作品タイトル不明
第三次ラキア聖戦【南国王の動乱①】
すべてを手に入れられる人間などいない。判断を誤らない人間などいない。
わかっているつもりだった。
姉と手紙をやり取りしているときも、南国王が兵を連れて国境に向かったと聞いたときも。
姉には何かあったら大変だからと逃走経路を教えたときも、アルカから入手した情報をジェラルドに渡し南国王と護剣の確保にはサーヴェル家当主が妥当だとジェラルドに進言したときも。
――南国王蜂起、サーヴェル家当主ラキア山脈の戦いにて戦死。
珈琲のカップを落としたのは、ジルではなくロレンスだった。中身まで床にぶちまけたそれを、普段なら真っ先に拾いに行くカミラも動けずにいる。
「シャーロット・サーヴェル伯夫人も、民と兵を逃がす殿となり、陛下――いえ、南国王ルーファスに、討ち取られたと……っ」
震える声をこらえる兵に声をかけたのは、ジークだった。
「わかった、他は」
「ジェ、ジェラルド王太子殿下から出陣準備の指示が全軍に行き渡っております」
「討つのか。南国王の行方は?」
「わ、わかりません。あちこちの集落や街を襲撃して……ご自分の支持者である領主の街や、方舟教団アルカらしき拠点もまざっているのですが……もう、乱心されたとしか」
「アルカ?」
やっと声が出たが、誰にも届いていないようだった。
「数刻もしないうちに、ジェラルド殿下直々に南国王討伐の布告を出される予定です。緊急事態につき、南国王の行方がわかり次第、大規模転移の準備もするとのこと。サーヴェル隊にも出撃準備願います」
「わかった」
けれどジルの声が聞こえて、また喉が震えそうになる。
「準備を急ぐ。他にも報告があればすぐ知らせてくれ」
「ジルちゃん」
「カミラ。他の連中に伝達と準備を頼む。ジーク、ロレンスは――ロレンス!?」
気づいたら駆け出していた。
サーヴェル隊は今や、ジェラルド直属の精鋭だ。そのため、結成当時とは考えられないくらい顔がきく。特にロレンスは情報収集しやすいよう、ジェラルドからかなり広範囲にわたっての転移装置の常用許可を得ていた。エーゲル半島に設置されている軍事基地も、その中に入っている。
連れていく兵はせいぜい小隊が限界だろう。馬は現地調達だ。ロレンスの部下は口が固い者が多く、情報収集に使われるため察しがいい。エーゲル半島に向かうというロレンスが言えば、それ以上は何も説明せずとも、ジェラルドの密命によるものと勝手に推察してくれる。行動も素早く、半刻とたたず、ロレンスの選んだ部隊は基地内の転移装置の前に集まっていた。
「ジルちゃん、こっち、いた!」
「――っロレンス! 何してる!」
ジルたちが追いついてきた。起動されている転移装置を見て、ジルが顔色を変える。
「お前、どこへ行く気だ。まさか南国王の後宮か!? まだ討伐命令は出てない! 他が攻められるかもしれないのに――」
「ジェラルド王子からの密命だよ」
「嘘つけよ、おま――!」
ジークが断言すると、妙な説得力がある。薄く笑い、ロレンスは戸惑う転移装置の管理人を押しのけ、起動させた。仲間の姿は、すぐに消える。
南国王が国境へ連れて行った兵たちは傭兵が多く、南国王の後宮には食糧や武器、警備が出立前のまま残っている。今はどこぞを攻めているらしいが、補充にも籠城にもうってつけの場所だ。今なら姉を連れ出せる――南国王が、後宮を拠点にする前に、助け出すのだ。
(でないと、俺は)
今は何も考えるな。すべてを遮断し、馬を調達して走らせる。
基地から南国王の後宮は遠くない。南国王が息子の監視を受け入れたからだ。街自体への出入りも難しくない。警備と魔術が強固なのは、後宮だけだ。もう日も沈みかけているのに明るいのは、眠らぬ街と呼ばれている所以である。
南国王の奇行はまだ伝わっていないらしく、街はあまり変わりなく見えた。間に合ったかとほっとする。南国王がいないのであれば、後宮の警備はゆるくなる。
ふと、後宮前に佇んでいる、黒の外套を着た異様な一団が目を引いた。
色欲と怠惰のと言われるだけあって、後宮近辺でもあやしげな売人や客引きは多い。それでも珍しいのか、住民もちらちらと様子をうかがっている。これでは動きにくい。どう散らすか考え始めたこちらに気づいたのか、一団を押しのけるように出てきた子どもが、馬上のロレンスの前に立ちふさがった。
「ロレンス・マートン……?」
フードを深く被っているせいで顔は見えないが、声で少女だとわかる。
よく見れば、他と外套の色も違った。紫の生地に細かい刺繍で縁取りがされた外套は、この少女がこの集団の中でひときわ特別なのだと示していた。
「どうして俺の名前を?」
「姉を助けにきたの? 私たちの手を拒んだくせに――もう遅い」
嘲るような声に、咄嗟に腰に携帯している短剣を抜く。少女がゆっくり手をかざす。ぶぅんっと聞き慣れない音を立てて、足元に魔法陣が広がった。知らない形だ。
「典は竜神の紋に穢された」
「血は女神の紋に縛られた」
「アルカです、マートン中尉!」
部下の忠告を悲鳴が、馬のいななきがかき消す。馬から振り落とされたロレンスはなんとか着地し、顔をあげた。
地面から巻きおこった魔力の嵐が、少女のフードをはいだ。その顔は半分、まだ新しい火傷の傷がある。
「同胞の、カニスおじさまの仇よ」
少女の足元からどうっと炎が噴き上がった。少女だけではなく、ひたすら何かを唱え続けている周囲の黒フードたちも火刑に処されたように燃え上がっていく。まるで火柱だ。
「カニスおじさまを返せ、罪人ども!」
少女の悲鳴に似た絶叫に答えるように、空から雷が落ちた。あちこちに落ちたそれが炎の壁のように街を囲み、燃やしていく。あっという間に地獄絵図と化した街に、ロレンスは叫んだ。
「――ジェラルド殿下に状況報告、アルカの襲撃だ! その他の者は住民の避難だ、手分けしろ!」
言い捨てるように命令を残し、人の焦げる匂いがする炎の壁を突っ切った。魔力で引火する仕組みなのか、わずかに熱を感じた程度で済む。だが目の前の後宮は雷に撃たれ、あちこち燃え始めていた。
既に後宮の出入りを固める警備兵たちは雷に撃たれたのか黒焦げになっていた。口元を手で押さえながら、ロレンスは後宮内に足を踏み入れる。記憶にあるとおり、姉の自室へまず向かおうとするが、逃げ出そうとする人の波に阻まれてなかなか進めない。
やっと庭に続く回廊へと出た視界の端を、同じように後宮の奧へ向かおうとする人影が走っていった。どくんと心臓が鳴る。確信もなく駆け出していた。
「――姉さん!」
弾かれたように、自分と同じ髪色の女性が振り返った。
「ロレンス……ロレンス、なの? どうしてここに」
姉は記憶のまま、美しかった。一緒に暮らしていた頃よりもふっくらとして、健康的に見えた。着ているものだってもちろん上等だ。きっと不自由していなかったのだろう――なぜか軋む胸の痛みを無視して、ロレンスは笑顔で姉の前に立つ。
「よかった、間に合った、姉さん……俺だよ、ロレンスだよ」
「……こんなに、大きくなって……」
戸惑うように自分の頬に触れた姉の、傷も何もない柔らかい手を取る。
「迎えにきた。帰ろう」
その手がぴくりと動く。
「……ロレンス。どうしてあなたがここにいるの」
「説明してる時間はないんだ。街にも火が回ってる。早く逃げないと」
「何かあったのね、ルーファス様に。――ロレンス、ごめんなさい。私は残るわ」
力の抜けたロレンスの手から、姉の手が滑り落ちる。
「あなたは逃げなさい。私はここでルーファス様を待つから」
「どう……して……」
「あなたは賢い子だもの。わかっているでしょう」
わかりたくない。でも首を振ることもできない。頷くこともできない。
「私は姉失格ね……ごめんなさい、ロレンス。でも大好きよ。私の可愛い弟」
背伸びをした姉が――自分は姉よりも身長が高くなっていたのだ――ロレンスの額に、そっと唇を押しつける。おはよう、ロレンス。父もいた頃、かわす挨拶と変わらないのに。
けれど姉は、踵を返して別の場所へ向かおうとしてしまう。その手を衝動的につかんだ。
困り顔をした姉が、振り向く。その唇が決定的な言葉を吐く前に、叫んだ。
「――困るんだ、それじゃあ! それじゃあ、俺は、仲間に、合わせる、顔がっ……」
涙が浮かびそうになり、奥歯を食いしばる。
なんとなく、姉は間に合わないと自分は察していなかったか。でもきっと間に合う、なんて取り繕って。皆がいればきっと、なんて夢見て――アルカを利用 し(・) な(・) か(・) っ(・) た(・) 。
ジルの両親が死んだのは、そのせいではないのか。
止まらない自分の思考回路が今はうっとうしかった。余計なことにばかり気づく。
結局、自分は姉を助けたいわけではない。姉を見捨てずに起こした自分の甘さを、失態を、取り戻したいだけなのだ。
ジルに、仲間に、合わせる顔がないから。
おかしくて今度は笑い出したくなった。なんて自分勝手な道化だ。
「……ごめん、行って」
姉の手を、離した。
「姉さんの人生だ。……俺がどうこう言えることじゃないよ」
「ロレンス」
姉がうろたえたように瞳を動かす。それを少々うとましく思い、一笑する。
「助けにくるんじゃなかった。……俺だって弟失格だよ。だから」
途中で今度は抱き締められた。ごめんなさい、と姉が繰り返す。いいんだよ、と答える。
そのすべてが茶番で、馬鹿馬鹿しい。中身がどんどん冷えていく。
(助けるべきじゃなかった、なんて)
損得を天秤に乗せてそんなふうに思えてしまえる自分は、やはりまっとうにはなれないのだ。