軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十話 本物の家族になる

宗主家の裁定の場は、村の役所の、いちばん広い板の間に設えられた。

上座には、宗主家から遣わされた裁定官が座り、その傍らに、相続監察官のコルム殿が控えた。屋敷側からは、オデッタ様とハーグ様が、青ざめた顔で並び、こちら側には、私と、アルヴィス様と、そして、私の手をしっかりと握ったロナンが、座っていた。

長い、戦いの、終わりの場だった。

まず、コルム殿が、集めたすべての証を、裁定官の前に、淡々と並べていった。

屋敷の出納帳と、商人の取引控えの、食い違い。買ったことにして抜かれた、塩と麦と布と蝋。そして――ロナンが高熱で寝込み、屋敷じゅうに人払いがされた、あの夜の、大口の買い付け。人払いを命じられる者が、家政を握るオデッタ様ただ一人であること。

「これらの証は、すべて、後見人ケラー殿の三年分の記録と、宗主家が取り寄せた商人の控えとを、突き合わせたものでございます」と、コルム殿は言った。「推測は、ひとつも、含まれておりません。すべて、紙が、語った事実です」

オデッタ様は、最後まで、「代官が、勝手にやったこと」と言い張ろうとした。けれど、人払いの夜の一件を突きつけられると、その声は、見る間に、力を失っていった。代官に、屋敷じゅうの人払いを命じる権など、ない。その、たった一つの事実が、彼女の築いた言い逃れを、根元から、崩していった。

続いて、ハーグ様の、後見の偽造と、跡継ぎの略取未遂が、明らかにされた。

偽造された届けの署名と、私の本物の筆跡。役所に残る帳面、商人の控え、徴税の記録――照らし合わせるまでもなく、その違いは、誰の目にも、明らかだった。ハーグ様は、一言も、申し開きが、できなかった。

裁定官は、しばらく、すべての証を検めてから、静かに、口を開いた。

「――裁定を、申し渡す」

板の間が、しんと、静まり返った。

オデッタ様には、横領した領費と備蓄の、全額の弁済が命じられた。屋敷の家政を取り仕切る役は、剥奪された。長年、自分のものだと信じてきた、財布と権を、彼女は、一度に、すべて失った。

ハーグ様には、後見の偽造と略取未遂の罪により、ヴァルダ家の縁者としての立場の、いっさいの剥奪と、向こう十年、いかなる相続にも関わることを禁じる沙汰が、下された。彼の系統が、ヴァルダ家の領主に立つ望みは、これで、完全に、絶たれた。

暴力で、ねじ伏せたのでは、なかった。声を、荒らげたのでもなかった。ただ、積み上げた記録と、動かぬ証と、人々の証言とが、淡々と、しかし覆しようもなく、彼らの企てを、無効にした。彼らは、自分たちが信じた、都合のいい制度と評判によって、まさにその制度と評判の手で、裁かれたのだ。

オデッタ様が、最後に、私を見た。憎しみでも、後悔でもない。ただ、信じられないものを見るような、空ろな目だった。役立たずの石女と侮った代官の娘に、自分のすべてが、覆された。その現実が、まだ、呑み込めていないようだった。

そして、裁定官は、最後に、もっとも大切なことを、告げた。

「ヴァルダ領の正統な後継は、ロナン・ヴァルダ。その儀、いささかも揺るがぬ。そして、その後見人は――前辺境伯の遺言の通り、ミレイア・ケラー殿と、正式に、認める」

その言葉が、板の間に、響いた瞬間。

私の隣で、ロナンが、ぎゅっと、私の手を握りしめた。見上げてくる小さな顔は、もう、屋敷の隅で怯えていた、あの子では、なかった。

三年前、震える指で差し出した、あの擦り切れた指名状の写し。心細い夜に、何度も読み返した、たった一枚の紙。それが、いま、こうして、すべての嵐をくぐり抜けて、確かな盾に、なった。私が、役に立たねばと、しがみつくように積み重ねてきたものは、ひとつも、無駄では、なかったのだ。

裁定が、すべて終わったあと。

アルヴィス様が、裁定官の前で、もう一つ、申し出た。

「まず、先の離縁について、申し上げたい」と、彼は言った。「あれは、私が国境にあって、何ひとつ知らぬあいだに、叔母が勝手に進めたものです。夫である私の意思を、まるきり欠いている。そのような離縁は、本来、成り立たない。――よって、あの離縁は、いったん、無効として、改めて、私自身の手で、けじめをつけたい」

私は、はっと、息を呑んで、彼を見た。

けれど、アルヴィス様の目は、まっすぐで、揺るがなかった。

「そのうえで、です。私は、元の白い結婚の契約に、彼女を戻すつもりも、ありません。あれは、情を交わさぬことを前提とした、役目だけの、形ばかりの夫婦の約束だった。世継ぎが育つまでの、つなぎの妻。――もう、そんなものに、彼女を縛りたくない」

彼は、一度、深く息を吸って、はっきりと、告げた。

「だから、あの白い結婚の契約は、ここで、破棄します。そして、改めて――」

契約の破棄。それは、本来なら、私を、完全に自由にする言葉だった。もう、何の義務も、何のしがらみも、ない。けれど、彼が、その先に続けた言葉は、まったく、違うものだった。

「ミレイア」と、アルヴィス様は、私の方へ、向き直った。「あの夜の、私の願いの、答えを、聞かせてくれないか。――もう、すべては、片づいた。君は、何にも、怯えなくていい」

私は、ゆっくりと、立ち上がった。

胸の奥を、確かめる。そこには、もう、恐れも、混乱も、なかった。役目を盾にしなければ立てなかった、あの臆病な自分は、いつのまにか、いなくなっていた。代わりにあったのは、ただ、まっすぐな、ひとつの願いだった。

「……私は」と、私は、自分の言葉で、言った。「ロナン様の後見人として、これからも、あの子のそばに、おります。それは、誰に言われたからでも、役目だからでも、ありません。私が、そうしたいから、です」

一度、言葉を切り、私は、アルヴィス様の目を、まっすぐに、見つめた。

「そして――あなたの、妻として。形だけでも、つなぎでもなく、対等な、ひとりの人間として。あなたと、ロナンと、三人で、生きていきたい。それが、私の、答えです」

言い終えた瞬間、自分の頬を、温かいものが、伝っていった。

生まれて初めて、誰かに望まれ、そして、生まれて初めて、私自身が、誰かを、自分の意思で、選んだ。

アルヴィス様が、ふっと、目元をやわらげた。屋敷では、決して見せなかった、あの、心からの笑みだった。

その手が、そっと、私の頬の涙を、ぬぐった。不器用で、けれど、限りなく優しい手つきで。

「ありがとう」と、彼は、かすれた声で、言った。「これからは、私が、君の灯りを、ひとつ、残す番だ」

夜は灯りをひとつ残す――いつか、あの養育記録の余白に、彼が書きつけた、あの一行。それを、彼が、私とロナンのために、これから灯し続けると、言っている。私は、もう、言葉が、出なかった。ただ、頷いて、その手の温もりに、頬を、預けた。

ふいに、足元から、小さな声がした。

「……じゃあ」

見下ろすと、ロナンが、私とアルヴィス様を、交互に見上げていた。その目には、もう、怯えの色は、なかった。代わりに、おそるおそる、けれど、確かな期待が、灯っていた。

「ぼくたち、もう……かぞく?」

その、たった一言に、私の胸は、いっぱいになった。

私は、しゃがんで、ロナンをぎゅっと抱きしめた。アルヴィス様の腕が、その上から私たち二人をまとめて包み込んだ。

「ええ」と、私は、その小さな耳元で、囁いた。「もう、家族よ。ずっと、ずっと、ね」

ロナンが、私の肩に顔をうずめて、声を上げて、泣いた。屋敷で、泣くことすら禁じられてきた子が、初めて、安心して、思いきり泣いた。その泣き声は、もう、悲しみの涙では、なかった。

――それから、一年が、過ぎた。

あの渇いた夏を越え、ヴァルダ領には、ふたたび、穏やかな実りの季節が、巡ってきた。横領で痩せていた蔵は、少しずつ、満たされていった。立て直しの采配は、私とアルヴィス様が、二人で、手分けして続けている。守るのではなく、分け合って。

ザイデ村のはずれに、新しい井戸が、ひとつ、掘られた。あの夏、いちばん最初に水の涸れた、北の村への水路を、楽にするための井戸だ。その井戸の、真新しい木枠に、村の子どもたちが、覚えたての字で、名前を書きつけていた。

その輪の中心に、ロナンがいた。

「ミレイアさま、おじさま、みて!」と、ロナンが、得意げに、井戸の枠を指さした。そこには、たどたどしい字で、こう、書かれていた。

――「みんなのいど」。

誰のものでもない、みんなの井戸。屋敷の隅で、自分の居場所さえ確かめられなかった子が、いまは、村のみんなのために、井戸の名を、考えている。

私は、アルヴィス様と、顔を見合わせて笑った。彼の手が、ごく自然に、私の手を、握った。その温かさは、もうどこにも行かない。

その夜、屋敷に戻った食卓で、アルヴィス様は、相変わらず不器用な手つきで、梨を煮ていた。一年経っても、その腕は、ちっとも上がらない。けれど、ロナンは、その少し煮崩れた梨を、いつもいちばん先にねだる。

「おじさまの梨、やっぱりへた」と、ロナンが笑う。

「……精進する」と、アルヴィス様が、真面目な顔で答える。

その、なんでもないやりとりに、私は、声を立てて笑った。かつて、養育記録の余白に、こっそり「梨を煮ると食べる」と書きつけた人と、その梨を食べて育った子と、それを見守る私。三人で囲む、ささやかな食卓。これが、私の取り戻した、本物の家族の、いちばん何気ない、いちばん大切な、一場面だった。

白い結婚の、つなぎの妻だった私は、夫の甥を見捨てなかった。

ただ、それだけのことだった。けれど、その一点を、手放さなかったから私は、奪われたものをひとつ残らず取り戻した。

居場所を。役目を。そして――生まれて初めての、本物の家族を。

乾いた辺境に、やわらかな風が吹いていた。