軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

暖炉の火を見つめながら絨毯に座っていると、ホットミルクを差し出された。

「はい、ジル。今日もお疲れ様。チョコ入りだよ」

「ありがとうございます……」

力なく受け取る。

時間のある夜は、ハディスの自室でホットミルクを飲みながら一日の終わりをすごす。ジルがホットミルクを作れるようになってからできた最近の習慣で、この時間はラーヴェも遠慮してふたりきりにしてくれる。今夜はハディスの当番だ。

「えーっと……まだ落ち込んでる?」

おそるおそる問いかけられ、ジルはぎゅっとカップを両手で握り締めた。

「……知らなかったです。暴食竜妃、なんて呼ばれてるだなんて――こんなことなら、食料庫がからっぽになるまで食べておけばよかった!」

「えっ!? そ、そっちかぁ……」

「そうですよ! わたしはまだ、帝城のごはん食べ尽くしたことないです!」

「そ、そこはずっとまだでいてほしいなあ……」

「……陛下のお嫁さんだから、色々、我慢してたのに」

年齢といいクレイトス出身の立場といい、ハディスの足を引っ張る要素だらけなのは自覚している。社交だの礼儀作法だの淑女らしいことは、平均ぎりぎり、もしくは以下だ。自慢できるのは魔力の高さと腕っ節の強さくらい。一般的な『お妃様らしさ』とは真逆である。

だからせめて邪魔をしないよう、帝都では表立ったことはしなかった。なのにそれが仇になるとは。

このまま婚礼を強行すれば、確実にハディスの足を引っ張る。反対した三公は、ハディスのことをきちんと考えていると思う。ヴィッセルが祭りの開催を強く突っぱねなかったのは、正論でもあったからだろう。

しかし、どうしたものか。何度目かの溜め息を落とすと、つんと頬を突かれた。

「なんですか」

「誰がなんと言おうが君は世界一素敵な、僕のお嫁さんだよ」

暖炉からの柔らかい炎にとかされた甘い微笑に、一瞬だけ動きが止まった。だがすぐに、はあっと今度は大袈裟に息を吐き出し、そっぽを向く。

「陛下だけがそう言っててもしかたないんですよ……」

「その反応、冷たすぎない!?」

「言われなくたってわたしは負けませんよ! 見返してやります!」

振り返って這って少し移動し、背後にある猫脚の低いテーブルにカップを置く。かわりに後宮の見取図を取って戻り、暖炉の前の床に広げた。ハディスがまばたく。

「なんで見取図……?」

「必要でしょう。後宮って、全体が壁で囲われてきっちり仕切られてるんですね。出入り口は正門、裏口から出入りできる裏門、衛士の見張りつきか……」

「待ってジル、なんでそんなこと調べてるの? まさか攻め込む気!?」

「どこに何があるか確認してるだけですよ。わたしなら壁、壊せますし」

「あ、そうだよね。君ならひとりで制圧でき……え、ここ安心していいところ?」

「陛下、後宮にはどれくらい詳しいですか?」

「全然。前皇帝の後宮だからね」

あっさりしているのがあやしいような、そうでもないような。半眼になったジルをハディスがひょいと抱き上げ、膝の上におろした。

「それで、後宮攻略作戦は?」

「えっと――情報漏洩をふせぐため、内緒です!」

手紙のことがちらと脳裏をよぎったので、そう言っておく。それに、どういう理由で後宮に入るかなどは打ち合わせ済みだ。

「えー僕にも内緒? 心配だなあ」

「わたしより陛下ですよ。三公につけ込まれちゃ駄目ですからね? ちゃんとかっこいい皇帝やってくださいよ。わたしが仕事してる間、また勝手にすねるのも駄目ですよ!」

「はーい」

返事が今ひとつ信用できない。半眼のジルの横髪を、ハディスが指でつまむ。

「でも気をつけてね、ジル」

「それもこっちの台詞です。……後宮には、陛下のお父さんがいるって聞きました」

「ああ……でも、何もできないと思うよ。でなきゃ抵抗ひとつせず床に頭をこすりつけて、僕に命乞いなんかしない」

父親を語る声は平坦だ。なんの感情もないように聞こえる。

実際、竜神ラーヴェに育てられたというハディスにとって、父親というのは前皇帝ではないのだろう。でもジルは知っている。

このひとは家族との絆を望んで、辺境の地から帝都に戻ったのだ。これ以上、傷つけたくはなかった。

「でも、油断しすぎもよくないかな。三公なんかは警戒してるみたい。知ってる? 二十年前くらいにクレイトスの王都に奇襲かけたの。あれは前皇帝が秘密裏にクレイトスと――」

「陛下」

静かなジルの声色にハディスが口を閉ざした。ジルはちょうどおなかのあたりにあるハディスの手をそっと両手で包み込む。

「わたしが守りますからね。離れちゃだめですよ」

しばしの静寂ののち、案の定、ハディスがばっと離れた。すかさずハディスが落としたカップを受け止め、ジルは嘆息する。離れるなと言ったそばからこれだ。

「……ま、また君は、そういうこと、平気で言う……!」

「そりゃ張り切ってますから。だって初めてなんですよ、竜妃のお仕事!」

竜の花冠祭は、まごうことなく、公的な竜妃の仕事だ。

手放しで喜んでいい状況ではないのはわかっている。けれど竜帝として先に階段を昇っているハディスの背中がやっと見えた気がするのだ。

「色々言われてるみたいですが、これを成功させたら、わたしは誰もが認める陛下の竜妃ってことですよ。そりゃ不作とかは心配ですけど、フェイリス王女が女王になるからってなんですか、負けません! だから陛下も応援してくださいね!」

カップをテーブルに置き、ハディスの鼻先に顔を近づけて笑う。するとハディスが喉を鳴らして笑い出した。

「……君には、ほんと、かなわないなあ」

「? 陛下ってわたしに勝てたことありましたっけ」

もちろん個々の戦況では勝てていないことはあるが、喧嘩ひとつとっても概ね今までジルの圧勝である。笑っていたハディスが真顔で視線を斜めに落とした。

「……。いや待ってそこは後日に審議しよう。夫の威厳がかかってるから」

「まだ生き残ってたんですか、威厳……しぶといですね」

「殺さないで! とにかく張り切ってるのはわかったけど、ちゃんと休まなきゃ」

「でも全然眠くありません。あ、陛下は寝ないと駄目――」

ちょん、と唇を人差し指でふさがれた。と思ったら、再び暖炉の前に戻されて、体を横たえられた。頭はハディスの膝の上。膝枕だ。

「こうしたら眠れるよ」

「え~……こんなので眠れませんよ、子どもじゃあるまいし」

「じゃあ、十秒数えるだけでいいよ。目をつぶって」

とん、とん、と優しくハディスがジルの肩をたたく。

無駄だと思ったが、十秒くらいならためしてもいい。しぶしぶ、目を閉じた。

「おやすみ、ジル」

だから眠らないと言っているのに、とジルは数を数え始める。

(いち、にい、さん……)

「大好きだよ。――頼りにしてる、僕のお嫁さん」

ああでも、目を閉じて聞くハディスの声はとても心地が良い――。

(ろく……なな……――)

むくり、と起き上がったジルはぼんやり周囲に目を向けた。

ふかふかのベッドの上だ。

時刻は目覚ましの鳴る五分前。すぐそばには、くまのぬいぐるみ。大きな枕の横の籠では、丸まったソテーと腹を出したローが毛布と絡み合って眠っている。

窓のカーテンの隙間から差し込む日光が、目にしみた。

「朝……」

もちろん、ハディスはいない。どう見てもジルの自室である。

「不覚……!」

ぐっすり眠ってしまったことを悟って、歯噛みする。どういう状況かなんて聞かなくてもわかった。まんまと膝枕で眠りこけた自分を、ハディスが運んだのだろう。

だがぐずぐずしていられない。掛け布をはいで、柔軟運動も入れながらまずカーテンを開こうとして、まばたいた。

窓の近くにある花瓶だ。自室を与えられてからは、帝城の使用人たちが掃除のついでにいつも季節の花を活けてくれるようになった、それ。

その花瓶の下に、手紙が挟まれている。

一気に目が覚めた。

すっと、花瓶を倒さないよう気をつけて、手紙を引き抜く。予感は当たった。

――愛しの竜妃殿下へ。

二通目だ。

出だしは変わらず、詩的な愛を綴るもの。だがそんなことはどうでもいい。手紙がここにあることが問題だ。

この手紙の差出人は、竜妃の自室に手紙を忍ばせる力がある。

ジルは嘆息して、ぐしゃりと手紙を握りつぶした。