作品タイトル不明
第33話 マラソンの終焉と、勘違いの勝利宣言
「がはっ……! ぜぇっ……! あ、足が……もげ、る……ッ!」
最下層のアビスに、男の悲痛な叫びと、ウィィィィンッ! という無機質なモーター音だけが虚しく響き渡っていた。
悪徳クラン『黒い毒蛇』のトップであり、Aランク探索者であるガルド。
彼は今、パンツと薄汚れたインナーシャツ一枚という、およそギルドの重鎮とは思えない情けない姿で、ログハウスの玄関へと続く『動く 石畳(キャタピラ) 』の上を必死に走り続けていた。
すでに走り始めてから三十分が経過している。
全身の筋肉は悲鳴を上げ、肺は焼け焦げるように熱い。彼のプライドを象徴していたミスリルの鎧も、数千万円の魔剣も、すべて後方の『ハイスライムの堀』へと消え去った。
『まだ走ってて草』
『Aランク探索者の体力すげえなww 普通なら五分でスライムの餌食だぞ』
『耐久配信(強制)』
『もう許してやれよwww 見てるこっちが息苦しくなってきたww』
数百万人が見守る配信のコメント欄は、同情と爆笑が入り交じったカオスな状態になっていた。
しかし、ガルドの目は完全に血走り、狂気にとらわれていた。
「俺は……俺は勝つ! この試練を乗り越えれば、最強の力が手に入るんだァァァッ!!」
もはや何と戦っているのかすら見失い、ただ目の前にある『木製のドア』だけをゴールと信じて、ハムスターのように足を回し続ける。
***
「うーん。あの野良犬、やけに元気だなぁ」
一方、サンルームでその様子をモニター(ドローン映像)で確認していたケントは、少しだけ眉をひそめていた。
彼の手元には、木と光の魔石で自作した『魔力制御パネル』が置かれている。
「ケントさん、あの人、もう三十キロくらい走ってませんか……? なんだか可哀想になってきました……」
「まぁ、泥落としのコンベアとしては、ちょっと稼働させすぎたかもしれないな。雷の魔石のバッテリー消費も激しいし、モーターの『歯車』が焼き付いちゃっても困る」
ケントはパネルの数値を指差しながら、のんびりと解説した。
「ほら、摩擦熱でコンベアの温度が上がってきてる。あそこまで一生懸命『泥』を振り落としてくれたんだし、もう靴の裏は綺麗になっただろう。……よし、エコモードに切り替えて、電源を落とそう」
ケントが、制御パネルのスイッチを『パチンッ』と切った。
――その瞬間。
ガルドの足元で猛スピードで逆回転していたキャタピラが、ガコンッ! と鈍い音を立てて『急停止』した。
「え……?」
全力疾走していたガルドの足が、急に動かなくなった地面に引っかかる。
時速二十キロ以上で走っていた人間の足元が突然ロックされれば、どうなるか。
慣性の法則に従い、ガルドの体は猛烈な勢いで前方へと投げ出された。
「あぼばぁッ!?」
ドゴォォォンッ!!
ガルドは美しい放物線を描き、ログハウスのウッドデッキに顔面から激突。そのままズザーッ! と滑り込み、ついに目標であった『玄関のドア』の目の前でピタリと停止した。
「…………」
鼻血を流し、白目を剥いてピクピクと痙攣するガルド。
しかし、数秒後。彼は信じられないほどの執念で、ゆっくりと顔を上げた。
「……と、止まった……」
彼は後ろを振り返る。自分を苦しめ続けた動く石畳は、沈黙している。
ガルドの顔に、歪んだ歓喜の笑みが浮かんだ。
「ひ……ひははははッ!! 見たか! 俺の闘気に恐れをなして、この悪魔の罠もついに壊れたぞ!!」
『いや、おっさんがスイッチ切っただけなんだけど』
『勝手に勝利宣言してて草』
『闘気(ただのバッテリー節約)』
『もう脳の処理が追いついてないんだろうな……可哀想にww』
コメント欄のツッコミなど知る由もなく、ガルドは涙を流しながら、ついに念願の『玄関のドアノブ』へと震える手を伸ばした。
「勝った……! 空の罠も、地下の罠も、この無限の道も! 全てを突破したのは俺だけだ! さあ、この扉の向こうの宝は、すべて俺の……ッ!」
ガチャリ。
ガルドが、勝利の余韻に浸りながらドアノブを回した、その時。
ログハウスの中から、ケントの呑気な声が聞こえてきた。
「さてと。外の泥落としは終わったから、次は『室内の自動清掃』の時間だな。いけっ、新型お掃除ロボット!」
ガルドがゆっくりと押し開けた扉の向こう。
暗い玄関ホールの中で、ギロリ……と、赤く光る『一つ目』が起動した。
それは、ただの丸い円盤――現代社会で言うところの『ロボット掃除機』に酷似したフォルムを持つ、ケント特製の魔導ツールであった。
最強のAランク探索者が、すべての力を使い果たして辿り着いたゴール。
そこで彼を待っていたのは、真の絶望(圧倒的格付け)をもたらす『全自動お掃除マシン』だったのである。