作品タイトル不明
149 密室の反省会
「ノール、ちょっといいかい」
「なんだ?」
協議の後、クレイス王国からの来客たちが『時忘れの都』の従業員を引き連れて交渉部屋から去って行く中、前 経営者(オーナー) のラシードが新たな経営者となったノールを呼び止めた。
「繰り返しになるけど、おめでとう。これでもう『 時忘れの都(ここ) 』にあるものは全て君の所有物だ……と言いたい所なんだけど、一つだけ」
「……まだ、何かあるのか?」
「いや、大したことじゃないんだけどね。実は、奥の方の部屋にまだいくつか僕の 私物(・・) が残っててね。単に僕が趣味で集めた茶器や茶葉といった大して資産価値のない品ばかりだから、このまま置いていって君に譲ろうと思っていたんだけど……中には思い入れのある物もあってね。できれば、最後にお気に入りのお茶でも飲みながらこの二人と話をしたいと思ってね。明け渡す前に少しだけ部屋を借りても?」
ラシードは建物の権利者となった男に笑いかけながら、自身の脇に佇む黒服の男女、シャウザとメリッサに目を向けた。
「ああ、もちろん構わないが」
「ありがとう。僕たちはしばらくそっちの部屋の中にいるけど、もし用事があったら呼んでくれ。少し特殊な作りの部屋で少しばかり音が通りづらいんだけど、ノックしてもらえばすぐに出るから」
「わかった」
「じゃあ、新 経営者(オーナー) のお許しも出たことだし。行こうか、君たち」
「……は」
「……かしこまりました」
ラシードは新たな 経営者(オーナー) に許可を得ると、シャウザとメリッサを連れて長い廊下の奥に向かった。その突き当たりには金属製の扉があり、ラシードはシャウザにその重い扉を開けさせた。
重要な商談を行うために設えられ、厳重な防音処置がなされた部屋には壁一面に茶器と茶葉の容器が並べられており、一見すると、趣味がかった応接室のような雰囲気だった。
「いやあ、今日でこの部屋ともお別れだと思うと、寂しいね。概ね悔いはないけど、ここだけが唯一の心残りだよ。でも、せっかく機会をもらえたのだし、最後のお茶会と洒落込もうじゃないか?」
ラシードはそう言って壁の棚に並ぶ 茶器(ティーカップ) コレクションからお気に入りの二つを手にとり、にこやかに後ろにいる二人に差し出した。
主人の意図を汲んでメリッサがお茶を淹れる準備を始めた所で、隻腕隻眼の獣人が主人に鋭い視線を向けた。
「ラシード様。本当にあれでよろしかったのですか?」
従者の疑問の言葉と視線を背中で受け止めながら、ラシードは自分用のカップをゆっくりと棚から選び、中央に置かれた大きめの 椅子(ソファ) に深く座った。
「……なんだい、シャウザ。あれでよかったのか、とはなんのことだい?」
「先程の 遊戯(ゲーム) のことです。ご指示通りに最後の勝負では全ての 目(・) を外しましたが。あの結果は本当にラシード様が想定されていたものだったのですか?」
最後の勝負に臨んだ男、シャウザは一層鋭い眼差しを主人に向けた。
だが、ラシードは小さく首を振りながら肩を竦ませる。
「……なんだ、そんなことか。いいんだよ、シャウザ。あれでいい。本当によくやってくれた。流石、君は僕が見込んだ男だ」
「……それは 本音(・・) 、と受け取ってもよろしいのでしょうか」
「もちろんだよ。おかげで素晴らしい結果になったじゃないか。欲を言えば、彼らの手に渡る 資産(かね) にもう一つか二つゼロが多いのが理想だったんだけど……それは欲張りすぎというものさ」
ソファに深く腰掛けたラシードは両手を拡げ、楽しそうに笑った。
一方、テーブルの上のカップにお茶を注ぐメリッサの表情は深刻だった。
「今回の件、旦那様がなんと言われるかが心配です」
「……何も言わないさ。たかだか10兆程度じゃ 親父(あいつ) の懐は痛まない。今ごろ 中央(本家) の連中は僕の大負けの知らせに大喜びしながら、僕の在家の身分と資産の剥奪も視野に入れて家族会議中ってところだろう。騒ぐのは何もわかっていない奴らだけさ」
「そうかもしれません。ですが、これでご自身の身分の剥奪どころか借金を負って追われる身になる可能性も出てきましたが……?」
「……まあ、そうなるかもね。でも、今までだって僕の個人資産なんて凍結されていたも同然だし、大差ないさ。僕としてはとても良い取引だったと思ってる。彼らは自分たちの欲しいものを手に入れ、僕は要らないものから解放され自由になれる。互いに利益のある、とても良い 取引(ディール) だったと思う。あれだけの 観客(ギャラリー) を用意したんだ。 サレンツァ家(あいつら) だって、逃げも隠れもできないさ」
お茶の入ったカップを片手に明るく笑うラシードの傍で、メリッサは不安そうな表情を見せた。
「……それはラシード様も同じことになりますが」
「いいんだよ。僕は最初から取引から逃げるつもりはない。元からほぼ他人の 資産(かね) だったものを他人に譲ったって、別に痛くも痒くもないからね」
「しかし、納得がいきません。ラシード様が保有していた ほぼ全て(・・・・) の資産と権力を与える先が、なぜ、よりによってあの異国の者なのですか?」
「違うよ、メリッサ。全てじゃない。まだ 個人所有(プライベート) のゴーレムは数体残っているし、何より君たちがいるじゃないか。君はノールに『時忘れの都』を譲渡する前に 罷免(クビ) にしておいたから自由の身だし、シャウザは元々僕個人のボディガードだ。僕が譲渡したのは それ以外(・・・・) さ……ああ、あと、ここにある茶葉とティーカップもある」
「……ほぼ全てでしょう。私たち以外の全ての資産が、あの男に渡ってしまったのですよ? そこまでする理由が、どこにあったのでしょうか?」
「……でも、彼、面白くないかい? 理由を聞かれたら、まずはそこだね」
「……面白い? まさか、本当にそれだけで?」
ラシードのあまりにさっぱりとした返事に、メリッサは信じられない、という表情で若い主人の顔を眺めた。
「……ラシード様。それは流石に納得できかねます。私が事前に伺っていたお話と違いすぎますので」
「いやあ、その通りだね。最初は世間知らずのお姫様に借金でも背負わせて、レイン君に貸しの一つでも作れたらいいかなぁ、ぐらいに思ってたんだけどね……興味が移っちゃったよ。すぐ横にとんでもない奴がいたからね。おかげで、大幅な予定変更さ」
ラシードが上機嫌にお茶の入ったカップを口に運ぶ横で、メリッサは深刻な顔でテーブルの上に載せられた分厚い税務調査の書類を手に取った。
「……おっしゃりたいことはわからないでもないですが。でも、ここに記された内容はあまりに現実離れしすぎです。この調査内容を事実だと判断する前に、再調査をする必要があったと思います」
「その必要はないさ。ここに書かれていることは全て事実だと思っていい。嘘の下手な獣人達ではうちの優秀な調査員達は誤魔化せないし、何より、僕らもこの目で見ただろう?」
「……事実だとすれば、尚更、脅威だと思います。いくらなんでも、これは異常すぎます」
「だから面白いんじゃないか」
メリッサはため息をつきつつ、テーブルの上に税務調査の書類を戻した。
それはサレンツァ家の調査員が獣人の村で起こった出来事を聞き込み、事細かに記録したものだったが、その中身は信じがたい内容で埋め尽くされていた。
ラシードは架空の英雄伝めいた税務調査書を手にとり、パラパラとめくり、また笑う。
「……やっぱり面白いよ、彼。あの男がこの国に入ってまだ何日だと思う? 入国記録を見ると滞在日数は僅かばかり。なのにもう、これだけの 開発(・・) を終えてしまっている。このまま国でも築いてしまいそうな勢いだ。彼らにあと少し時間を与えたらと思うと、ワクワクしてこないかい? リンネブルグ王女も噂に違わず凄まじかったけれど……彼は、もっとずっと面白い。彼にさらに金と権力を与えたら、きっと面白い使い方をする。そして────きっと、それは誰にも止められない」
改めて分厚い書類に目を通したラシードは、愉しそうに笑った。
「まあ、彼らに資産を与えたことにもっともらしい理由をつければ、敵の敵は味方、ってね? 投資先としては悪くない」
「……この結果がどうなるかは予想はされているのですか?」
「だいたいね。でも完全には無理だよね。それでこそ『 賭け(ベット) 』のしがいがあるってものだろう?」
大きくため息をつくメリッサの前で、ラシードだけは上機嫌だった。
「ああ。そういえば、シャウザ」
「……なんでしょう」
「君こそ、あれでよかったのかい?」
「あれで、とは」
「とぼけるなよ。あれから彼女、君のことをしきりに気にしていたようだったけれど」
「仰っている意味がわかりませんが」
「あれ、まさか、僕が気づかなかったとでも? 彼女、さっき珍しい首飾りをしていたよね。あれで君が気づかない、なんてこともないと思うけど」
ラシードは笑いながら視線を逸らす従者の顔を覗き込み、わざとらしく首を傾げて見せた。
「……ま、どちらでもいいさ。君から関わるつもりがないのなら、その意思は尊重しようじゃないか。でもね」
ラシードが指先を向けた先にある、魔力仕掛の 呼び鈴(ベル) の音が鳴った。
廊下から部屋に誰かが近づいていることを告げる音色だった。
そして、しばらくの後、音を決して通さない祝福がなされた 王類金属(オリハルコン) 製の扉に取り付けられたノッカーを、小さく叩く音がする。
「彼女の方はどうやら、君に何か用事があるようだ」
再び控え目に扉をノックする音に、ラシードは笑いながら 椅子(ソファ) から立ち上がり、自らの手で鍵を開けて部屋の扉を開けた。
「いらっしゃい。よく来たね。どうぞ、遠慮せず入って」
「……あ、はい。し、失礼します……?」
そこには先ほど彼らと 遊戯(ゲーム) で対戦した獣人の少女が緊張した面持ちで立っていた。