作品タイトル不明
第三次ラキア聖戦【方舟教団アルカ】
ホテルのロビーに併設された喫茶店に時間どおり現れた教授は、クレイトス魔術大学での講演の壇上に立っていたスーツ姿のままだった。
「申し訳ありません、お誘いしたのはこちらなのに、お待たせしてしまいましたか」
「いいえ、カニス教授。時間ぴったりです。ですがこのあとも講演があるんでしょう。お忙しいのでは……」
「そんなことは。……無事、ラーヴェ帝国から脱出できた者の務めだと思っておりますから」
帽子を脱ぎステッキを置いて、ロレンスが勧めた奧のソファに恐縮しながら腰かけるこの男性は、どこからどう見てもクレイトスの紳士だ。魔力も高いので余計、ラーヴェ帝国出身などとは思われないだろう。そういう仕草も相まってか、ラーヴェ帝国から亡命してきた彼が竜神神話を紐解きラーヴェ帝国の窮状を訴える講演は人気で、いつも満員御礼だ。
「クレイトス魔術大学の客員教授の話もきているそうですね」
「実はお断りするつもりなんですよ。さすがに身に余るお話だなあと」
意外に思った。カニスにメニューを差し出されたが、中身も見ず「珈琲で」と答えると、遠慮せずにとなぜかケーキをセットにつけられた。カニスも同じものを注文する。
「私、甘いものに目がなくてね。特にあなたとお話するには糖分が必要そうです――クレイトス魔術大学に提出されていた魔術理論の論文、拝見しましたよ。そのときから是非一度、お話したいと思ってお声がけした次第です。いやぁ、素晴らしい」
呼び出された理由はてっきりジェラルドにお近づきになりたいとかそういう話だと思っていたロレンスは、驚いて応じる。
「……有り難うございます。評価は不可でしたが」
「ふふ。王太子の贔屓で飛び級入学し、レールザッツ、ノイトラールにまで攻め込んだ軍神令嬢の副官が唱える生臭い理論など認めたくないというわけですか。魔術を無効化しようだなんて、女神への冒涜。使える現実より救いのない理想を。これぞ学問の自由、大学の自治というわけだ」
笑い話にしようとしたのに鋭い皮肉に、少し警戒心がもたげる。
彼はひょっとして、 同(・) 類(・) だろうか。いや――おかしくない。ラーヴェ帝国出身ならば、女神クレイトスに批判的で当然。亡命してきて、ラーヴェ批判を繰り返しているのは処世術だ。
「安心してください、不敬罪は私も御免ですので。ただでさえラーヴェ帝国を不敬罪で追い出されたんですから」
「……不敬罪、ですか」
「粛清ってそういうことでしょう。ああでも、講演で説明したとおり、竜神ラーヴェがどうなっているかは今、わかりませんが」
去年の暮れに、プラティ大陸全土の夜空に巨大な魔法陣が奔った。クレイトスの魔術研究者でも見たことのない、複雑かつ繊細で美しい魔法陣。空に一瞬だけ縫い付けられた魔法陣はすぐさま白銀の粒となって消えたが、神の御業であることは間違いなかった。
そして空とくれば、天空と理を守護する竜神ラーヴェの恩寵に決まっている。
珈琲とケーキのセットが静かに運ばれてきた。仕切り直すように珈琲を口に含んでから、ロレンスは切り出す。
「竜神がどうなっているかなんて、わかるんでしょうか」
「あの魔法陣は、竜神ラーヴェの神紋ではと考えてしまいますね。神紋は人間には正確に認識できないらしいので、どうあがいてもただの妄想ですが」
「実際、あの魔法陣の全貌を目視できた人間はいないでしょうしね」
「はてさて、竜神ラーヴェは何をしたのやら。今の竜帝のやり方を考えると、我々人間にとってはろくでもない話のようです」
「そうですね……ライカの粛清は、しかたがないとはいえやりすぎです。そのあとも、少しでも意にそぐわぬ者はすべて粛清対象。クレイトスへの亡命者も日に日に増えているとか……それだけ締めつけねば立て直せないんでしょうが、理を守護する者がやることだとは、とても」
「逆かもしれませんよ」
顔をあげたロレンスに、カニスが両肘をテーブルに突く形で問いかける。
「理を守護する竜帝のやることこそ正しい。従わぬ人間の者のほうが間違い――そういう考え方もあります」
講演会では今の竜帝は間違っている、と真逆のことを言っていた。政治的演出と研究者の思考を切り離せる人物なのだとわかり、ロレンスは感心して頷く。
「面白い思考実験ですね。教授のご専門は、竜神神話と神の許容論でしたか」
「そうです、竜神ラーヴェの存在を紐解き、神の解く理とは愛とはなんなのかを研究しております。益体もない不敬な道楽研究ですよ。クレイトスでもいつまで歓迎してもらえるやら。たださいわいにも姪が魔術の才に恵まれまして、あなたにも負けぬ魔術理論を組み立てております。身内の欲目かもしれませんがね」
「ひょっとして、それで俺にお話を?」
「ええ。姪の研究は、他人の魔力を吸収し自分の魔力へ出力変換するというものでして」
わずかに、笑顔がこわばった。頭の中で警報が最大限に鳴る。
「魔術の無効化を目指すあなたの研究に大変興味を持っているんですよ。ぜひ一度、会ってみてやってくれませんか」
「……無効化と、吸収では、まったく違う理論のように思えますが……」
「根本は変わらないでしょう。女神の愛の否定と、強奪だ」
――方舟教団アルカ。
常に陰謀論の裏でささやかれる団体だ。だからこそ日常のあちこちに実在する――辿り着いた答えに、席を立とうとした。だがカニスがテーブルに投げ出した大きな封筒に、動きを止めてしまう。
「南国王の宮殿の図面、人員、資金源、警備の配置に至るまで、詳細にご用意しました。女神の護剣の在処も」
護剣――ロレンスにはぴんときていないが、竜帝の天剣に対抗する手段として、南国王討伐の前にどうしてもジェラルドが所在を把握しておきたいと言っていた。そのせいで今、南国王を追い落とす時期を待つことになっている。
「お姉様は早めに助けて差し上げたほうがよろしいでしょう」
「――なんのことだか」
「あなただって気づいているでしょう。最近のお手紙では、ずいぶんと南国王を心配する文面が増えていることに」
確かに、姉が手紙に南国王のことを書く頻度が増えていた。最初の脅えが興味に、そして同情に。自分が戦場に行っている間にもゆっくりとその傾向は進み、最近では「あのひとが心配だ」とまで書いている。
「……姉はきちんと勤めを果たしているだけです」
それだけに違いない。何故知っている、などと問わないロレンスにカニスはおかしそうに笑う。
「認めたくないお気持ちはわかりますよ。ですがなんといっても南国王は女神の守護者、竜帝の代役。竜帝に劣れど代理を務められるだけの魅力がありますからね、しかたのない流れです」
頷けば弱みを握られる。だからかろうじて、引っかかったところだけ反駁した。
「竜帝の、代役……?」
「私、竜帝の実父を知ってるんですよ。老若男女問わず籠絡するひどい男でした。うちでも数名ころっとやられましたね。ラーヴェ後宮は一時期ひどい有り様でした。だからあなたの姉上が南国王に魅入られるのも無理はないんです」
竜帝の代役、竜帝の 実(・) 父(・) 。言い方からして、帝都ラーエルムが占拠されたときに皇太子ヴィッセルに殺されたという先帝メルオニスは、竜帝と血がつながっていない。ということはつまり――いや、今はラーヴェ皇族の系譜などどうでもいい。竜帝がいる、そして他のラーヴェ皇族はほとんどいなくなった、話はそこでおしまいだ。
「手遅れになりますよ」
問題は、この男がどこまで何をつかんでいるかだ。
「そんな怖いお顔をなさらなくても大丈夫です。私は味方ですよ」
「……あいにく、他人に騙されてはいけないという父の遺言がありまして」
「他人を信じられないと? それはお気の毒だ。でしたら少しだけ私の腹の内をあかしましょう。最初はね、あなたを取りこむべきだという意見も教団内にはあったんです」
身元を示唆しながら、滑らかな口調でカニスが続ける。
「ですがあなたを見て方針を変えました。あなたは確かに、我々と志を同じくする思想がある。ですが、神さえいなくなれば自分が救われると信じる単純さがない。すべて神が悪いのだという他責思考もない。信者には向きません。なら、幹部にどうか? それも駄目です。あなたは孤独ではなく、承認も称賛も求めていない。あなたの高い能力を忌避せず信じ合える、理解ある隊長と仲間に囲まれていらっしゃる」
「……ただの同僚です」
「しいて弱さがあるとしたらそういう、青いところでしょうかね」
くすくすと笑って、カニスが大きく切り分けたケーキを食べてみせる。余裕のある態度に、冷ややかな目を向けた。
「俺はそんなに単純に見えますか」
「いいえ? あなたの考えていることは実に多い。姉は一刻も早く南国王から引き離さなければならない。ジェラルド王太子殿下は南国王排除とは言っているが、そもそもあの親子が本当に不仲なのかも実は疑っている。あ、ちなみにあなたの疑いは正しいですよ。南国王はご子息が大事だから悪役を引き受けてらっしゃる。あなたの姉上はそんな南国王に最後まで付き従うかもしれませんねえ」
こういう相手は真実と嘘を混在させるのがうまい。信じられる情報かどうかはわからない。
だが冷めた珈琲の黒い水面が、ゆらゆらとゆれている。
「保険と思うのはどうでしょう」
こつ、と硝子の小瓶を置かれた。幾重にも傷が――いや、魔法陣が入っている。
「一滴でかまいません。フェイリス王女かジェラルド王子の血をその小瓶に入れてきてください」
「なんのために」
「姪の実験にね。クレイトス王族の血なら強大な魔力を必要とせず、神紋に似せた魔術が描けるやもと。あとは長年、女神の血の接種で魔力を上げられないかと頑張っている連中もいまして――ほら我々、女神と竜神の 蒐集家(マニア) ですから」
その小瓶にかけてある魔術で血は勝手に増えます、などと不気味なことを言われた。
「もしご協力いただければ、南国王を穏便に事故死させてあげますよ」
悪びれずカニスは断言した。
「別にあなたでなくともいいのですよ。私は親切であなたに声をかけています。クレイトスは正義などという愛とかみ合わない理由に酔って戦争を始めたが、あなたはわかっているはずだ。竜帝を侮ってはならない。南国王排除、正統に王位を奪うなんて迂遠な手間はかけずに戦力を温存すべきだと」
言っていることはわかる。わかってしまう。
だが方舟教団との接触は禁忌だ。ジェラルドは許さないだろう。
(でも俺なら、うまく利用できるんじゃないか?)
誰にも知られず、悟らせず、アルカの情報網と、他にはない魔術理論を使うのだ。
そうすればすぐさま姉を救い出し、南国王排除に乗り出せる。ひょっとしたら、竜帝を討つことだって。
「我々を利用すればいいんですよ。信頼など必要ない」
――もうちょっとわたしたちを信じてくださいよ。
ふっと浮かび上がった言葉は、いつ聞いたものだったのかも思い出せない。けれど濁流のような思考が、いきなり凪いだ。
自分ならうまくアルカを使えるかもしれない。けれど、もし使えなかったら――あるいは使えたとしても、それで仲間に、姉に、胸を張れるだろうか。
ここまで積み上げたものをすべて台無しにしてしまわないだろうか。
深呼吸すると、腹は決まった。人生は選択の連続だ。
「――あなたに、ひとつ、残念なお知らせがあります。竜神ラーヴェは消えたそうです」
カニスが瞠目した。動揺を見せられて、わずかに余裕が戻る。
ジェラルドから聞いた、女神からのお告げらしき情報だ。ロレンスはそれほど信じていないのだが、彼らには有効だとわかっていた。彼らが竜神や女神に反発するのは、その存在を誰よりも信じているからに他ならない。
「ラーヴェ帝国ではどれだけ恐れられていようと、今の竜帝は、竜神ラーヴェの力を失った竜帝です。国の立て直しにも当分時間がかかる。こちらから和平を申し出て恩を売るもよし、そうでなくとも女神がいるこちらのほうが有利。そう思いませんか?」
「……そんな、馬鹿な。ではあの神紋は? あれこそ竜神ラーヴェの」
「カルワリオの谷の深さを知るあなたには、モエキア監獄が手狭に感じるでしょう」
ラーヴェ帝国を拠点にするカルワリオ派の教団員は、クレイトス王国に拠点を持つモエキア派に保護してもらっているのだろう。どんな理由であれ、粛清からおめおめ逃げてきたのだ。何か成果をあげねば、肩身が狭いに違いない。
「支払いはしておきますので、ケーキはどうぞ。代金はいただきましたから」
手つかずのケーキの皿の横にある封筒を取り、ロレンスはにっこり笑う。
知らなかったとはいえ、方舟教団に接触してしまったのは確かだ。ジェラルドの部下でいるためにも、土産は必要である。これはいい土産になるだろう。
小瓶は放置し、コートを取って呆然としているカニスに背を向ける。
「ふ、ふふふふふ」
背後から聞こえた笑い声に、足を止めた。
「竜妃がいない。神格を落とす要素は、なかった」
ぎょろりと、カニスの両目がこちらを見あげる。
「ならば竜帝の行いは正しいんですよ、わかりませんか。見込みが甘すぎます、あなたも、ジェラルド王太子殿下も――これだから愛の国の住民は! 本当に、甘ったるい」
おかしそうに笑い、足を組み直して、少々崩れた前髪を直し、カニスが微笑んだ。
「ですがやはり話し合いは大切ですね。我々はお互い、よってたつところを確認できました。あとはこの対話の正しさを歴史が証明してくれるのを祈りましょう。もうお会いすることがないのが残念でなりません」
交渉決裂、追跡は無駄――そう告げたステッキを取ったカニスが立ち上がり、帽子を胸にロレンスに向き直る。笑顔でロレンスは応じた。
「貴重なお話とお時間を有り難うございました、カニス教授」
「ロルフ・デ・レールザッツの次に歴史を動かす逸材かと思ったんですがねえ」
眉間にしわをよせるロレンスの横を、目深く帽子をかぶったカニスが通りすぎる。
「知ってますか。人生って、全部を手に入れることはできないんですよ」