軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話 待望の産声

嵐の吹き荒れる夜だった。

ロイド侯爵家本邸の主寝室から、張り詰めた緊張感を切り裂くようにして、高く、力強い産声が響き渡った。

「オギャーッ! オギャーッ!」

「――お生まれになりました! 元気な男児でございます!」

産婆の歓声が響いた瞬間、固唾を飲んで待機していた侍女たちが一斉に歓喜の涙を流した。

ベッドの上で、大仕事を終えてひどく消耗しながらも、パトリシアは毅然とした緑の瞳を我が子へと向けた。産婆の手によって白い産着に包まれ、差し出された小さな命。

(……ああ、この子が、私の、ロイド侯爵家のすべて)

胸を突き上げるような圧倒的な母性に、パトリシアの目から一筋の涙がこぼれ落ちる。

この子の半分には、夫を騙して宿した実兄オリビエの血が流れている。生涯消えない背徳の罪。けれど、腕の中で必死に生きようと泣く我が子を見つめるパトリシアの心に、もう迷いはなかった。この子を光の当たる玉座へ就かせるためなら、自分はどんな悪にでも手を染めてみせる。

「パトリシア! 本当によかった……!」

部屋に飛び込んできたウィリアムは、興奮で顔を真っ赤に染め、ベッドの脇に駆け寄った。

「男の子だね! 僕たちの子供だ! ロイド家の正当な跡継ぎだ……! 名前はリチャードにするんだね、素晴らしい名前だ!」

ウィリアムは本気で涙を流し、我が子の誕生を祝福していた。自分が父親になれたという全能感、そしてこれでパトリシアとの冷え切った関係も元通りになり、自分の不始末も完全に許されるのだという、おめでたい楽観に浸りきっている。

パトリシアは、夫のその涙を、ただ冷ややかに見下ろした。

貴方は父親ではない。この子の父親は――。

「――おめでとう、パトリシア様。そして、よくやったね、ウィリアム」

ウィリアムの背後から、影を纏うようにして歩み寄ってきたのは、オリビエだった。

深夜にもかかわらず、侯爵家の跡継ぎ誕生の報を受けて駆けつけたという体面で、彼はそこにいた。

「兄上!」

「ああ、ウィリアム。本当に喜ばしいことだ。ラヴァル伯爵家としても、このご嫡男の誕生を心から祝福しよう。この子は……私が命に代えても、立派な跡継ぎとして裏から支え続けると約束するよ」

オリビエの低く掠れた声に、隠しきれない狂気的な歓喜が混じる。

彼はウィリアムには見えない角度で、パトリシアと視線を交わした。その黒い瞳に宿る圧倒的な独占欲と全能感。ウィリアムが父親の真似事をしてはしゃいでいる目の前で、本物の父親であるオリビエは、自分の血を引く我が子の誕生に、仄暗い勝利の美酒を噛み締めていた。

嫡男の誕生は、ロイド侯爵家における「光と影」の境界線を、残酷なほど明確に引き裂いた。

本邸は連日、国内外の貴族からの祝いの品と手紙で溢れかえり、待望の嫡男、リチャードの健やかな成長を願う晩餐会の準備で活気に満ちていた。

その光が強くなればなるほど、庭園の隅にある離れの影は、もはや存在すら忘れられるほどに薄くなっていく。

「とうさま……」

離れの小さな部屋で、三歳のシリルが、おもちゃの木馬を握りしめたまま、寂しげにウィリアムの袖を引いた。

「とうさま、最近、お外であそばないの? シリル、とうさまとお馬さんしたい」

「……あ、あぁ、シリル。ごめんね。父様は今、ちょっと忙しいんだ」

ウィリアムはシリルの頭を撫でながらも、その目は完全に焦燥に泳いでいた。

リチャードが生まれたあの日から、屋敷の中での自分の扱いが、明らかに「用済み」のそれへと変わっていた。

これまでは、まだ「跡継ぎを産むかもしれない婿養子」としての最低限の体面があった。しかし、正当な男児が生まれた今、不貞の証拠を完璧に押さえられているウィリアムは、名ばかりの夫でしかない。

使用人たちはウィリアムの言葉を完全に無視し、パトリシアへの取次ぎさえ拒否するようになった。

そして何より、シリルの存在だ。

リチャードという「完璧な光」が誕生したことで、別の女に産ませた「日陰の子」であるシリルは、もはやロイド家にとって、ただの不潔な汚点でしかなくなっていた。親族たちからも「早くあの不届きな親子を処分しろ」という圧力が強まっている。

「ウィリアム様……お疲れではございませんか?」

奥から、怯えたようにバレリーがハーブティーを持ってやってくる。彼女の目には、本邸の祝祭の空気に完全に気圧され、いつ追い出されるか分からないという絶望的な恐怖が浮かんでいた。

「バレリー……。大丈夫だ、心配いらない。僕が、シリルを必ず守るから……」

ウィリアムはバレリーを抱きしめたが、その言葉には、かつてのような根拠のない自信はひとかけらも残っていなかった。

文字すら教えてもらえないシリルと、世界中の祝福を一身に浴びて育つリチャード。

我が子の輝かしい未来を確信するパトリシアの冷徹な包囲網の中で、ウィリアムは自らの無力さと、すぐそこにまで迫っている破滅の足音に、ただガタガタと震えることしかできなかった。