バレリーとシリルに、貴族の幸せを与えようなどと考えなければ、自分は今でも、ロイド侯爵家の高貴な婿養子として、光の当たる場所にいたはずなのだ。

バレリーもまた、ウィリアムの強い希望に従って侯爵家へ行った結果、すべてを失った。彼はもう自分を優しく抱きしめてはくれない。これからの辺境での過酷な労働、そして冷え切った逃げ場のない厳しい生活が彼女を待っていた。

「母さま……お腹すいたね……」

シリルが小さく呟くが、二人の手元には、その日を繋ぐための硬い黒パンが一切れあるだけだった。

ガタゴトと、吹きさらしの馬車は容赦なく北の地獄へと進んでいく。

かつて「僕たちは何も悪いことをしていない」と、自分たちの怠惰と欲望を正当化していた男女たちは、今、自らが選んだ選択の代償を、生涯をかけて支払い続ける長い旅路へと、為す術もなく流されていくのだった。