作品タイトル不明
第5話 似合わないピンクのドレス
届いたばかりの大きな衣装箱を前にして、私の心臓は嫌な早鐘を打っていた。結ばれたリボンを解き、添えられていたカードに目を落とすと、そこにはまだ少し拙さの残る、けれど丁寧に書かれた文字で、次の夜会であなたにこれを着てほしい、僕がデザイナーに発注しました、というミッシェル様からの短いメッセージが記されていた。
「ミッシェル様が、私に……?」
予想もしなかった新しい婚約者からの贈り物に、私の胸は一瞬だけ、淡い期待に跳ねた。あのツンツンと頑なに虚勢を張っていた年下の彼が、私のためにドレスを選んでくれた。その事実だけで、最近の社交界の陰口に沈みきっていた心が、にわかに救われるような気がしたのだ。
けれど、薄紙をそっとめくった瞬間、私は言葉を失った。中から現れたのは、部屋の明かりを吸い込んで淡く発光するようなパステルピンクの生地だった。胸元や袖口にはこれでもかと繊細なレースがあしらわれ、腰回りには幾重にも重なる贅沢なフリルと、少女らしい大きなリボンが飾られている。
「……随分と可愛い、ドレスね」
ポツリと呟いた私の声は、自分でも驚くほどひどく掠れていた。周囲に控えるお針子や侍女たちは、気まずそうに視線を泳がせ、一様に口を噤んでいる。彼女たちのその重苦しい沈黙こそが、このドレスが『ロイド侯爵令嬢アナベル』の普段の系統や佇まいから、どれほど絶望的に逸脱しているかを雄弁に物語っていた。
どうしてミッシェル様は、私にこのような格好をしてほしいのだろうか。混乱する頭を必死に働かせるうちに、私はひとつの冷酷な可能性に気づいてしまった。ミッシェル様はまだ十五歳であり、学園で彼の周りを取り囲むのは、同じ十五歳の瑞々しい令嬢たちだ。きっと彼は、彼女たちから、今、学園ではこういうドレスが流行っているのよ、婚約者様にプレゼントしたら絶対に喜びますわ、などと吹き込まれたに違いない。
まだ女性の服の流行など詳しくない彼は、悪気なく、純粋に彼女たちの言葉を信じてこのドレスを発注したのだろう。自分を狙う令嬢たちが、あえて十五歳向けの流行を教え込み、年上の婚約者である私に大恥をかかせようと悪意の罠を張ったとも知らずに。
広げられたドレスを前に、私の代わりに侍女が顔を青ざめさせていた。
「お嬢様。これは……。無理にご着用なさらなくてもよろしいのではないでしょうか」
「いいえ。ミッシェル様が、わざわざ初めて贈ってくださったドレスですもの。着ないわけにはいかないでしょう」
「でも……!」
「いいのよ。さあ、さっそく試着してみましょう」
今にも泣き出しそうな侍女の手を借りて、私はそのピンクのドレスに身体を通した。背中の紐が容赦なく締め上げられ、フリルが大きく膨らみ、胸元に大きなリボンが結ばれていく。着付けが終わり、私は恐る恐る、部屋の隅にある大きな姿見の前に立った。
「あ……」
視界に飛び込んできた己の姿に、私は頭を強く殴られたような衝撃を覚え、その場に立ち尽くした。鏡の向こうにいたのは、見るも無惨に不調和な女だった。
生まれつきすらりと長身で、肩幅も腰回りも肉が無駄なく引き締まった私の大人びた体型に、ふわふわとしたパステルピンクは驚くほど似合っていなかった。長すぎる手足がフリルの甘さを無惨に殺し、彫りの深い、理知的なクールビューティと評される私の顔立ちが、パステルカラーの瑞々しさを完全に浮かせている。十五歳の令嬢が着れば妖精のように愛らしいであろうドレスが、私という十八歳の女が纏った途端、奇妙な歪みを放つ呪いの衣装に変わっていた。
(惨めだわ。なんて、格好悪いのかしら)
きつく唇を噛み締めると、情けなさで涙が溢れそうになった。ミッシェル様は、私にこんな不格好な若作りをしてほしかったのだろうか。それとも、このドレスを着こなせるような、もっと若くて可愛い女の子が本当は好みなのだろうか。彼の純粋な好意が、周囲の悪意によって、私の心を何倍も深く抉る刃となって突き刺さる。これを着て夜会に行けば、社交界の格好の笑いものだ。けれど、せっかくの彼の贈り物を拒絶すれば、ただでさえギクシャクしている二人の関係は完全に終わってしまう。
そこからの数日間、私の精神はますます暗い底へと沈んでいった。どうすればミッシェル様の期待に応えられるのか、どうすれば彼の世界にある若さを理解できるのか。そう思い詰めた私は、屋敷の書庫に引きこもり、若い令嬢たちの間で大人気だという恋愛小説を山のように取り寄せ、必死に読み漁り始めた。
『まぁ、嬉しい! ありがとう、あなた!――男爵令嬢は無邪気に弾んだ声を上げ、婚約者の胸に飛び込んだ』
机の上に広げた小説の一節を目で追いながら、私は痛む頭を抱えた。こんな風に無邪気に、あのピンクのドレスを着てありがとうと甘える私を、ミッシェル様は見たいのだろうか。
(無理よ。私には、そんな恥ずかしいお芝居はできないわ)
文献をいくら読んでも、流行の物語をいくらめくっても、私に実践できそうな可愛い年下への接し方などどこにも載っていなかった。載っているのは、生まれながらに瑞々しく、愛嬌に溢れた、十五歳前後の少女たちの成功例ばかり。十八歳で、クールビューティで、長身の私が、どうすれば彼の純粋な贈り物を傷つけずにいられるのか、正解はどこを探しても見つからない。
「どうして、上手くいかないの……」
本を閉じる手が、小さく震える。調べれば調べるほど、己の可愛げのなさと年齢という現実が浮き彫りになり、気力は削られ、気分は果てしなく落ち込んでいく。
けれど、次の夜会はもう目の前に迫っている。ミッシェル様が私のために用意してくれた、あのパステルピンクのドレスを着て、私は彼の隣に立たなければならないのだ。
「それでも、私は行くしかないのよね」
私に向けられた若い令嬢たちのあざ笑うような顔が鮮明に目に浮かび、私はただ、暗い部屋の中で激しい拒絶感と焦燥に震えることしかできなかった。